第12話__名前を聞かせて
文字数 1,472文字
カリッ。
男の歯が、殻 から引きずり出した白い実を齧 る。痩 せた骨から、滑 り落ちるように緩む頬肉 ……ぐるりと眼窩 を転がって、私の体を捉 えた視線。
——来る。
読 み 通 り 、腕ほどの太さをした蔦が一本、水平方向に直進——その後を追って、複数の細い蔦 が襲いかかってきた。
一般的な人間の、光に対する反応速度は〇・二秒から〇・三秒だ。仮に私がそれくらいで動けるとして、法定速度ガン無視の車みたいに突っ込んでくるアレを、この狭い空間の中で避 けきるのは現実的に考えて不可能。
私 は そ れ を 、理 解 し て い る 。
ドッ、と重く熱い衝撃が腹の中心を打ち、内臓を太い鉄柱で串刺しにされたような——そんな感覚が、私の体を貫いた。
「がっ……!」
しかし、いかに覚悟しようとダメージは計り知れない——すーっと頭から血の気が引いて視界が明滅し、映らなくなったテレビのようなノイズが耳を塞 ぐ。行き場を失った血が腸内へと流れ込み、体の隙間をみるみるうちに満たしていく。
突き出された蔦の槍 は、私の腹部を貫通していた。
「うっ、ああっ……!」
ぐ、と傷口の上部に力が加わり、つま先が地面から浮き上がる。反射的に蔦を掴 めば、赤く鋭い棘 が手のひらの肌を裂 いた。腕や足にも細い蔦が絡 みつき、起き上がった男の元へと引き寄せられる。息を吸って吐く、その一度ごとに呼吸が浅くなり、胸を叩く心臓の鼓動 がどんどん速くなっていく。
「ぐっ、ううっ……」
まだ。まだだ。まだ、気を失ってはだめ。アドレナリンが効いているうちは、この痛みもどこか現実味がない。私の肉を抉 り、根こそぎ血を持っていった男は、私の体を目の前にぶら下げた。頭の先からローファーの靴までを眺め、目線はついぞ合わせぬままに言葉を発する。
「藍果ちゃんは、俺のことが……好き、なのか」
「……は」
「だから、俺と話してくれたのか。藍果ちゃんなら、俺のことを」
「……あなた、は」
この男は、知らない。知らないまま、大人になってしまった。この男の発した言葉が、彼自身の憎んでやまない現実だ。
「私の血を吸ったこの実を食べて、束 の間 の夢を見て……私の名前を、知ってるけど。私は、あなたの名前を知らないの」
男が、ハッとしたように目を見開く。
「だか、ら……あなたの名前を、聞かせて。おともだち、か、ら……始めましょう」
男の、揺れていた焦点がはっきりと像を結ぶ。顔を上げて私の目を見た。
「俺の名前は、瑛一郎 ……日向 、瑛一郎だ」
人と仲良くなる方法。対等な関係を築くための、最初の挨拶 。けれど、そのタイミングはとうに過ぎ去り、血溜まりの上に浮いている。この哀しい男は、そのことすら理解していない……のかもしれなかった。
「なら、日向さん、と、呼び……ますね」
もう、意識が持たない。とんでもない激痛の足音が、ひたひたと血を滴 らせながら近づいてくる。おそらく、出血量も限界だ。献血で抜ける量の血はとっくに超えている。残った力を振り絞って、私はその問いを投げかけた。
「日向さん。誰が、お前の主人 か」
男の表情が凍 りつく。壊れかけの機械人形から、歯車が外れた時のように——がくりと口を開けて。
「マガツヒメ」
男がその名を告げた瞬間、私の腹からずるりと蔦が抜け落ちた。露 わになった血濡 れの空洞を、ふっと風が通り抜ける。
枯 れ落ちていく全ての蔦。腕や足の拘束 も消え、私は体の支えを失う。
岩肌へと身を投げ出す最中 ——視界に映ったのは、額 に矢が突き刺さった男の顔。大樹 のように矢をつがえ、私にできた直径二十センチに風を通した弓丸は——その瞳を煌々 とぎらつかせ、静かに弓を下ろした。
男の歯が、
——来る。
一般的な人間の、光に対する反応速度は〇・二秒から〇・三秒だ。仮に私がそれくらいで動けるとして、法定速度ガン無視の車みたいに突っ込んでくるアレを、この狭い空間の中で
ドッ、と重く熱い衝撃が腹の中心を打ち、内臓を太い鉄柱で串刺しにされたような——そんな感覚が、私の体を貫いた。
「がっ……!」
しかし、いかに覚悟しようとダメージは計り知れない——すーっと頭から血の気が引いて視界が明滅し、映らなくなったテレビのようなノイズが耳を
突き出された蔦の
「うっ、ああっ……!」
ぐ、と傷口の上部に力が加わり、つま先が地面から浮き上がる。反射的に蔦を
「ぐっ、ううっ……」
まだ。まだだ。まだ、気を失ってはだめ。アドレナリンが効いているうちは、この痛みもどこか現実味がない。私の肉を
「藍果ちゃんは、俺のことが……好き、なのか」
「……は」
「だから、俺と話してくれたのか。藍果ちゃんなら、俺のことを」
「……あなた、は」
この男は、知らない。知らないまま、大人になってしまった。この男の発した言葉が、彼自身の憎んでやまない現実だ。
「私の血を吸ったこの実を食べて、
男が、ハッとしたように目を見開く。
「だか、ら……あなたの名前を、聞かせて。おともだち、か、ら……始めましょう」
男の、揺れていた焦点がはっきりと像を結ぶ。顔を上げて私の目を見た。
「俺の名前は、
人と仲良くなる方法。対等な関係を築くための、最初の
「なら、日向さん、と、呼び……ますね」
もう、意識が持たない。とんでもない激痛の足音が、ひたひたと血を
「日向さん。誰が、お前の
男の表情が
「マガツヒメ」
男がその名を告げた瞬間、私の腹からずるりと蔦が抜け落ちた。
岩肌へと身を投げ出す