第12話::日本初のインターネット関連株

文字数 2,436文字

 そんな1997年1月に寛太が幸夫の部屋に呼ばれ、今年3月にヤフーという日本初のインターネット関連株が上場するので投資しないかと持ちかけられた。もし化けたら大きな儲けになると説明され一緒に買いを入れ1997年11月に1株200万円を寛太と幸夫が1株200万円で買った。これが大当たりして1999年11月には何と6億5千万円にり売った。

 これにより、とんでもない資産を作り更に、かなり前1978年1月に購入したセブンイレブン株が11倍の分割で1万株が11万株になり1960円で売却でき2億2千万円の利益を得て2人の資産合計が10.3億円と天文学的な金額になり幸夫さんに借りた金5千万円を返すと申し出たが、いらないと言われた。

 その後、幸夫は自分の資産を安江、寛太、好恵、鉄郎、仁美の口座を利用して毎年1200万円ずつ移動し始めた。1997年3月12日、良三の長男、良一が誕生した。その後、幸夫が良三に金は貸すから内科医院を開業しないかと持ちかけ、幸夫と寛太が良三に1億円の融資の書類を作成し融資すると開業するなら苫小牧よりも大都会、札幌の方が良いと言った。

 2000年に入り2月22日ヤフージャパンが1億6790万円の最高値を記録したが日本株のピークだったようで、その後バブルがはじけて急激に株の大きなが下げの波が押し寄せ、3月31日-4月27日 光通信、20営業日連続ストップ安という下げの新記録をつくった。光通信の信用の失墜は光通信の関連企業だけでなく日本のIT業界全体に波及し他ITベンチャーの株価まで急落させる事態になった。

 日本のITバブル崩壊は光通信の架空契約発覚が原因とは言え、関連するITバブル銘柄、光通信、ヤフーソフトバンク、楽天の株が暴落しで大損した投資家が増えた。また米国では2000年度年間売上高1110億ドル、全米第7位、2001年の社員数2万名という全米でも有数の大企業であったエンロンが巨額の不正経理・不正取引による粉飾決算が明るみに出て2001年12月に破綻に追い込まれたエンロンショック。

 破綻時の負債総額は諸説あるが少なくとも310億ドル、簿外債務を含めると400億ドルを超えていたのではないかとも言われた。その後2001年を迎え、この頃から日本の都市部を中心に急に地価が下がりだし、それを見て寛太は2001年2月に札幌の不動産屋を回って売りビルを探すとバブル崩壊で地価が下がり売れ残るビルも出てきたと言われたので5、6階建、駅から近く便の良いところで売れなくて困ってる物件を安く買って欲しいと言った。

 いくつかの物件情報が届いた、その中で札幌駅と苗穂駅の間で札幌厚生病院近くに土地100坪で6階建ての建坪500坪、築2年の物件が2億円で出ていたが、現状渡しで1.5億円なら交渉できるとと言ったので2月20日の日曜日、寛太と幸夫と良三で見に言った。交通の便話悪くないが診療所をつくるには工事が必要になると言った。

 不動産屋との交渉で1.5億円なら売買交渉に乗ると答え不動産屋が了解したと答えて交渉に入ると言い、翌週の週末に電話で交渉が決着し1.5億円で販売契約できたというので2月27日、日曜日に、寛太と幸夫で札幌の不動産を訪ね書類を揃えてきたので幸夫が売買手数料が500万円上乗せし1.55億円と書いてあったの1.5億円でないと駄目だと言った。

 すると不動産屋が手数料いただくのは当たり前だ言い返してきたので私は1.5億円というので
契約すると言ったので何とかしろ契約書を突っ返し、支払い方法はと聞くので現金で払うと言うと、ちょっと待ってと言い、数分後了解しました1.5億円で結構ですと契約書を書き換えてきた。その契約書にハンコをついて不動産会社の銀行口座に1週間以内に入金すると言った。

 もう一度、そのビルを確認しに行きゴミやいらないものが入り口近くにあり各階にもゴミがあったので明け渡しまでにゴミやいらないもの看板等は全部撤去するように指示すると、いつまでですかというので今月中にやってくれと言うと了解しましたと言われ、札幌を後に帰路についた。2001年3月には寛太の息子の鉄郎が苫小牧東高校に合格した。

 1年生で数学、理科は学年トップの成績で東大か東工大を目指せると先生に言われる位で土日に、このビルの進学塾に通う様になり一生懸命に勉強をして更に成績を上げた。その後、良三に4月からでも診療所を開設できると事が、わかり病院や大学の仲間と相談して3月までには連絡すると言い、この話を、長女の和子と亭主の東出浩一に話すと、面白いかも知れない。

 一生、学校の先生で終わるのも味気ないと思っていた様で札幌なら進学塾も生徒が集まりやすいから検討させて欲しいと東出浩一の方が積極的に話に乗ってきた。2月になって良三の方から1フロアー貸してもらってクリニックを4人でやろうという話がまとまったのでフロアーの工事の打ち合わせを2月中旬から始め3月中頃に終わらせ4月1日からの診療開始、遅くとも4月中の開院で行きたいと言ってきた。

 幸夫が工事代金は良三達で支払うと言う事で良いのかと聞くと、みんなに確認してみると言い数日後、彼らで支払うと連絡があり工事の打ち合わせをして開始した。東出浩一の方は2002年4月までに結論出すのは難しいと言い、夏位までに結論出すと言い1フロアーを借りる方法で話を進めてみると言うので幸夫が了解した。賃料は特別に最初は月20万円と言うと良三が了解しましたと言った。

 その後、幸夫が寛太に札幌のビルで投資教室を開かないかと言い始めた。それは面白いかも知れないねと寛太が言い3月下旬になり良三が奥さんの看護婦の博子さんも参加しないかと聞いた所、まだ病院で勤めたいと言ったので了解した様だ。株の方ではヤフー株の下げ止まりとみて寛太が1千万円購入し残金が10.2億円となった。
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