松本亜由美

文字数 2,293文字

松本亜由美と付き合い始めたのは高校に入ってからだ。それまでは社交パーティーで面識がある程度だった。
最初に出会ったのが、祖母が亡くなったあのクリスマスイブの日。幼い僕が頑なに彼女との会話を断った。あの時の彼女は僕と似た感じがした。広い会場で大勢の人の中で、孤独であった。今となっては、もうすっかりあちら側の人間に馴染んできたように思えた。
父親同士が仕事上のパートナーみたいな関係であるから、彼女と仲良くするように言われてきた。そのせいで毎年豪奢な誕生日パーティーに参加させられるし、用意されたプレゼントを送らされ、心にもない祝福を言わされた。
同じ高校に入るのは、きっと大人達の都合による物だろう。ある日、彼女が未来の婚約者になると聞かされた。財閥の娘と政治家の息子、絵に描いたような組み合せだった。それからは毎週彼女と一回食事することを強制された。僕は言われたこと以外彼女と関わりたくなかった。だから彼女に対していつも無愛想だった。
政略結婚の相手に、しかもこんな無愛想な男に、さぞ興味はないだろうと高を括っていたが、何故か学校では妙に絡んでくる。相談という名目でどうでもいいことで呼び出されたり、彼女の所属の演劇部の出し物に誘われたり、嫌がらせとしか思えないことを沢山やってくれた。それでも彼女を無下にするわけにはいかないから、付き合わされてきた。傍から見れば仲のいいカップルにでも見えたんだろう。
彼女だって好意を持って僕に接してきたと思わない。多分僕をからかって、反応を楽しんでいると思う。いつかやられたことに対する意趣返しか、それとも単純に弄れ(ひねくれ)た性格の持ち主か、あるいは両方を持ち合わせていたかもしれない。
しかし、彼女と付き合うメリットもあった。彼女との関係がカモフラージュになって、僕と美雪との関係は周囲にそれほど怪しまれずに済んだ。今まで美雪と僕の間でふしだらな噂が沢山あった。松本との交際はそれらの抑制剤になってくれた。
もちろん美雪とは清く正しい関係であった。一緒に通学や出掛けるのを他の生徒に見られて、誤解されて、噂がひとり歩きしてきただけだ。この間映画を見に行く時、腕を組むところを知り合いに見られてびっくりする顔を見た。兄妹の間のスキンシップとして許せる範囲だと思っていたが、次の日からまた妙な噂が出て、甘かったと思い知らせた。
松本の話に戻ろう。今日は例の食事の日じゃないにも関わらず、呼び出された。そのせいでイライラした。
「突然の呼び出しはやめて頂きたい。こっちも都合というもんがあるのだ」
約束のレストランに着き、松本は一足先に着いたようだ。窓際に寄り掛かって、腕を組んで街の様子をつまらなさそうに眺めていたようだ。
「妹とのラブラブ時間に水を差したか?」
開口一番に皮肉が飛んできた。
「要件がないなら帰る。無駄な時間を過ごしたくない」
ちょうどその時ウェイターが来て、注文を伺った。松本は僕の言葉を無視して、勝手に注文して、それから僕を一瞥した。その場の勢いに流されて、僕も何か頼んだ。
「お互いの生活の邪魔にならない約束のはずだ。予約を入れないと困るのだ」
「あなた、どこかの高級ホテルか?」
そう一言言って、彼女もまた外に視線を向けた。いつも自信溢れた微笑みをしていた彼女は今日ずっと無愛想なまま、どこか機嫌が悪そうに見えた。
「ね、あなたと私のような人間を、どう思う?」
「哀れな人間としか思えないよ」
彼女は自嘲気味に笑った。
「あなたもそう言うのね」
それから彼女の長話が始まった。
「あの人とは知り合いのバーで出会ったの。一人で飲んでいたところを話しかけられて、一緒に飲むことにした。彼は近所の大学に通っていたそうだ。私も嘘をついて女子大生であると言った。雰囲気は悪くないから彼と寝た。それからも何回デートして、やることやってきた。そしてある日、彼は将来のことを言い出した。自分の父親が大手企業の課長をやっているそうで、彼も卒業後にコネで入社する予定だった。それで私に結婚を申し出た。馬鹿な男ね。バーで知り合った女に本気を出すとか。私は彼を笑った。彼の父は我が財団の子会社の一中間管理職に過ぎない。そんな身分で私と結婚するなんて、おこがましいと思わない?」
まるで他人の話をしているように、皮肉を混じって彼女は言った。
「それで僕と同じことを言われたか?」
「そうよ」
「この前は学校の先生じゃなかったか?取っ替え引っ替えだね」
「あの男はもっと酷いわ。数回寝ただけで本気になって、私が誰だか知ってて駆け落ちなんて言い出したのよ?本当、とんでもないアホね」
「僕からすれば、君の方が余程おかしいね。身分の違う男達を弄んで、何が楽しいのだか」
「見ての通り私はお家に恵まれてね。金もコネも困らない。人間は自分が持っていない物を欲しがるから、私とて例外ではない」
「一度も手に入れたことがないのに?」
「気分さえ味わえたらいいよ。金持ちの生活は別に嫌いじゃないし、お金がなくなると惨めな人生しか送らないよ。だからその時の雰囲気や気分さえ楽しんでいればいい。この世所詮ゲームのようなもの、持てる者はどこまでも自由を満喫する。お前のようなお馬鹿さんの方が珍しいわ。そうやって生きて何が楽しいの?」
「それは意見の相違だね。お前は肉体的な喜びを追い求めていたが、内面は虚しくて堪らないんじゃないのか?」
彼女は鋭い目つきで僕を睨んで、そしてまたつまらなさそうに外を眺めた。
「あなた、童貞でしょう」
その時、ちょうどウェーターが注文の品を運んできたから、僕は食事に専念した。早く帰りたい一心で、無言で食事を済ませた。
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