第5話 陸奥に付いて

文字数 1,001文字

源平史ってどこから始まるかと言うと、大抵は『前九年の役』辺りからなんですね。

>有力豪族の安倍氏は、陸奥国の奥六郡(岩手県北上川流域)に柵(城砦)を築き、半独立的な勢力を形成していた。

となる訳ですが、源氏にしか興味が無ければ、何故、強大な勢力を持った蝦夷が突然出て来るのか、なんの疑問も持たないのだろう。

なんで蝦夷の豪族がそんなに力を持っていたの? って言うか、蝦夷ってそもそもなんなの? 高橋克彦著『炎立つ』以外に、そのへんに触れた作品をあまり知らない。

恐らく、源氏と平氏が戦いながら武家政権を作って行ったなんて単純な図式などどこにも無い。こう言う認識って、勧善懲悪の絵空事時代劇と大して変わらないのだ。

武家政権の成立には、蝦夷が大きくかかわっている。
奥州藤原三代が栄えた時代、都では朝廷に取り入り、結果寄生した平氏が実権を握っていたが、これは、(つわもの)である筈の平家が朝廷文化にすり寄って力を得た政権である。
ところが、奥州藤原氏は地域限定的ではあるが、武人と言える俘囚が政を行っていたのです。
頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした際、百年に及ぶ武人支配のノウハウを記した大量の文書を押収している筈です。
朝廷にすり寄って力を得ていた平氏の政より、半独立武人政権であった奥州藤原氏の記録の方が、遥かに鎌倉幕府の諸制度を定める際の参考にされていたと、私は見ています。

そんな見地から、下野の隠れ郷のルーツを辿る形で、そもそも”蝦夷とは何なのか“ を書かざるを得ないと思いました。

図書館で蝦夷関連の本を読み漁った後『そうだ! 北へ行こう』となりました。

既に多賀城は行きましたが、目指すは、更に北の胆沢城。
阿弖流為の拠点であった胆沢は、現在の奥州市、つまり、大谷翔平選手の地元てもあります。
市内には、阿弖流為が朝廷軍を破った巣伏の戦跡も有り安倍舘跡も有る。更に北へ行けば、最初の征夷大将軍・坂上田村麻呂が築いた紫波城史跡も有る筈だ。そう思いました。

蝦夷のルーツ探しと、奥州藤原氏成立までの流れ、それを見たいと思いました。

京から陸奥に至る街道は東山道である。
東山道は都から陸奥、出羽に至る街道であり、今日の中仙道の基になった。

https://7496.mitemin.net/i449990/

東山道は、近江、美濃、飛騨、信濃、上野、下野を経て陸奥、出羽に至る。七道駅路のひとつであり中路である。

次回は、陸奥を訪ねる旅の話になります。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み