第15話:鉄郎、東大出てNTTドコモに就職

文字数 2,672文字

 この頃に光ファイバーのインターネットの速度が100Mbps時代を迎え札幌のビルでも使われ始め幸雄たちも証券会社も大手証券からネット証券に切り替えた。株式市場がネット関連株中心に上昇し2005年11月にヤフーを18400万円で売り16530の利益を得て残金が11.3億円になり、やがて12月になり2006年があけた。

2006年には幸夫おじさんと母の安江さんは、こちらの快適さに負けて10月から3月までは沖縄・那覇で過ごし4月から6月は横浜で過ごすようになった。息子の哲郎は、この2人の老人がタクシーで3分で横浜駅、また10分で元町、中華街、みなとみらい21、山下公園などどこでも行けてレストランも洋食から中華、和食まで旨い店も多く景色も良く、こちらに住む様になるのをよくわかる気がした。

 この年にシティバンクの札幌支店が閉鎖されると言う情報が入り、そこで寛太が幸夫の許可を得て投資関連の事務所の閉鎖を3月に決めた。ちょうどその頃、良三の友人の整形外科医がクリニックを探しており、このビルの4階を使いたいとい言う情報が入り寛太が整形外科を開業したがっている小平昇平を紹介してくれ月30万円の家賃で貸すことにした。

 その後、やむなくシティバンクから他の日本の銀行をメインバンクにする事にした。ただシティバンクが世界中の投資情報や、ヘッジファンド、海外支店での口座開設、プライベートバンク情報など、今まで知ることができない貴重な情報を教えてくれ、また更に勉強会で、より詳しい情報を提供してくれたのは、大変助かった。日本の財務省「旧大蔵省」は余計な入れ智惠をするなとばかりに数回にわたる行政処分をかした。

 日本を再び金融鎖国の状態にして取れる所から手当たり次第に税金を取るという悪代官ぶりを益々、発揮した。その後も日本国民に知られない様に水面下で毎年、数十行の銀行の救済合併という名の銀行倒産がおきて日本経済が益々収縮した。この年2007年にシティバンクは日本の三井住友系の銀行に日本の全支店、ATM、従業員を売却して個人向け営業から撤退した。

 ただ東京支店と企業向けの営業は継続しており一部の大口顧客は例外的に取引をしていた。その他、寛太の息子の鉄郎が3月に東大工学部を卒業し4月にNTTドコモに入社してスマートフォンのプログラムの研究をする部署に配属され、月に寛太と君恵が横浜のマンションに行き鉄郎に就職祝いの話をすると子供じゃないんだから、いらないと言い月10万円の仕送りでやって行けると話した。

 今は、この豪華な広いマンションに住んでいて経費は全て親父の支払いになっているので
大丈夫だと言い、むしろ感謝してると言った。2007年10月、母の安江さんと幸夫おじさんは、那覇から石垣島、西表島、竹富島では牛車に引かれて島を回り星の砂を買ってきた。また来年は、石垣島の先の波照間島、与那国島も行ってみたいと考えた。その他、宮古島、久米島、座間味島にも興味を持ったらしい。

 マンションを購入した不動産屋の人と仲良くなり、海釣りに連れって言ったもらったのが、随分うれしかったようで北海道に帰ってきても、みんなに話していた。幸夫おじさんは苫小牧でも横浜、那覇のマンションを嵐山家のファミリーに解放して出かける予定をカレンダーに書いてもらい行く前にマンションのキーを渡す様になった。

 無料と言う訳にはいかないと言うので1人1泊5千円をいただく事にした。投資の方では2001年に買った1千万円分のチャイナファンドが急上昇したので2007年10月に6500万円で売却できた。2008年には、2001年から幸雄さんの資金を寛太の口座に動かし続けて、
既に、寛太の資金の方が幸雄の資金よりも多くなり、そこで銀行口座を他の国内大手銀行に移す事になった。

 2008年5月に寛太と妹の好恵と長女の仁美が3泊4日で出かけ、沖縄の名所、ちゅらうみ水族館やパイナップルガーデンや「ひめゆりの塔」、「平和祈念資料館」を見て回った。那覇市内では、大きなビーフステーキや、そうきそばを食べ楽しんで、あっと言うの4日間だった。8月の夏休みは和子と二郎夫婦と那覇へ6泊7日で出かけた。

 その後、安江と好恵が横浜へ出かけ鉄郎が久しぶりに会った妹の好恵を見て一人前になったねと笑った。鉄郎がレンタカーを借りて三崎、油壺水族館、横須賀、八景島シーパラダイスに連れて行ってくれた。また好恵のたっての願いだった東京ディズニーランドとディズニーシーにも行ってくれ、山下公園、横浜港、海の見える丘公園、外人墓地がすっかり気に入ったようで、また来年も来たいと話していた。

 その後、また今年も、幸夫と安江は10月から3月末まで沖縄・那覇に滞在して離島巡りを楽しんでいた。11月5日に寛太が鉄郎に日本SHLを370円で370万円分、買う様に指示し、その後、買えたと連絡が入った今年は11月に君江と和子と好恵と二郎が3泊4日でやってき、年末年始に良三と奥さんの博子さんが4泊5日で遊びに来た。やがて2009年になった。株では2009年2月に寛太が鉄郎にBSPを380円で380万円分買う様に指示。

 数日後買えたと連絡が入った。幸夫と安江は4月から6月は横浜で過ごすようになった。4月15日に鉄郎が自分と同じ年の彼女、重田小百合さんを連れてきた。鉄郎の話によると同じNTTドコモの研究開発に勤務しているようで、東京の世田谷のお嬢さんだと紹介された。5月には2人で鉄郎の両親、嵐山寛太と君恵に会いに苫小牧を訪問した。感じの良い、品の良い、お嬢様と行った感じだった。

できたら今年中に結婚したいと鉄郎が切り出した。母の君恵は私たちは構わないけど小百合さんのご両親は何て言ってるのと聞くと世田谷のお宅を数回訪問して結婚の承諾はもらっていると言った。して子供ができたら引っ越すから結婚しても横浜のマンションに当分いさせて欲しいと言うので了解した。数日後10月10日に横浜のホテルニューグランドで挙式をあげると連絡が入った。

 寛太と君恵と鉄郎の妹の仁美と幸夫おじさんと、おばあちゃんの安江さんの6人が出席する事になり、10月8日から11日に横浜のマンションに6人で泊まり観光をかねて出かけた。その後、幸夫と安江は那覇のマンションへ出かけて、2009年は、長男、鉄郎の結婚という大きなイベントで終了し、2010年になり、この年も幸夫と安江は那覇のマンションへ出かけた。
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