第9話 平安京

文字数 1,556文字

 現在と平安時代では御所の位置が違う。京都在住の多くの人達に加えて、京の歴史に詳しい人は五万と居る。果たして書けるだろうかと言う不安は大きかった。しかし、完璧など無理だから、出来る範囲でやるしかないと言うのが、当然の事ながら結論となった。

京都に行ったのは、コロナ禍よりも、だいぶ前のことだ。
『坂東の風』の執筆に当って、藤原千方の官暦を書く必要が有るし、安和の変、寛和の変は重要なエピソードとなって来る筈と思っていた。

事前に、現在の京都の地図と平安時代の歴史地図を嫌と言うほど見比べることから始めた。色々な資料を読み、歴史のエピソードが起こった位置関係を確認して行く。

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重要な登場人物の一人である源高明の屋敷は、平安京の中では過疎と言える右京の西院に有った。当然、従者となっていた千方の兄・千晴はその近くに屋敷を持ち、高明邸に通っていた筈だ。大勢の郎等を引き連れて上洛しているので、高明邸に住み込んで居たとは考えられない。源満仲の屋敷は公卿達の屋敷が連なる、一等地左京に有った。

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尤も難しいのは、寛和の変の描写になると思った。藤原兼家親子に騙されて、花山天皇が山科の元慶寺で剃髪してしまう分けだが、兼通が背負って行ったように描いている作品も有る。しかし、山科に有る元慶寺まで背負って行ける訳もない。約7キロ有るから、手ぶらでゆっくり歩いても2時間近く掛かる。帝を乗せるのは牛車ではなく、やはり人が担う輿だろう。

代理内を含めて、帝、兼家親子、護衛に付いて居たと言われる満仲の動き、安倍晴明をどう絡ませるかなど、いざ書くとなると、難問は山積みとなる。
京都御所から山科の元慶寺までの所要時間を類推してみると、帝を乗せた輿を担いで歩くとすると、時速3キロ。御所を出るまでにもかなり時間を要する筈だから、夜中の2時に出発しても明け方の6時頃に到着したと思われる。

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そんな思惑を以って京都に行った。御所、西院、東市の跡、左京北部、清水寺、三条大橋その他、何れも再建された建築物以外は都会の街でしか無いだろうが、古地図と比べてイメージしてみたいと思った。

前に来た時、レンタカーを借りて位置関係を確認する為に走ってみたのだが、渋滞の連続、何か確認しようと思っても止める場所も無い。単なる大都会、慣れない土地でウロウロするのみ。無駄と思ってやめた。

一番便利なのは、バスの一日乗車券、それと地下鉄移動を併用すれば、かなり効率的に回ることが出来ると思った。
この時は、中心部の格安ビジネス・ホテルに宿を予約してあったので、そこを拠点に回ることにした。
この頃は、コロナ禍以後とは全く違って、何処も観光客で溢れ、聞こえて来るのは中国語ばかりという状態だった。
バスも、清水寺の坂道も、平安神宮も金閣寺、銀閣寺も観光客で溢れていた。
東北編でも触れたが、元坂上田村麻呂の私邸であった清水寺の舞台から順路を下っていくと、阿弖流為の石碑も有る。

結果、この旅は『坂東の風第三章第8話 三度目の襲撃』などで役に立てている。

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