第1話 あらすじと執筆への想い

文字数 3,658文字

『坂東の風』のあらすじをごく簡単に述べる。

◎幼年編
武蔵の草原(かやはら)郷で育っていた、藤原秀郷の落とし胤・千寿丸(藤原千方)。14才の春、父親ほどに歳の離れた兄・千常が迎えに来た。父に対面出来るのかと思ったが、下野(しもつけ)の山中の蝦夷の隠れ郷にほうりこまれ、そこで、三年間修行させられる事になる。

隠れ郷の民は、昔、蝦夷の英雄・阿弖流為が坂上田村麻呂に降伏する際に逃れさせた、娘婿の血を引く一族だった。
郷長の息子・古能代は、秀郷の密命を受けて、平将門を殺した男であるが、その秘密が明らかになるのは後半に入ってからだ。
古能代の妻は、陸奥の胆沢(いさわ)に住む蝦夷の族長・安倍忠頼の姉である。古能代が郷長を継ぐに当たり、胆沢に居る妻子を迎えに行くことになり、千方もそれに同行する事になった。

陸奥で力を養いつつある俘囚(蝦夷)社会の実態を見て千方は下野(しもつけ)に戻る。成人し、千常に付いて色々な経験を積んだ千方は、秀郷から信濃の望月家の内紛を収めて来るよう命じられる。千方は、見事期待に応えて内紛を収めて、危機にあった信濃望月家を救う。

◎成年編
武蔵の草原(かやはら)に戻った千方は、都にいる長兄・千晴の私領の管理などをして過していたが、ある時、都に運ぶ荷駄を武蔵権守・源満仲が強奪しようとしていると言う情報を得る。

夜叉丸・秋天丸の二人の郎等を従えた千方は、相模の山中で待ち伏せしていた男達を、事前に襲って皆殺しにしてしまった。その男達とは、満仲が都から呼び寄せた者達で、弟・満季の郎等四人と雇ったならず者達だった。
これが、千方と満仲・満季兄弟の確執となり、果てしない争いを齎すことになる。

千方は武蔵権守・満仲に呼び出され色々聞かれるが、切り抜ける。荷駄を奪おうとしたのは満仲の方である。国司が強盗の真似を何故するかと言えば、一言で言って、そう言う時代だったのだ。満仲が荷駄を奪おうとしたのだと言うことが明らかになれば、流石にまずい筈だが、千方達は、襲って来た賊を殺したのではない。荷駄の列を襲おうと待ち構えていた者達を、逆に襲って殺してしまったのだ。満仲の手の者が荷駄を襲おうとしていたとの証が無く、逆にそにの者達を殺したのが千方達と分かれば、単なる人殺しとされてしまう。

満仲との対面で尻尾は掴まれなかったが、千方は用心しながら、草原(かやはら)で過ごしていた。
そんな折、正任の武蔵守が決まり、満仲は都に戻る事となった。ほっとするところだが、間が悪く、長兄の千晴に呼ばれて、千方も上洛することになる。

千方の都での生活は、長兄・千晴の舘での居候として始まる。しかし、証拠は掴めないものの、相模で荷駄の列を襲おうとしていた満季の配下を殺したのは千方であると確信している満仲・満季兄弟が常に命を狙っている為、古能代と配下の者達は、洛中に別に隠れ家を設けて千方の護衛に当たっている。

やがて、兄の執り成しで千方も源高明の従者として働く事になる。この辺りから朝廷上層部の動きと(あるじ)・高明の立場を描く。

そして、左大臣・源高明が藤原摂関家の罠に嵌り、権力を失ったばかりでなく、失脚し大宰権帥として大宰府行きを命じられる『安和の変』を描く。
この変に際して兄・千晴は、検非違使となっていた源満季に捕らえられた。高明謀反をでっち上げて。朝廷に訴え出たのは満季の兄・満仲だった。 

間一髪都を脱出した千方らは甲賀三郎の助けにより馬を借り、下野に戻った。
千常を説得した千方は、二百の兵を率いて兄・千晴を救出する為、都に攻め上ろうとする。しかし、信濃で信濃守と満仲に行く手を阻まれる。
そこに、都から下向して来た参議・藤原兼通が仲介に入る。千常と千方は兼通の和解案を拒否し、飽くまで戦おうとする。しかし、兼通は高明、千晴らの解放に尽力すると言う念書を書き、千常、千方らの罪を問わないばかりか、千常を鎮守府将軍とする旨を約束し、実際に念書を書いて千常に渡した。

既に、千晴は隠岐の島に流されてしまったことを知ったこともあり、都に攻め上ってみても千晴を奪還する事は出来ないと分かっていた為、千常は兵を引く事に同意する。

参議であった兼通がライバルであった弟・兼家を蹴落として朝廷のトップに立った。兼通の引き立てで、千常は鎮守府将軍を経て地方の国守を務める。千方も官職に復帰して出世の階段を上がっていた。

