第6話__瀬名の行方
文字数 1,947文字
次の日、瀬名が失踪した。
「藍果先輩……っ」
歩道橋のすぐそばにある、小さな公園の屋根の下。そこのベンチに腰掛けて、私 はびしょ濡 れの靴から垂れる水滴をじっと見つめていた。傘の柄を握りしめ、新聞部の後輩——アヤが駆け寄ってくる。私の前で足を止めると、息せき切って顔を上げた。
「やっぱり、見つかりませんでした」
「……っ、そっか……」
歩道橋から見えていた藤の白は、この大雨に散ってしまった。泥が染み込み、紙屑 のようになった花びらが屍 をさらしている。
瀬名は、一時間目が過ぎても登校してこなかった。朝、家を出た後に消息を絶ったらしく、先生たちも捜索にあたったが、今も変わらず行方不明 のままだ。大雨警報が出たこともあって、学校は十一時前には切り上げられた。
それから、アヤとも手分けして瀬名を探し始め、早くも一時間半だ。瀬名が通っている塾や、よく行っている本屋。私もその近辺を探してみたが、足取りはつかめないままだった。
「……先輩、一回諦めて帰りましょう。雨だって午後からもっとひどくなるみたいですし……学校からも外出は自粛するように言われてるんですから。私たちまで事故にあったりしたら手間が増えます」
「分かってる、分かってるけど……」
「藍果、アヤの言うとおりだ。ここは一旦引こう」
瀬名の失踪に、例の化け蔦 を差し向けてくる犯人が絡んでいないとも言い切れない。それもあって、弓丸も捜索を手伝 ってくれていたのだが。
「確かに、瀬名の失踪が誰かの害意によるものだったら、それは辿 るべき手がかりにもなる。でも、そろそろ探し始めて半刻 以上は経 ってるんだ。ここは相手の出方を窺 った方がいい」
私は、口を引き結んでアヤの顔を見上げた。アヤに弓丸は見えていない。雨風に乱れたショートカットの髪が、白い頬にはりついている。アヤはそれをうっとうしそうに指で払って、私から目をそらした。
「瀬名先輩と、ケンカでもしたんですか」
「……そういうわけじゃ」
「さては図星ですね。困りますよ、仲良くしといてくれないと」
アヤは、こんなときも冷静沈着だ。合理的に状況を判断して、私たちが取るべき行動を示してくれている。私なんかより、ずっと頼りがいがあって、しっかり者で。
「……アヤちゃん。こんなに雨もひどいのに、瀬名のこと、探すの手伝ってくれてありがとう」
「いえ、別に気にしないで」
「付き合わせちゃってごめん」
アヤは、いい子だ。悪口は言わないし、お願いした作業は快く引き受けてくれる。今日 だってわざわざ私のいる教室まで来て、「瀬名先輩のこと、探すの手伝いましょうか」って。
けれど、最近気づいたことがある。アヤは、私たちと話しながら、いつも何か別のことを考えている。アヤの頭の片隅で、絶えず息をしている存在。部活が終われば一分一秒を惜しむように学校を飛び出す理由も、そこにあるような気がしていた。
「ほんとは、帰ってしたいことがあるんじゃない?」
「……藍果先輩」
なんだか、瀬名のことも私のことも、ぞんざいに扱われているようで。普段なら、何も気にしなかったと思う。けれど、今は。
「私、もう少し探してみる。アヤちゃんは、先に帰ってて」
「……分かりました」
そう言って、アヤはその傘を手前側に傾けた。激しく叩 きつける雨、次から次へと伝い落ちる水の滴で、すりガラスのようになったビニール傘が私とアヤとをさえぎる。
不意に、雨が止 んだ。
あれほどひどく降りしきっていた雨粒が、今や一滴も落ちてこない。それなのに、相変わらず空は暗くて、じっとりと墨を吸ったような雲が垂れこめている。急な静寂が辺りを包み、張り詰めた糸のような高音が私の頭の中で響いた。
「あれ、雨……」
アヤはそう呟 きながら、傘をずらして空を見上げる。
土砂崩れのような轟音 が弾 け、アヤの背後、約二メートル後方の地面が割れた。土塊 が飛び散り、砂が舞い、巨大な蔦が地中から飛び出す。バネのように伸び上がり、アヤを覆い尽くそうと襲いかかった。
