第9話:ハプニング解散、健介の保育園と新型マイコン登場

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 しかし、一方で、石川真澄などは「四十日抗争、ハプニング解散、そして現職首相の総選挙中の死という異常な出来事が1年の間に次々と起きたことが、有権者の政治への興味、関心を高め、投票所に向かわせたことが勝因である」との見解を示している。

 また、一般的には敗北とみなされている前年の衆院選でも、自民党の得票率は回復傾向を見せていた。自民党の勝利は、都市部で投票率が大きく上がり、それがそのまま得票増になったところが大きく、都市住民の自民回帰も指摘された。

 ともあれ、大平の死によって形としては党の一致団結を見せたものの、解散の引き金となった福田・三木派といった反主流派は、ポスト大平において声を上げることが困難となり、大平派の幹部でそれまで総裁候補と認識されていなかった鈴木善幸の後継選出につながった。

 ギリギリの判断で不信任案反対に回った中曽根は後継を逃したものの、この混乱過程で主流派入りを宣言し、行管庁長官という立場でポスト鈴木の最右翼につけることになった。こうして、ハプニング解散は以後の自民党政治の帰趨に大きな影響を与えたといえる。

 やがて1981年となった。昨年1980年12月中旬以降、日本海北部からオホーツク海に進んだ低気圧が発達して停滞し、強い冬型の気圧配置が続いた。このため、日本海側の地方で記録的な大雪となった。

 さらに同年は気温も全国的に平年より低く日照時間の短さも三八豪雪に匹敵するほどだったので、雪が解けず積もり続けるばかりの状態になってしまった。そのため山沿い「特に富山県内や岐阜県飛騨地方」では積雪が1メートル「山間部では3メートル」を超えた。

 その大雪で、着雪や強風による送電線の切断や鉄塔の倒壊が相次ぎ漁船の遭難被害も多発した。マツダは、自動車専用船で富山新港のマツダ岸壁に自動車を運んでいたが、雪の重みで大量の自動車が壊れ、船による輸送から撤退した。

 アメリカでは、1981年夏には、プライムレートは20%を超えた。この空前の高金利によりアメリカは、徐々に不況色を強めた。不況になれば国民の生活は苦しくなるが、同時にインフレも弱まる。アメリカのインフレのピークは、1980年夏。

 金利のピークは、1981年秋ということになるが、想像を絶する高金利が峠を越えるまでに丸2年が費やされたことになります。こうして第2次オイルショックをはさんでアメリカを襲った戦後最大のインフレは収束。

 やがて1982年を迎えた。6月6日、 ロッキード事件全日空ルートの裁判で橋本登美三郎、佐藤孝行の2人に実刑判決が下った。4月から、桜田の長男の健介が、保育園に通い始めた。最初は、母と別れるのが嫌で、お迎えのバスにのる前、必ず、ぐずっていた。

 しかし、仲良しの子ができると、それもいつのまにかなくなった。弟の賢二は、不思議そうな目をして、バスに乗っていく兄を眺めていた。柴山が、昨年1980年に、秋葉原で、PC8001を見て、一部のマニア向けのマシンでしかないと見切った。

 その後、月に1回は、秋葉原のBitINNに顔を出して情報収集をした。PC8001の高価でも売れたので1980年以降、NEC株の株価は、思った通り、急上昇していた。証券会社の担当者からも近いうち、もっと実用性の高いPC8001の上位機種が発売されると噂されていた。

 ちょうど、その頃、富士通からPC8001の対抗機種FM-8が、1981年5月に新発売された。このFM-8の特徴は、5つ、モトローラ8ビットCPU6809をメイン用とサブ用として2個搭載していた。

 世界で初めて大型機並みの64キロビットDRAMをマイコンに採用「64キロバイトの主記憶」を持っていた。漢字キャラクタROM「JIS第1水準漢字2965種,オプション」による日本語表示に高解像度「640×200ドット,1ドット当たり8色指定可能」のカラーグラフィクス

 また、F-BASICに加えて,UCSD-PASCAL、FLEX、CP/M「Z80カードオプション要」などのOS「オペレーション・システム」を提供。外部記憶としてバブルメモリ、128キロバイトのカセットをパソコンで初めて採用。
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