或時、千方は兼通に呼び出され、失脚した高明に代わって、自分を私君とするよう迫って来た。念書を返す話に絡めて時間稼ぎをしていた千方だが、兼通が背中の痛みに苦しむ姿を見てしまう。

帰りに、旧知の安倍晴明の舘に寄るが、晴明は兼通が病であることを言い当て、しかも、死に至る病であると断言する。

兼通が死に弟の兼家が権力を握ると、兼家に仕えていた源満仲は更に出世し、千方は鎮守府将軍として陸奥に赴任することになる。

ところが、鎮守府将軍の任が明けても次の官職が決まらず、散位つまり官職の無い貴族となってしまう。

そんな中、京に赴任していた千常が急逝し、生前の千常の意向に従って、千方は下野藤原家の当主を継ぐ事になった。

ところが源満仲が下野守となった。遙任の為、その目代として赴任して来た男、実は満季の郎等なのだが、この男が下野藤原家の内紛を煽って千方を失脚させようとして、様々な工作を試み始めた。

下野藤原家分裂の危機が迫り、千方は当主の座を、千常の実子・文脩に譲って、草原に隠居した。

しかし、満季は更に千方を追い詰めようとして、境界を接する村岡に住む平忠常を使って、草原に争いを仕掛けて来た。

更に間の悪い事に、源満季自身が武蔵守に任じられたと言うのだ。これは、千方への恨みを忘れない満季が兄・満仲を通じて藤原兼家に武蔵守就任を強く願い出た結果だった。

そんな折、襲ってきた忠常の郎等が郷人を斬ったのをきっかけとして、千方は忠常の郎等を斬り殺してしまう。
襲ってきたのも、民を斬ったのも忠常側が先なので、普通なら悪いのは忠常側であり、千方の言い分が通る筈なのだが、武蔵守が満季では、なんとしても千方を罪に落とそうとして来るに違いなかった。

そんな時、母・露女が死んだ。葬儀の段取りを叔父・豊地に任せ、千方は夜中、密かに一人府中に向かった。罪に落とされる覚悟で、自分が出頭する事によって、この問題を終わらせようとしたのだ。

そんな千方の行く手を阻んだ者か居る。祖真紀と千方付きの郎等達、そして、祖真紀の弟であり、今は、甲賀三郎の郎等となっている山中國家とその部下達である。

草原(かやはら)の事態を予想し、甲賀三郎は国家に、万一の時は、千方を甲賀に逃れさせるよう命じていたのだ。

甲賀三郎は、荒れ地を開拓してそこを終の棲家とするよう千方を誘う。
伊賀の山中の一つの場所を、選んで千方らは開拓に掛かった。
その頃、千方達が甲賀に逃げたと睨んた満季は、検非違使と郎等達に近江の健児を加えた大人数で千方捕縛に向けて大捜索を開始した。

それを知った千方は、訪れていた安倍忠頼を含めて迎撃の態勢を整えて、まんまと混成部隊を撃退した。

下野藤原家を継いだ文脩は、朝廷に従うと言う意思を示し、兼家と和解した。しかし、一方で草原や千方に手出しする事をやめるよう強く求めた。折角恭順の意を示して来た下野藤原が再び離反する事を恐れた兼家は、満季に千方に手を出さないよう命じる。

千方に手を出すことができなくなって、甚だ機嫌が悪い満季に、郎等が、千方を伊賀の青山に伝わる悪の将軍と言う事にして、悪い噂を流す事を提案する。
始めは、童の喧嘩では有るまいしと馬鹿にしていた満仲だが、具体策を聞くにつれ次第にその気になって来る。

伝承に有る悪の将軍の名は藤原千方と言い、鬼たちを使って朝廷に反逆したが、紀朝雄と言う公家が和歌を詠むと鬼たちは己を恥じて逃げ去り、見捨てられた千方は力を失って紀朝雄に討たれたのだと言う伝承を、学者と称する者が触れ回り、数年の内に、伊賀青山、伊勢などに広まった。

私は、小説の最後に、藤原千方伝承の真相解明に挑んでいます。
時期については、天智天皇の時代、壬申の乱の頃、と言う説が多いが、この二つの可能性は無いことを実証しました。

平安時代説はメジャーではないが、これが唯一有り得た可能性の有る説です。しかも、藤原秀郷の六男と同じ時代となるので、同一人である可能性も出て来る訳です。

但し、『正二位を望んだが叶えられず、不満を持って反逆した』となっているが、これは有り得ない。何故なら、公卿補任を見ても、そんな高位に藤原千方などと言う名はどこにも無いからである。
では何か? 千晴の私君である左大臣・源高明が謀反の疑いを掛けられて失脚している。それを、藤原千方と言い換えて悪人に仕立てたのだ。

こんな誹謗中傷、今の世の中では格段に激しくなっている。誰でもが、SNSを使って有ること無いこと含めて、言いたい放題言えて、しかも、責任を追及するのは難しい時代になってしまっているのだから。
技術はロケット打ち上げのような勢いで進歩しているが、他人を貶めても顧みない人間の精神は少しも進歩していないのだ。、
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