第8話__誘う洞穴、あるいは悪癖

文字数 1,331文字

「ただ、その前に」
 弓丸はおもむろに太刀(たち)を抜き、その先で足首の肌を突いた。
「なっ、え……」
 弓丸の柔らかくきめ細やかな肌に、玉のような血が浮かんで太刀の先へと移る。赤い薄衣(うすぎぬ)を身に絡め、薄暗がりで背を向ける白刃。
「それ、外して。下に置いていいから」
 うろたえる(わたし)とは正反対に、弓丸は落ち着き払って太刀で社の外を指した。
「こ、この(つた)のやつ?」
「そう。早く」
 言われた通り、守り刀から蔦の切れ端を取り外して石畳の上に置く。弓丸がその断面に血を垂らせば、蔦の切れ端は水を得た魚のように動き出す。
「うわっ、わっ、わ」
 さながらトカゲの尻尾(しっぽ)だ。雨で湿った地面の上をかなりのスピードで()い、石段の方へと向かっていく。
「追うよ。その先に本体がいる」

 昔あったらしいお堂の跡地。その岩陰に(かく)れていた洞穴の中へと、その蔦は消えていった。
「ここは……」
 入口の上部には太い木の根が張っている。地面が掘り下げられていて、洞穴の高さは百四十センチほど。私が入るには(かが)む必要がありそうだが、弓丸にその必要はなさそうだ。ご丁寧なことに、壁の(くぼ)みには火皿と芯が置かれており、それには火が(とも)されていた。揺れる炎の小さな明かりが、点々と奥へ続いている。
「ねぇ、弓丸……さん、ここに入る……」
 とさっ。かちゃん。
 子どもの体が、地に崩れ落ちたような音。それから、金属の擦れ合う音が。
「弓丸……っ!」
 弓丸は、腰が抜けたようにその場でへたり込み、きゅうっと(すぼ)まった縦長の瞳孔(どうこう)を洞穴の奥へと向けていた。顔面(がんめん)蒼白(そうはく)茫然自失(ぼうぜんじしつ)——元々色白な顔からさらに血の気が引いていて、金色の欠片(かけら)が散る瞳、それを縁取る長いまつげがくっきりと際立つ。まるで人形のようでさえあったが、小刻みに震える肩、切れぎれの呼吸が、そんな戯言(ざれごと)を否定していた。どう見たって普通の状態ではない。
「ねぇ弓丸、ゆっくり息……」
「か、ひゅ、わからない、な、なんで、こんっ……な」
 弓丸が激しく()()む。せめて背をさすってあげようと手を伸ばしたが、にべもなく払われた。弓丸は目を見開いて下を向き、自分の体を手でかき抱くようにしながら(かす)れた声でぽつぽつと(つぶや)く。
「……拒むんだ。この、体は……どういうわけか、ここに入ることを拒否している」
 口元をぬぐって、弓丸は目の前の洞穴を(にら)みつけた。ぽっかりと開いたその空間からは、何の物音も聞こえてこない。ただ、等間隔に奥へと続く小さな炎が、おいでおいでと揺れている。
「……行こう。ここまで来たんだ、逃げられる前に打って出る」
「で、でも、体調悪いんじゃ……」
「大丈夫」
 弓丸は手首につけていたブレスレットから、玉を一つ引き抜いた。それを指に挟み、手品でもするように軽く手を振る。すると、その玉は一本の長い矢に姿を変えた。矢羽の付け根には青い糸が(くく)られており、先端には丹念に(みが)かれた鋭い(やじり)が光っている。
「それ……」
「……僕、神様だからね。こういうこともできるわけ」
 ばた、ばたた、と再び雨足が強まってきて、岩や草木に身を打っては砕け散る。
 弓丸は、その矢を両手で逆手に持ち、ゆっくりと息を吐き出した。矢を握る手が、かすかに震えている。
 まさか!
 私がその手を(つか)むよりも一瞬早く、弓丸は矢の先端を(はかま)の上へと振り下ろした。
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登場人物紹介

【名前】藍果

【プロフィール】現代の神奈川県、岐依の国市にある町で、県内一位の公立進学校に通う高校二年生。基本的に明るく振る舞っているが、いつも始業ギリギリに登校している。小学生の頃にあるトラウマを負っており、高校より先の将来を考えることができない。元は活発な性格。

【名前】現時点では不明

【プロフィール】古風な装いをしている。童水干に袴、下は草鞋、艶やかな黒髪を紐で一つに括っている。体温はかなり低く、脈もかなり遅い。虹彩の中にはきらきらとした金色の欠片があり、瞳孔は蛇を連想させる縦長。美少年。

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