第50話:ロシア・サハリンに上陸し観光

文字数 1,727文字

 岸壁では数分バスの到着を待って、乗り込んだ。ヒュンダイ製のバス。岸壁は何の飾りもなく田舎の漁港の雰囲気。バスのそばには野良犬が、何匹か腹ばいになっていた。街中でも犬や猫をたくさん見かけた。

 バスは数十分走った後、ロシア正教の教会に立ち寄った。「聖ニコライ教会」である。金縁の色鮮やかな聖人たちの肖像がそこかしこに細工されていた。4月にタリンでみたロシア正教の肖像を思い出した。

 次に、アイス・アリ−ナの建物に立ち寄った。このロビーには我々のために、臨時にロシア土産店が開かれていた。蜂蜜が人気であった。ここでは、特別に日本円、ドル、ユーロ、もちろんルーブルも使える。

 ここでトイレでちょっとしたトラブル。間違えて照明もついていない廊下をどんどん奥へ皆で進んでしまい、あわてて現地の係り員が飛んできて制止。物品販売の直ぐ目の前にトイレはあったのだ。

 トイレは奥にあるものという潜入観念がそうさせたのだった。次にむかったのが、ロシア側の「戦勝記念公園」へ。戦勝記念公園には、武器を持って戦う兵士の像があちこちに配置されていた。

 我々4人には、戦場に送り出した兵士の母親の悲しげな像のほうが印象的。この像の両翼には多分、サハリンや千島で戦死した兵士の名前を刻んだ名簿碑が長く伸びていた。

 それを見ると、ジーンとして、目が潤んでくるから不思議なものである。その後、緩やかに上っていく道を行くと六本の大きな松の木が、昭和天皇が御手植えされたものだという。

御手植えの松の左手には、勝手の戦争で使われた武器が展示されている。日本統治時代の護国神社跡でした。ここは、緑や花も多くてとてもよく整備されていて、気持ちの良い場所。

 戦車、高射砲、自走砲などの過って使用された武器が展示もされていました。母の像とその両側には戦死者の名簿碑が建っていました。ナターシャさんと「ダスヴィダーニャ」と別れた。

 次は、元日本樺太庁博物館だった「サハリン州郷土史博物館」、建物は瓦屋根、白壁の日本の城の雰囲気、自然史、考古学、先住民文化、歴史、サハリン島・クリール列島の経済についての膨大なコレクションが展示されていた。

 最後に、近代的なショッピング・モールでお買いものタイム。特に買いたいものもなかったので、屋内の、真ん中の広場のような場所でゆっくり。各商店のウインドーの様子を写真に撮ったりした。

 このモールでは日本円はだめだそうで、ルーブルがなければ、クレジット・カード払いになる。まだ、午前中のためか、現地市民の買い物客はチラホラであった。ここから、コルサコフへと一路戻った。

 ユジノサハリンスクの郊外には、例の市民郊外別荘「ダーチャ」が、たくさん立っていました。港に戻り、エンダーボートで沖合のダイヤモンドに帰船したのは昼頃だった。

 昼食を食べて、コルサコフの風景を船からじっくり撮ろうとしたが霧が立ち込め曇天で、良い写真が取れない。17時出港の予定でしたが、ここでも約2時間遅れで出港。これでは到底、利尻富士は見られない。

 夕食をゆっくり、食べてプリンセス・シアターでダイヤモンド・プリンセスの歌手、ダンサー、オーケストラによるエンタテイメント・ショーを楽しみ、部屋に戻り、ナイト・キャップで就寝。

ダイヤモンド・プリンセス号で昨年に続いてクルーズ「第六日目、大正浪漫の漂う北の商都小樽を散策」2016年7月30日 船内新聞の航海日誌はこう記している。

 深夜過ぎ、ダイヤモンド・プリンセスは天亮島から14海里の位置を左舷側に通過し、引き続き小樽に向けて南に進みます。朝水先人の助けを借りて防波堤の間を通過し、勝内埠頭に向けての接岸態勢に入ります。

 夜、乗客の皆様と乗務員全員が乗船し、出航前点検が完了後出港します。その後、水先人が下船し、室蘭へ向けて、最初のうちは北へその後すぐに北西へ進路を定めます。積丹岬を左舷側に通過後、ダイヤモンド・プリンセスは南西へ進路を変更。

 前日深夜に2時間時間を戻したので、今日は実質26時間です。朝の7時前には小樽港に入港態勢に入ったところをデッキ15階から眺めた。その後、朝食、ラジオ体操といつものように、こなして、10時少し前には下船し、
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