第10話 富浦、那古、海

文字数 1,021文字

 クソみたいな気持ちで歩いていた。後ろを歩くクソも何も言わない。中等学校に入る頃から、学友たちは奴を評して無口だと言うようになった。笑わせるな、と言いたい。こいつはもとより寡黙なのではない。小さい頃はめちゃくちゃ五月蝿(うるさ)かった。あとよく泣いた。圭は本願寺系の寺の次男坊だった。
 何が圭を、こんなむっつり野郎にしたのかわからない。あるいは生まれ育った寺の空気かもしれなかった。あるいは生まれつき出来た頭が、学校教育を受けて正しく成長したのかもしれなかった。あるいは昔の偉人の、たくさんの伝記や経典の影響かもしれなかった。彼はよく俺を(つら)まえて、宗教や哲学といった小難しい問題で俺を辟易させた。そして常に精進という語を使った。圭の生活は、なるほどその二字で形容するのが最も適当だという感がした。どちらにせよ、圭は俺を苛つかせる天才だということはずっと変わらない。
 今回の旅行だって、まあ、勿論まともな動機も大義名分もあるにはあるけれど、圭を下宿の者から遠ざけたいという目論見も多分に含まれている。圭はもとより鈍い奴だった。それに奴の大好きな道という語は、禁欲という意味をも孕んでいた。圭が進んで静とどうこうなるということは、殆どありえなかった。けれど、俺でない男を見ている女を好きでいるというのは、俺が我慢ならない。だからそうなるリスクは先んじて避けたかった。いやまあ、静が何を思っているかなんて、本当のところは知らないけれど。本当は知る勇気もないのだった。自分が感じていることを言う勇気もまた、ないのだった。本当にクソだ。むしゃくしゃする。
 海に出た。浜は黒い。波は荒いし、石はごろごろしているけれど、これでも海水浴場だから、人がうじゃうじゃといる。日差しが強かった。こんなところではしゃぐ人の気が知れない。いや違う、俺が今最悪の気分だから、そう思うのだ。
「わあ、海」
 今回の旅で飽きるほど見たというのに、圭は相変わらず嬉しそうな声をあげる。これが静だったら、どんなにいいか。さらに嫌なことには、同じことを圭も考えているのではないかという考えが、ふと頭をよぎる。圭は五月蝿くても寡黙でも、ずっと、腹の中では何を考えているかわからないという薄気味悪さをもっていた。やわらかで優しい声と微笑の奥は、まっすぐと深い暗い、大きな穴に通じていた。それが恐ろしくて、苛ついた。その暗闇に、ありもしない幻想をいくつも思い描くくらいには、俺だって神経が参っていた。
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