第2話:幸夫・伯父さんの教え

文字数 2,890文字

 寛太が勉強して株取引が上手になれば儲かるかと聞くと幸夫は、そうだと答え、株投資の方法を聞いてきたので証券会社に口座を作って、お金を入れて、例えば、トヨタ自動車株を100株、500円で買うと言うと100*500=50000、5万円でトヨタ株を買ってくれる。それが1000円になり手数料が1000円とすると100*「「1000-500」-1000」=3.9万円、これが儲けになる。

 でも、もし500円で買って300円になった場合は、100*「300-500」-1000=-2.1万円、つまり2万円千円の損をする事になる。そうか面白そうだなと言いでも投資した会社が儲かりそうか、その会社の株価が高いのか安いのか知らないとだめだ。そのためには相当勉強しなければできないと言い、勉強したいなら入門書を貸してやるぞと言ってくれ、借してもらった。また、わかんないことあれば聞け教えてやるからと優しく言ってくれた。

 その時には頼みますと言い3冊の本を借りていった。5月末、北海道にも桜の季節がやってきて後を追っかけ多くの花達が競い合う様に一斉に咲き一番美しい季節を迎えた。寛太は、その後も朝早く起きて漁協へ行き一生懸命、働いた。漁港の食堂や皆さんの差入で何とか食べるものには困らないが、それ以外に使えるお金がなく全て食費でなくなってしまう生活が続いた。

 見かねた漁協の女将さん達が自分の子供の服を寄付して嵐山家の子供達を応援してくれた。彼らの持っている子供服やカバン使えそうな物は全て寄付してくれた。やがて夏、しかし北海道の夏は、あっという間に過ぎ去り涼しくなる。次第に寒い風に変わり、時雨れると12月。父を亡くした悲しい年1968年が終わり1969年を迎えた。冬は雪と風で漁協も仕事がなく家にいる日が多くなった。

 寛太はと言えば幸夫おじさんの家に毎日の用意通い、いろんな話を聞き、株投資関連の本も
何冊も読んで株投資についても、どんなものかと言う輪郭がわかった。そして幸夫おじさんから金のためかたを教えてもらう様になった。7万円の給料が入ったとして、それを、どう使うと寛太に聞くと、必要ものを買うと答えた。必要なものが8万円だったら、どうすると、更に質問すると、俺は人に金借りるの嫌だから1万円分は我慢すると言った。

 そうか、それは偉い、でも、それじゃ、いつになっても金貯まらないじゃないかと言うと、そりゃそうだと寛太が言い、幸夫が、そういう時は、必要最低限しか使わないで5万円で生活するんだ。そうすると毎月2万円ずつ金ができて4ヶ月で8万円、1ケ月給料以上の金が貯まるじゃないかと言った。寛太が、でも我慢しないとできないと言った。

 そこだよ金を貯めるには、どれだけ我慢するかと言う事なんだと教えた。また人の嫌がる事を率先してやれと言った。理由は人は自分にとってありがたい事をしてくれれば必ず恩義に感じ、恩義に報いてくれんだ。それが、お金だったり食べ物だったり着るもの使うものだったりするんだ。そういうのを親切貯金と言って自然に入ってくるありがたいお金なんだと教えた。

 わかった明日から意識して人の嫌がる仕事をすると言い、翌週から多少の雪でも朝一番に漁協にでるように意識して人の嫌がる仕事を率先して始めた。すると亡くなった嵐山の所の寛太は偉い奴だと評判になり始め漁協が休みの時でも食堂とか近くの商店で手伝ってとお呼びがかかる様になった。そのため手間賃をくれるようになり、幸夫おじさんの言うとおりだと思い、その賢さに驚かされた。その週の休日も、幸夫おじさんの所へ行き、先週の出来事を報告した。

すると偉いぞと誉めてくれ、次に新しいノートを持って来て出納帳というものをつけるようにして自分の財産の管理をしろと教えてくれた。株投資も同じ方法でやれば良いと言い18歳になったら株投資を始めようかと言った。それまで頑張って、お金を貯める様にするよと答え、寛太は翌週から出納帳をつけ始めた。かかったお金と買った品物を別に書き込む様にし寛太は妹の和子に、お前は高校に通って、しっかり勉強しろと言い金の事は何とかするからと励ました。

 和子は中学でも優秀で苫小牧東高校へ合格し合格祝いに幸夫おじさんがすき焼き肉を買ってきてくれコロッケ、メンチなど揚げ物をいっぱい持って来てくれた。また定期的に30kgの玄米を買って米店から運ばせた。これには安江も、いつもすまねえとお礼を言った。また今年も桜、花の季節がきて短い夏が過ぎて秋が来て1年が終わり1970年を迎えた。幸夫おじさんの所へ行った時、今までの出納帳を見せてと言うので渡した。

 それを見た幸夫が言った通りに8万円の給料で2万円を使わずに貯めて1年24万円、その他、漁協以外で30万円が貯まったねと誉めてくれた。次に寛太に出納帳をつけ始めて気づいた事は何かと質問すると我慢の大切さに気づいたと言い人の嫌がる事を率先してする様になると食堂や他の家で手伝ってくれと言われ、お小遣い稼ぎができることを学んだと答えた。幸夫が、これが金儲けの基本だと言った。

 これからは、どうしたら他人が、お金を気持ち良く出してもらえるかを、よく観察して考えて行けと助言された。夏にな料理、たまには出かけようと苫小牧から新冠のサラブレッドに牧場に行った。美味しいアイスクリームや食事をご馳走になったが、寛太が、もう一つ浮かない顔をしていたので幸夫が訳を聞くと何か俺1人だけ良い思いをして残りの家族に悪い気がしたと言うと、あまりに可愛い事と言うので、思わず幸夫は寛太を強く抱きしめた。

 そして、お前は本当に優しい子だなと誉めた。寛太も親父をなくてし、ずーっと世話になって幸夫が本当の親父の様な気がして涙をこぼした。夕方、日が暮れる前に汽車で苫小牧に帰り幸夫は嵐山家に、いっぱいの豚肉と野菜と焼きそばを買い込んで今晩は焼きそばパーティーをするぞと言い、安江さんが材料を切って隣で幸夫おじさんがフライパンで焼きそばを作っては大皿にもりつけてテーブルに出したが作た。

 焼きそばが大皿に盛られると、あっという間に子供達の胃袋の中へ入っていき、4回作って、やっと満腹になった様で箸が動きが鈍くなった。そこで安江と幸夫おじさんが食卓に座り食べ始め、いつも悪いねと、安江が幸夫おじさんに言った。そして食事を終えて、また来るねと言って幸夫おじさんが帰って行った。寛太が風呂に入り今日の出来事を母に話した。すると母が幸夫おじさんの事を寛太に話し始めた。

 幸夫おじさんは小学校時代から賢くて中学でも首席で卒業して高校は苫小牧東高校に入り北海道大学経済学部に入り北海道拓殖銀行に勤めた。しかし融資問題で銀行の仕事の仕方に不信感をいだき40歳の時「1967年」の時、銀行を退社した。なんでも融資した先の商店の商売が危なくなったので銀行の融資した金を回収するように命じられ、融資の回収の話で店を訪ねると、店主が店の奥の部屋で首つり自殺していたらしいんだ。
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