第7話__鎮場神社

文字数 2,861文字

「ア、ヤ……」
 消えて、しまった。また、いなくなってしまった。
 ()んでいた雨が再び激しく降り出してきて、水滴に打たれた遊具や砂粒がさざなみのように音を立てる。割れていたはずの地面は綺麗(きれい)に元通りになっていて、アヤの姿も、地面に走った大きな亀裂(きれつ)も、飛び散ったはずの土塊(つちくれ)もない。地面に転がっているビニール傘だけが、ただ静かに雨の滴を受けていた。
 その側で、弓丸が小さく舌打ちをしながら地面に刺さった太刀(たち)を引き抜く。断ち切られた(つた)の切れ端が、毒虫のように(うごめ)いている。
「藍果、守り刀を貸してほしい」
 弓丸の声は聞こえている。けれど、頭の中で言葉が堂々巡りをしていて、一向に喉から出てきてくれない。とりあえずベンチから立ち上がり、自分の傘を差すのも忘れて弓丸の元へと向かった。
 スカートから守り刀を出そうとしたところで、アヤのビニール傘が再び視界に飛び込んでくる。
 血のように散った、砂混じりの泥の跡。
 深く裂けた透明な膜、衝撃で折れた金属の骨。
「ご、め……ごめんね、アヤちゃん……」
 もう、立っていられない。張り詰めていた感情が(せき)を切ったように(あふ)れ出してきて、その場でへたり込んでしまった。靴下に、スカートに、インナーパンツに、雨水が染み込んでくる。
 弓丸はそんな私の隣にしゃがみ込み、淡々とした声で言う。
「……黙ってるんなら、勝手に借りるぞ」
 私がうつむいたままぼんやりしていると、小さな手がスカートのポケットを探った。弓丸が守り刀を取り出し、立ち上がって蔦の切れ端を見下ろす。(さや)から抜いて狙いを定め、(いま)だのたうち回るその断片に守り刀の切っ先を突き立てた。そのまま刀身を貫通させると、蔦の切れ端は締められた魚のように力を失う。
 そして弓丸は、座り込んでいた私を振り向き、こともあろうかその状態の守り刀——まだ蔦の先は細かく痙攣(けいれん)している——を目の前に放り投げた。
「う、うわ、わ」
「拾ってくれ。追撃があったときのために、僕は手を空けておきたい」
 生理的な嫌悪感に顔をしかめつつも、蔦を貫いた守り刀を拾い上げる。
 蔦に生えている棘は、やはりバラよりも太く鋭い。茎の濃緑にうっすらと赤みが差したような色をしていて、その色は先端に向かうほど鮮やかになっていた。昨夜私を襲った化け物と、ほぼ同じものだと見て間違いないだろう。
 水を吸った服は重く、濡れた刀の柄は冷たい。
 想像する。さっき起きたことからも、目の前にある化け物の端くれにも背を向けて、このまま眠ってしまえたら。けれど、柄を握る手に伝わる重みが、私の心を〈今このとき〉に引き戻す。守り刀の重さを手の内に感じながら、ゆっくりと息を吸い、胸のつかえを吐き出した。
「藍果。ついてきてほしいところがある」
 

 公園から五分ほど進んだ先で、小山に面した坂道を上がった。道幅は車が一台通れるくらいで、タイヤ跡を挟むようにして雑草が生えている。勾配は緩やかだが、すぐ横の斜面からはシダや木の枝が飛び出していて、水たまりに気を取られていると頬に当たりそうになる。
「ほら、気をつけて。足元も滑るから」
「う、うん……」
 枝葉が隠してくれるおかげで、傘を差す必要もない。私たちの(ほか)に人影は無く、目に()()るような新緑だけが、雨を受け止め受け流しては(ささや)き声を立てている。
 弓丸が足を止め、斜面に向かって顔を上げた。
 石段が、うっそうと茂った木々の奥へと続いている。わらじを履いたその足で、とったったっ、と軽やかに石段の真ん中を踏んでいき、弓丸は石造りの鳥居をくぐった。そこからさらに数段上がって(きびす)を返すと、鳥居に飛びついてぶら下がる。
「ちょ、ちょっと」
「そんなに驚かないでよ。これくらい、多少身軽な小学生ならできる。いたでしょ、やたら運動神経のいいクラスメイト」
「……まぁ、いた、けど」
「よっと」
 弓丸は勢いをつけて体を引き上げ、鳥居の上から顔を出した。近くには、私の背と同じくらいの石柱がひっそりと(たたず)んでいる。草木に()もれかけてはいるが、その石柱には〈(ちん)()神社〉と刻まれていた。
「僕の(やしろ)へようこそ」

