第11話:北海道をドライブ2

文字数 2,538文字

 6月は苫小牧から南下し函館まで足を伸ばし、夜遅く苫小牧に帰ってきた。2人交代で運転すると楽だと幸夫おじさんが言い8月は朝早く起きて富良野のラベンダー畑へを見に行きラベンダーを初めて見た君恵は、わー素敵と多くの写真を撮り、9月は千歳経由で帯広へ、10月は札幌へ行き狸小路や円山公園を散歩して楽しんだ。
 
 今年は11月から雪が降り出し家にこもる日が多くなり年の瀬を迎え、また1989年が明けた。今年は初詣に行き鉄郎、家族や仲間達の健康を祈願し新年会で良三が王子総合病院に就職できるかも知れないと言い、北海大学付属病院から出たくない医者が多い様で、もし今年、王子総合病院に就職できたら良いんだけれどと抱負を述べていた。

 長女の和子も苫小牧東高校の国語の教師が長くなってきたが、やはり札幌周辺の高校を希望する先生が多い様で、お陰で長くいられると話してくれた。3月になりトヨタ株が上昇して来て2400円の売り指値を入れて待つと4月に売れて1565万円の儲けで残金が2165万円になった。今年は、5月の連休に、幸夫さんのお誘いで寛太と好恵と鉄郎と一緒に函館から松前、江差をまわって登別の温泉に一泊して帰ってきた。

 8月には富良野のラベンダー畑を見て美瑛の美しい丘を散策し旭川に宿泊し稚内まで行き帰りは札幌に宿泊して苫小牧に帰った。9月に入りソニー株が上昇し始め4300円で売り指し値し売れ2964万円の利益で、残金が5129万円となった。近くの幼稚園に空きが出て長男の鉄郎が入園し、最初は母の好恵と別れるのをいやがって、ぐずっていたが、入園して2ケ月すると、幼稚園で友達ができ楽しみに通うようになった。

 雪が降り始め1990年2月に株価が大きく下げた。2月23日には936円安の終値3万4891円,2月26日には1569円安の終値3万3322円と不安な幕開けだった。10月には遂に2万円割れまで大きく下げた。世界情勢も混沌としており8月にイラク軍がクウェートに侵攻した。また10月3日、ドイツにとっては記念すべき東・西ドイツの統一が実現した。

 日本では株価低迷とともに銀行の合併が多く行われ始め景気低迷を象徴する出来事だった。その後、日本中が重苦しい雰囲気で1991年を迎え1月17日クエートで湾岸戦争が勃発し日本でも多くの時間を割いて報道した。6月3日には雲仙普賢岳で火砕流発生で死者・行方不明43人となった。嵐山家では、寛太の息子・鉄郎が小学校に入学した。

 株価低迷の中、ソニー株が下げてるのをみて1991年10月にソニー株1200円で100株を購入し残金が3929円となった。やがて1992年が明け、この年も日本株が低迷し静かに大蔵省主導元に国民に知られずに、密かに多くの地方の脆弱な銀行が次々に救済合併という名の元に倒産して行き、政治、経済は自分たちの国の運営の失敗を国民に知られない様に帳消しに後々、そのツケを国民に払わせる下準備をするという時代だった。

 米国では黒人差別に反対してロサンゼルスで黒人暴動が起き、日本も世界も人々の鬱積した不満がたまり時に爆発するという不安定な情勢だった。その後1992年となり6月に長女の和子38才が同じ苫小牧東高校に勤める数学教師、東出浩一42才と結婚し安江の家から出て行った。この年も株価低迷で下げてきたトヨタ株を1992年2月に1300円で1万株買い、残金が2629万円となった。

 この年に嵐山家の実家で母、安江の父、嵐山太郎82才が11月に脳溢血で入院していたが死去し、その後、彼の奥さん嵐山聡子は実家を出て寛太の家に入ってきて、寛太の家は、聡子、安江、寛太、和子、二郎、良三、鉄郎の8人の大家族になり、安江の家での仕事が増えて港での仕事ができなくなった。その後1993年を迎え 欧州経済共同体に加盟する12か国による世界最大の単一市場・EUが出現した。

 1993年は6月に三男の良三、1957生、36才が同じ王子総合病院に勤める看護婦、山田博子、1971生、22才と結婚し1973年9月22日に長女、早苗が誕生した。その後、やっと1994年に株価が上昇し始め、寛太は1994年3月にソニー株1万株3100万円で売り1800万円の利益で残金4434万円。

 1994年6月16日には寛太と好恵の間に長女、仁美が誕生し、この2年で2人の孫誕生に安江の母、聡子、1913年生、81才も、忙しく安江と一緒に2人の孫の面倒をみる様になり元気を取り戻した。翌年1995年にソニー株が下げてきたので1995年3月にソニー株1万株を1880円で買い指値を入れて買い残金2554万円。

 この頃には幸夫おじさんの株のもうけが大きくなり寛太たちが以前、住んでいた家を壊して新しく大きな5LDKの大きな家を寛太と折半で建てた。この家は5月に契約して8月に完成し、10月には寛太の家族4人と離れを幸夫の書斎と寝室として住む様になり、こうして安江の住む家が少し広くなったので、長女の和子も泊まりに来るようになった。

 1996年4月に三男の良三の3人家族が王子総合病院の社宅に空きが出たので、そちらに引っ越していった。すると長女の和子夫婦が引っ越して安江の家に入ってきて家事を手伝う様になり、その年の9月に良三が急に結婚すると3才年下の彼女、柳田智子さんを母の安江に紹介するために嵐山家に連れてきた。

 安江が、もしかして智子さん、おめでたと聞くと恥ずかしいんですが妊娠4ヶ月
ですと言うと、結婚式はいつにするのと言うので身内だけで来月あげたいのですが
と言い10月17日、近くの結婚式場で結婚式を挙げた。和子が家事を手伝う様に
なり安江は随分、楽になり港での仕事を再開した。

 和子と亭主の東出浩一は寛太の長男、鉄郎、小学校5年生の勉強を見てやり一層懸命に勉強し1997年になり鉄郎は地元の公立中学に通い始め和子と亭主の東出浩一は安江の家の8畳の部屋で週に4日、国語、英語、数学の塾を開いて、月6万ずつ、安江に支払う様になっり、その時に鉄郎も無料で勉強を教えてもらい、鉄郎は特に数学に興味を持ち成績も上がった。
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