「こいつか!」
弓丸が叫び、流れるような動作で腰の太刀 を抜き去った。まだ体格の幼い弓丸は、歩幅約五十センチほど——刃先が届くには、一歩の踏み込みじゃ足りない。棘 のついた蔦は、支柱を探り当てたかのようにアヤの手足へと巻きつき、地の割れ目へと引き込む。
「ア、ヤちゃ……っ」
呼びかけようにも声がかすれる。アヤは呆然 と目を見開いて、ビニール傘を取り落とした。弓丸が太刀を振りかぶり、蔦に向かって跳びかかる。
「せ、せんぱ……」
大量の蔦が覆いかぶさり、亀裂の奥へとアヤの体が飲み込まれた。ざん、と地面に突き刺さった太刀の刃先が蔦の一部を断ち切るが、仕留めるには到底及ばない。ビニール傘が地面に落ちて、その透明な表面を泥水が汚す。ほんの一瞬の出来事だった。
「藍果先輩……っ」
歩道橋のすぐそばにある、小さな公園の屋根の下。そこのベンチに腰掛けて、
「やっぱり、見つかりませんでした」
「……っ、そっか……」
歩道橋から見えていた藤の白は、この大雨に散ってしまった。泥が染み込み、
瀬名は、一時間目が過ぎても登校してこなかった。朝、家を出た後に消息を絶ったらしく、先生たちも捜索にあたったが、今も変わらず
それから、アヤとも手分けして瀬名を探し始め、早くも一時間半だ。瀬名が通っている塾や、よく行っている本屋。私もその近辺を探してみたが、足取りはつかめないままだった。
「……先輩、一回諦めて帰りましょう。雨だって午後からもっとひどくなるみたいですし……学校からも外出は自粛するように言われてるんですから。私たちまで事故にあったりしたら手間が増えます」
「分かってる、分かってるけど……」
「藍果、アヤの言うとおりだ。ここは一旦引こう」
瀬名の失踪に、例の化け
「確かに、瀬名の失踪が誰かの害意によるものだったら、それは
私は、口を引き結んでアヤの顔を見上げた。アヤに弓丸は見えていない。雨風に乱れたショートカットの髪が、白い頬にはりついている。アヤはそれをうっとうしそうに指で払って、私から目をそらした。
「瀬名先輩と、ケンカでもしたんですか」
「……そういうわけじゃ」
「さては図星ですね。困りますよ、仲良くしといてくれないと」
アヤは、こんなときも冷静沈着だ。合理的に状況を判断して、私たちが取るべき行動を示してくれている。私なんかより、ずっと頼りがいがあって、しっかり者で。
「……アヤちゃん。こんなに雨もひどいのに、瀬名のこと、探すの手伝ってくれてありがとう」
「いえ、別に気にしないで」
「付き合わせちゃってごめん」
アヤは、いい子だ。悪口は言わないし、お願いした作業は快く引き受けてくれる。
けれど、最近気づいたことがある。アヤは、私たちと話しながら、いつも何か別のことを考えている。アヤの頭の片隅で、絶えず息をしている存在。部活が終われば一分一秒を惜しむように学校を飛び出す理由も、そこにあるような気がしていた。
「ほんとは、帰ってしたいことがあるんじゃない?」
「……藍果先輩」
なんだか、瀬名のことも私のことも、ぞんざいに扱われているようで。普段なら、何も気にしなかったと思う。けれど、今は。
「私、もう少し探してみる。アヤちゃんは、先に帰ってて」
「……分かりました」
そう言って、アヤはその傘を手前側に傾けた。激しく
不意に、雨が
あれほどひどく降りしきっていた雨粒が、今や一滴も落ちてこない。それなのに、相変わらず空は暗くて、じっとりと墨を吸ったような雲が垂れこめている。急な静寂が辺りを包み、張り詰めた糸のような高音が私の頭の中で響いた。
「あれ、雨……」
アヤはそう
土砂崩れのような
「こいつか!」
弓丸が叫び、流れるような動作で腰の
「ア、ヤちゃ……っ」
呼びかけようにも声がかすれる。アヤは
「せ、せんぱ……」
大量の蔦が覆いかぶさり、亀裂の奥へとアヤの体が飲み込まれた。ざん、と地面に突き刺さった太刀の刃先が蔦の一部を断ち切るが、仕留めるには到底及ばない。ビニール傘が地面に落ちて、その透明な表面を泥水が汚す。ほんの一瞬の出来事だった。