第16話:夏の富士高原と箱根ドライブ

文字数 1,826文字

 柴山が、今年中にNTTの光ファイバーを自宅のマッキントッシュとウインドウズ・パソコンにつなげてインターネットを始めると語った。数年後には、きっと、すごい携帯電話ができると思うと言った。

 ひょっとして、マッキントッシュが、そんなすごい携帯電話を開発し製造販売をするかもしれないと夢のような話をしていた。その時、かなり、酒を飲んでいたので、桜田は、あまり気にも留めていなかった。

 そんな話を長々していると、夕方になってしまい、晩飯も食べて行けと、餅を磯辺焼きにして、味噌汁と一緒に出してくれた。奥さんにお礼を言って、19時には、失礼して、桜田は、家に帰っていった。 

 2000年になるとヤフー株が、1株1億円を超え、2月22日、1億6790万円の最高値を記録。3月4日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが、家庭用ゲーム機「プレイステーション2」を発売。発売後3日間で約98万台を売り上げた。

 東急田園都市線南町田駅前に屋外型アウトレットモール「グランベリーモール」開業し、その中のフランスのスーパーマーケット「カルフール」は開業当初は、日本人のお客さんたちが物珍しさもあって、大勢集まり、長蛇の列をなした。

 その特徴は、ローラースケートを履いて、きびきび移動する店員さんや鳥の丸焼きや店内で焼いたフランスパン、ワイン、キッシュや外国のクッキーなど珍しい菓子類が充実して、価格も手ごろで飛ぶように売れていった。

 桜田夫妻も出かけ見たが、土日の混雑は激しくて、落ち着いてきた10月に、行くようになり、美味しいフランスパン、ワイン、鳥の丸焼き、キッシュや外国のクッキーを買ってきた。

 こうして2000年が終わり2001年となった。今年は、初詣に行った後、桜田良介夫妻は、柴山家を訪ねて、年始の挨拶をした。その時、柴山幹男が、桜田良介を呼んで、ヤフー株が、下げた時に買おうと話した。

 買いだと、思ったら、すぐ電話すると言ってくれた。その話を聞いて、了解と答えた。また、この年、長年、人権侵害や偏見で、苦渋を飲まされていたハンセン病の患者に、明るい陽が、さすことになった。

 その出来事は、強制隔離政策で長年にわたり人権を侵害され続けた元ハンセン病患者が、国の政策の違法性を訴えた「ハンセン病国家賠償訴訟」で、勝訴を勝ち取ったのだ。

 その後、桜田健介から電話が、入り、2001年4月付で、厚木のソニーの研究所から東京の本社に異動することになったと連絡が入った。ソニーの新製品の説明するスタッフとして呼ばれたと話していた。

 2001年5月11日、熊本地裁は、「ハンセン病国家賠償訴訟」で、国の責任を厳しく批判する判決を下し、元患者が全面勝訴した。国は控訴を断念。問題の全面解決を目指すハンセン病補償法が成立した。

 やがて、夏になり、桜田が、今年6月に新発売されたエスティマ・ハイブリッドを諸費用込みで400万円で購入した。それに乗って、7月23日、富士高原をドライブしようと、柴山夫妻を誘った。

 朝、桜田が運転して、柴山の家に8時について、2夫婦、4人を乗せて出かけた。厚木の森の里の桜田の家を出て、七沢、清川村を抜け、宮ケ瀬を通り、国道413号線を左折して道志村方面へ向かった。

 途中、道志村の道の駅で一休みして、10時過ぎには、山中湖へ到着して、湖畔を散歩して、11時すぎに、富士吉田に入り、吉田うどんの店に入って、昼食に、冷たいうどんを食べた。その後、国道139号線を本栖湖方面に向かい、鳴沢氷穴に上着を羽織って入った。

最初は、涼しくて気持ちが良いと思っていたが、だんだんとさくいと思い始めるくらいであった。しかし、足場が悪く洞穴が狭いので、2、30分、涼んでから出てきた。そして売店の信玄餅パフェが、実に美味しい。その後、白糸の滝へ行き、その水しぶきを浴びて涼んできた。

近くにいた人が、ここが、一番美しいのは、やはり紅葉のシーズンだねと語っていた。そして御殿場のホテルに16時過ぎに入り部屋で休んで夕食を食べに行った。その晩は、風呂から上がると、途中で買ってきたビールで乾杯して、いろんな話で盛り上がった。

22時過ぎには、床に入り、翌朝7時前に起きて、ホテル周辺を散歩してから、朝食を食べた。そして、部屋でゆっくりして、9時半ころ出発して、箱根方面に向かった。ガラスの森美術館に入ると女性たちは、レースグラスのエナメル杯と巨大な皿の見て感激していた。
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