 あの鳥居をくぐってから、百段近く(あが)った先に境内があった。あまり広くはないが、荒れ果てないよう最低限の手入れはしてある、といった様子で、石畳の間にもそれほど雑草は生えていない。ただ、手水舎(ちょうずや)の水は止められていて、柄杓(ひしゃく)も置かれていなかった。
「ねぇ、あの……ここ、本当に入っていいの……?」
「僕がいいって言ってるんだからいいでしょ。すぐに出るけど、これでも羽織ってて」
「あ、ありがと……ってこれ、もしかして鹿の皮!?」
 お社には傷みこそあるものの、このお社が弓丸へのせめてもの(はなむけ)だった、ということが十分に(うかが)える造りだった。そして今、私はそのお社の中で、むしろの上に座って鹿の毛皮を羽織って、蔦の化け物の断片が刺さったままの小刀を持ちながら、弓丸の身支度が終わるのを待っている。かなりカオスな状況だ。
 板張りの床、外と内を仕切る格子戸、火皿に芯が置かれた灯台、箱がいくつか置かれた棚。奥の方は薄暗くてよく見えない。それほど広くはないが、雨風をしのぐには事足りる。鹿の毛皮は暖かい。
「っていや、そうじゃなくて、神主さんに見つかったりとかしたら」
「この神社、神主は特別な祭事でもない限り来ないよ。どうしても気になるんなら、この社全体に朧の術をかけておくけど」
「え、そんなことできるの」
「建物一つ分くらいの範囲なら」
 そう言って弓丸は静かに目を閉じ、「朧月夜(おぼろづきよ)」と(つぶや)いた。たちまち霧のようなものが現れ、水を揺蕩(たゆた)う藻のように私たちの周りを囲う。目を丸くする私の様子に、弓丸は少し口元を緩めて付け加えた。
「これで、たいていの人間はこの社に気づかない。コツは、月も星も輪郭をにじませ、闇に溶け込むような夜——そういう朧月夜を、(まぶた)の裏によく思い浮かべることだ。逆に、術を解くときはただ『まごうものなし』と言って閉じればいい。僕の霊力である血を分け与えた者なら、できたっておかしくはないな」
 ふうん、と単に相槌(あいづち)を打とうとしたところで、はたと思い出した。昨夜の私の脚の治療には、弓丸の血が使われている。
「えっじゃあこれ、私もできたり」
「もっとも、あんな量の血じゃ足りないけど」
「……ねぇ、今引っかけたでしょ」
「さてね」
 弓丸は、話しながらもてきぱきと身支度を進めていく。(くく)(ひも)を引いて袖口を絞り、右手に革製の手袋のようなものを()める。続けて、左腕から肩、胸へと一続きになっている、厚手の布製品を身につけた。それから首元に親指を入れ、水干の衣の下からスーッと紐状(ひもじょう)の何かを引き出す。端が胸元で結ばれていて、その先にはそれぞれ透明な玉が取りつけられていた。弓丸はその首飾りを解いて外し、ブレスレットのようにして右手首に付ける。
「それ何?」
「秘密。もしくは、じきに分かる」
 弓丸が格子戸を開けた。空は暗く、未だ雨は降り続けていたが、さっきよりは雨足が弱まっている。私を振り返ったその少年は、かすかに笑ってこう言った。
「一緒に行こうか、人助け」
 
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登場人物紹介

【名前】藍果

【プロフィール】現代の神奈川県、岐依の国市にある町で、県内一位の公立進学校に通う高校二年生。基本的に明るく振る舞っているが、いつも始業ギリギリに登校している。小学生の頃にあるトラウマを負っており、高校より先の将来を考えることができない。元は活発な性格。

【名前】現時点では不明

【プロフィール】古風な装いをしている。童水干に袴、下は草鞋、艶やかな黒髪を紐で一つに括っている。体温はかなり低く、脈もかなり遅い。虹彩の中にはきらきらとした金色の欠片があり、瞳孔は蛇を連想させる縦長。美少年。

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