49. 新魔王

文字数 1,973文字

「ちょっと、英斗、いいか?」

 その日の夕方、病室のベッドでウトウトしているとレヴィアが入ってきて起こされた。

「ん? 何かありました?」

「紗雪が、人類を滅ぼすそうじゃが……お主はいいか?」

「え……? どうやって?」

「月を……落とすんじゃ」

「は? 月って……、あの空に浮かんでいる……」

「そうじゃ、直径四千キロの超巨大ゲートを月の軌道上に開いて、そのまま地球へと跳ばすらしい」

 英斗は唖然とした。確かに魔王のタブレットを上手く使えばできないことはないだろう。だが、それは地球を失うことだ。もし、女神に復旧を断られたらもう、自分たちには帰る場所も無くなってしまう。

「さ、紗雪はどこにいるんですか?」

「指令室におる。だが、決意は固いようじゃぞ」

「ありがとうございます!」

 英斗はダッシュで指令室に向かった。帰ってきてから様子がおかしかったが、具体的な行動にまで出ていたなんて英斗は自分の甘い見通しを悔やんだ。


      ◇


 指令室まで来ると、紗雪がテーブルの上に地球と月の映像を浮かべて見入っていた。

「あら、英ちゃん。これで女神さまに会えるわ」

 紗雪は何かにとりつかれたように力なく笑った。

 英斗は何度か深呼吸して呼吸を整えると、

「女神さまに……地球復旧をしてもらえる目途(めど)はあるのか?」

 と、静かに聞いた。

「そんなのないわよ。ふふふ」

 紗雪は不気味に笑う。

 英斗は眉をひそめると、テーブルを叩き、叫ぶ。

「一人だって殺人だよ? 何億も殺して復旧の目途(めど)もないなんて許されないよ!」

 しかし、紗雪は意にも介さず、

「あら、誰の許しが要るの?」

 と、首をかしげる。

「えっ……、そ、それは……」

 英斗は口ごもった。もはや地球上には国も何もない。残った数億人の意志の決定など誰にもできなかった。

「私ね、魔王になるの。地球を滅ぼす魔王。もう止められないわ。ふふふ」

 紗雪は人差し指を振って嬉しそうに言う。その目は焦点が合っていないようにうつろに宙を泳いでいた。

「お、お前……正気か?」

 青くなる英斗。紗雪はあまりのショックに変な考えに染まってしまったようだった。

 紗雪はギロッと英斗をにらみ、ギリッと奥歯を鳴らすと、

「だったら、英ちゃんがパパやママを生き返らせてよ! できるの?」

 そう言って、バン! と、テーブルを叩き、英斗の顔をのぞきこむ。

 振動でカタカタとティーカップが揺れる。

「それは、じ、時間をかけて……」

「時間ってどれくらい? 千年? 一万年? 待てば必ず女神に復旧してもらえるの? いい加減にしてよー!」

 紗雪の目からは涙がポロポロ溢れ出し、英斗は答える言葉を失って目をそらした。

 確かに紗雪の言うとおりだった。女神にOKをもらえるかどうかなんて待っても変わらないのだ。むしろ、中途半端に地球が復興してしまったら、逆に復旧の目は無くなってしまうかもしれない。

「英ちゃんは責任なんて感じなくていいわ。私が魔王になって私が人類を滅ぼすの! 恨まれるのは私一人でいいわ。私がすべて悪いの!」

 英斗は何も答えられなかった。ここまで決意している人は止められない。

 大きく息をつくと、英斗はうなずき、そっと紗雪をハグした。

 英斗の胸で泣きじゃくる紗雪。数億人の命を賭け金とした前代未聞の賭け。英斗は地獄に堕ちる時は一緒に堕ちようと覚悟を決めた。


     ◇


「あと三分じゃ、もう止められんぞ?」

 地球上空の宇宙空間に展開されたシールドの中で、レヴィアは英斗と紗雪を見た。

 月の軌道上には巨大な瑠璃色のリングが光り輝き、迫りくる月を今まさに飲みこもうとしている。

「失敗したら地獄の業火に焼かれる覚悟はできました」

 英斗はそう答え、うつむく紗雪をそっと引き寄せてハグした。

「これはお主ら人類の問題じゃからな。我は決定を尊重するのみじゃ」

 レヴィアはゲートに迫る月を見ながら眉をひそめ、これから始まる宇宙規模の破滅にぶるっと身震いをした。

 やがて月は瑠璃色のゲートに接触し、ビカビカと激しく明滅する。

 いよいよ始まった地球破壊プロセス。もう誰も止められない。

 英斗はキュッと一文字に口を結び、大罪を犯さざるを得ない自分の運命を呪い、せめて一部始終を目に焼き付けておかねばと大きく息をついた。

 直径3,475mに及ぶ巨大な衛星、月。大宇宙に浮かぶ見慣れたウサギの餅つき模様はやがてゲートへと吸い込まれ、直後、地球のそばに設置されたゲートへと転送されていく。

 秒速一キロメートルで地球の周りをまわっていた月は、その速度のまま地球へと突っ込んでいく。しかし、月のサイズはデカい。衝突までまだ数分はかかるだろう。月の落とす巨大な楕円の影が不気味に太平洋一帯を覆い、これから始まる大惨事の圧倒的なスケールを予感させる。

 英斗は大きく息をつくと、一部始終を見逃すまいとじっと目を凝らした。

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