第9話 一発殴らせろ

文字数 1,207文字

 昨日とは打って変わってからっからに晴れているから、情緒不安定かよと空に向かって突っ込みたくなる。いや、主に自分に向かって、そう思う。
 なんかすげー、苛々する。ふたりして帽子を被ってひたすらに歩いている。暑い。なんで、一体何が悲しくて、俺はモサい野郎とふたりきりで、房州旅行なんぞしているんだろうという気になってくる。一緒に歩いているのが、たとえば静だったら。
 やめろ。考えるな。余計虚しくなるだけだ。
 というか、と、俺は煽るように水を飲みながら忌々しく考える。もう忘れたのか。全部自分が撒いた種じゃねーか。ざまあ見やがれ、ばーか。
 はあああ、と盛大に溜め息が出る。大丈夫?少し休む?とか、後ろを歩くクソが心配してくるから、ますますげんなりする。
「うっせうっせ。俺よか貴様のがよっぽど弱っちいだろ。せいぜい気張れや」
 うん、と答えた声が少しも凹んだ様子がないから本当にいよいよ殴りたい。そういう自分のことは、もっと殴りたい。
 そう、全部俺が撒いた種だ。圭が勘当され、無理が祟って倒れた時、兄は大丈夫なのか、様子はどうなのか、やはりこちらで引き取ったほうがいいのではないか、兄は何とも教えてくれないから、お前が本当のところを言ってくれろと、それはそれは思い詰めた手紙が圭の妹から届いた。彼女はあまり金銭に余裕のない家へ片付いていたから、俺は万事自分に任せろと、かなり強いことを書いて送った。つまりは意地である。本当に嫌になる。けれどその時は夢中だったのだ。
 そうして、下宿の奥さんに頭を下げて、もうひとり、俺の幼馴染の男を寄宿させては貰えないかと頼み込んだ。あいつはひとりで暮らすうちにどんどん偏屈になるのだと思ったから。それに、叔父の裏切りで傷ついた俺の気分を、あの下宿の空気は溶かしてくれた。同じように、日陰で呻いている圭のこころをも、あの陽だまりはあたためてくれる筈だと期待したのだ。
 はたしてそれは、上手くいっているように見えた。けれどそれと同時に、困ったことも起こってきた。静のことである。
 圭は人一倍我慢強い男だった。確固たる意志を持っていた。勉強も俺の倍はしたし、ぎりぎり下から勘定したほうが速いくらいの成績だった俺とは違って首席だった。神経衰弱で多少棘はあったものの、元来思いやりがあって優しかった。
 というようなことが、急に俺は気に掛かり出した。体格や顔つきすら圭は俺より立派だと思われた。静は俺よりも余計、圭に優しさを振り分けているような気がした。そういうとき、俺は胃の腑が焼き切れるような感情を覚えた。つまりは、嫉妬である。
 はあああ。溜め息が出る。悪態も出る。そんなに嫌なら、はじめから圭を下宿になんか、入れなければ良かったのだ。それをつまらない意地で、きっと俺が面倒見てやるというエゴで、引っ張り込んで、そうして今度は勝手に、嫉妬している。馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。本当に。まじで一発殴らせろ。
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