物語の終わり

文字数 1,268文字

カイトを見送ってから遠足の気分はどこかへ消えてしまった。しんみりした空気が二人の間に漂って、しばらく思い思いに無言で歩いていた。元の住所に戻って、客室にあるあの絵を取り外して、花畑の方へ持って帰った。
それからユキと二人で以前のように過ごしてきた。外のことはまるで忘れたかのように、帰ってから誰も口にしなかった。彼女は花を植え、一番綺麗に咲くところを絵画にする。俺はその彼女を見て呑気に過ごしながら小説を書き続けた。
ありきたりな日常は、多分最後の時が訪れるまで続いていくだろう。目を開ける度、自分がどんな奇跡の中で生きているか、そのことについて深く感謝している。
懐中時計をしきりに確認することはもうやめた。カウントダウンをしてしまえば平静でいられなくなるかもしれない。ユキと過ごす日々を大事にしたいから、最後まで平静な心でいたい。
それでも、意志とは関係なく、時間経過につれて俺らは若返りしてゆく。大人の姿から少年少女へ、やがて思考、言語や行動をぎりぎり維持できる幼い子供の姿になっていく。それが限界だった。
そしてずっと書いてきた小説もとうとう結末を迎えた。
完成した物語をユキに読んでもらった。書いている途中から読んできたが、彼女はもう一度頭から読み直してくれた。
「感想は?」
「なんというか……悲しい物語だったね。どっちかと言うと、私はハッピーエンドの方が好きかな」
「そうだね。残念だったね」
他人事みたいに相槌した。
「物語の結末って作者のあなた次第じゃないか?書き替える気はないの?」
「それはだめだよ。物語がそこにあって、俺はそれを言語化にするだけだ。勝手に結末を改竄してはいけない」
「真面目だね。せめてヒロインを変えてみない?私、何故かこのヒロインがどうしても好きになれない」
「そりゃあ残念。俺は好きだよ。むしろ愛している」
それを聞いてユキは片眉を上げた。
「何?そのヒロインにヤキモチでも焼いた?」
「もちろん違うわ。ただこんな女がタイプだなんて、意外に思って」
その言葉はブーメランになっていること、彼女は気付かないだろう。
「好きになるのに理由は要らないさ。それこそ(あらかじ)め遺伝子が決めたことで、一目惚れした俺達に言えたことじゃないよ」
それでも彼女は納得できず、首を傾げて考え出した。
「変なの。この物語は初めて読んだ気がしないのは何故かしら?」
「気のせいじゃない?」
ちょうどその時、心の時計の針はカチッと数字盤の12にぴったり指した。
ユキの指先から原稿用紙がすり抜けて床に落ちた。彼女も感じたらしい。
お互い懐中時計を取り出して、確認した。針は寸分違わず12に指していた。
床に散らかって原稿用紙を片付けて、机の上に置いた。名残惜しそうにそれを眺めていたユキにそっと手を差し伸べた。
「時間だ。行こう」
自分の声かどうか疑いたくなるくらい、平坦な声だった。
ユキは頷いて、俺の手を取った。さっきまでの元気がなくなり、どこか落ち込んだ顔をしている。
どんな気持ちだろうと、終わりは目前にあった。
俺らは手を繋いだまま、あの白い霧の向こう側を目指して歩き出した。
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登場人物紹介

井野一樹:政治家の家系に生まれた男の子。幼い頃から厳しい教育を受けており、家族の温もりなどほとんど感じたことがなかった。同じ屋敷に住んでいる静流一家と仲がいい。美雪を意識している。

美雪:故あって一樹と同じ屋敷に住んでいる女の子。一樹の幼馴染に当たる。幼い頃は気弱で泣き虫だったが、ある事故のあと段々感情を外に出せなくなった。典型的なクールビューティーになった。何か考えているかは分からない。

晶(アキラ):美雪の二つ上の兄の一人。一樹の幼馴染でもある。子供の中で一番年上だったから、いつも元気よく、明るく振舞って、皆を導くような役を演じている。双子の光に特に気にかけている。

光(ヒカリ):晶の双子の弟。生まれてから体が弱くて、いつも部屋に篭って本を読んでいる。物事に対し執着しないようだが、家族のことをよく見ている。

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