56. 悪魔の羽

文字数 2,156文字

 地球の四倍のサイズのガスでできた真っ青な巨大惑星。この青の中の氷点下二百度になるダイヤモンドが吹き荒れる嵐の中で、超巨大コンピューターシステムは湯気をもうもうとたてながら地球をシミュレートしていた。

 英斗は自分の選んだ世界の結果がこんなサイバーな構造物になり、地球を街を人を動かしている事実に感嘆する。単に『異世界があったらいいな』と無意識で思っていただけで自分たちの世界がこんなことになるとは全く想像もつかなかった。

 ここで、レヴィアたちの宇宙船が火星に行こうとして、女神に止められた理由に気が付く。そう、女神たちは火星を作っていなかったに違いない。探査機の調査に耐えられるレベルの火星は作ってあったものの、レヴィアたちに暮らされると都合が悪かったのだ。

 しかし、魔王は『女神は金星にいる』と、言っていた。なぜ海王星ではなく金星なのか不思議に思った英斗はさらにメタな視点で海王星を俯瞰(ふかん)していく。そして次の瞬間、ブワッと意識が金星に飛んだ。

 神々しく黄金色に輝く惑星、金星。そしてその衛星軌道に広がる巨大な構造体。それは宇宙空間にまるで悪魔の羽のような巨大な黒いパネルを無数展開し、ぼうっとほんのり赤く光っている。そう、これらもコンピューターシステムだった。

 なんと、海王星はこの金星のコンピューターシステムによって創り出されていたのである。

 つまり、金星のコンピューターシステム上の仮想現実空間で海王星が作られ、海王星で作られたコンピューターシステム上で仮想の地球が作られていたのだ。

 このまるでマトリョーシカのような入れ子構造の世界に、英斗はめまいがした。

 自分は異世界が欲しかっただけなのに、なぜこんなとんでもない複雑な構成になっているのだろうか? きっとこの金星もまた別の星のコンピューターシステムに作られているに違いないのだ。

 英斗はその複雑怪奇な宇宙の構造に気が遠くなり肩をすくめ、首を振る。

「パパ! 急いで!」

 振り向くとついてきたタニアが指さしている。指先には空間の切れ目があった。

 英斗は全てを理解し、うなずく。

 この宇宙は自分の作った情報の世界。分かるということはすなわち自在に動かせるのだ。


       ◇


 英斗は気がつくと、死んで転がっていた遺体の中に戻っていた。吹き飛ばされた頭は元に戻り、心臓もドクンドクンと元気に鼓動を打っている。

 英斗は両手を見つめ、指を動かし、元通りになったことを確認した。瞑想し、単に自分が復活した世界を思い描いただけで本当に生き返ってしまったのだ。世界がこんな仕組みになっていたとは本当にどうかしている、とまるでキツネにつままれたような顔をして英斗は首を振った。

 視線を感じてそちらを見ると、転がされた紗雪が丸い目をして英斗を見つめている。

 英斗はニコッと笑って立ち上がる。

 女神をいたぶっていた魔王は、いきなり英斗が立ち上がったのを見て唖然とする。

「お、おい……。お前なんで生き返ってんだ?」

 しかし、英斗は魔王を無視し、スタスタと紗雪のところまで行った。

「え、英ちゃん……」

 すっかり弱って、涙と血で汚れてしまった綺麗な顔を向ける紗雪。

 英斗は涙ぐんでそっと抱き起し、

「僕が来たからもう大丈夫だよ……」

 そう言いながら、怪我を瞬時に治した。

 うっ……うっ……。

 紗雪は英斗の体温を感じながら嗚咽する。完全に諦めた絶望の中に現れたまさかの温かな希望。落ち着いた英斗の心音を聞きながら紗雪は少しずつ自分を取り戻していった。

 無視された魔王は怒髪天を()く勢いで怒り、

「無視してんじゃねーぞ! ザコが!」

 と、叫びながら腕をビュンと振り、光の刃を撃ち出した。

 光の刃は光の微粒子を辺りにまき散らしながら優雅に宙を舞い、英斗の背中に着弾し大爆発を起こす。

 ズン! という激しい衝撃がシールドいっぱいに響き渡り、漆黒の爆煙がもうもうと上がった。普通の人間なら木っ端みじんである。

「クズは死んどけ! カッハッハ!」

 魔王はいやらしく笑いながら吐き捨てるように言った。

 ところが、爆煙が晴れていくと英斗たちは平然としているではないか。

「な、何だお前は……。やはり特異点か……」

 と、眉をひそめ、思わず後ずさった。

 英斗は魔王の攻撃が効かない宇宙を選んでいる。どういう機序でこうなっているのか英斗も分からないが、もう魔王の攻撃が効くイメージがわかなかった。

 英斗は憂鬱そうな顔をして、

「ねぇ? 魔王って殺した方がいいよね……。でも……」

 と、紗雪に聞いてうなだれる。

 人殺しなんて初めてなのだ。たとえどんな悪人でもその人の未来をすべて切断してしまうということは抵抗があり、戸惑ってしまう。

 紗雪は英斗の顔を見上げ、

「あいつは生かしておいてはダメよ。地獄なら私が落ちるわ……。殺して」

 と、まっすぐな目で英斗を見つめた。

 英斗はしばらくその澄み通ったこげ茶色の瞳を見つめ、

「勇気を……、くれないか?」

 と、泣きそうな顔で頼む。

 紗雪はクスッと笑うと目を閉じて唇を差し出した。

 英斗はそっと唇を重ね、紗雪の柔らかな舌をチロチロと優しくなでた。

 体内に流れ込む紗雪の新鮮なエクソソーム。体中に勇気が沸き起こってくる。

 英斗は戦いに行く時のキスの気持ちを初めて理解したのだった。

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