第11話 ワンチャンダイブ

文字数 687文字

 海水浴場から少し離れたところの、小高くなった岩場を登った。見下ろせば崖だ。崖の淵に近寄って見ると、険しい岩肌を、鋭い錐のような白浪が叩いている。圭が遅れてやって来て、下を覗いてほうとため息をついた。感嘆にも、恐怖にも、安堵にも、聞こえた。
 圭はそこに座り込んだ。俺はすぐそばに立っていたから、いきおいこいつの頭を見下ろすかたちになった。圭は姿勢がわるかった。坐禅を組むように座った、汗の玉が浮くうなじを見ていると、さっきまで最悪だった気分がさらに苛立ってきて、俺はいきなり奴の襟首を掴んだ。圭の頭は無抵抗に揺れた。風が強く吹いて、圭の帽子が波間に消えた。
「このまま海へ、突き落としたらどうする」
 言いながら、さらに強く襟首を揺さぶる。
 ちょうどいい、と、圭は穏やかに言った。
「ちょうどいい。やってくれ」
 と。
 また、風が強く吹いた。急に何もかもがはっきりと鮮明に見えた。おぞましいほど落ち着き払った穏やかな眼。柔らかに笑みのかたちを描いた唇。ゆるく拳をつくったまま、膝の上に自然に置かれた手。圭のこころが俺にすべてをゆるしているのが、はっきりとわかった。底しれぬ海のような、ぽっかりと口をあけた奈落のような。
 俺は手を離した。
 離したあとも、圭は振り返りも、声をあげもせずに、ただじっと座って波を見ていた。
 しばらく経ってから、遅れて寒気がやってきた。そしてその後には、あれは単に、俺には圭に何もできまいという侮りだったのではないかと疑い出した。どちらにせよ、俺が何をしようと一向に響いていかない、超然とした圭の態度が、癪にさわった。
 癪にさわって、同時に、深く傷ついた。
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