第6話 いざ、陸奥へ

文字数 1,065文字

 前の日に東京で用事が有り、終わってから急に『明日東北へ行こう』と思い立った。

 一旦帰って、翌朝また、大宮から乗るのは面倒と感じた。そのまま泊まって、翌朝、東京駅から新幹線に乗ればいいと考えた。

 翌朝は、自由席で十分と思っていたので、東京駅に着いた時点で買える乗車券を買って飛び乗った。東北・秋田新幹線だったのだろう。赤い車両と緑の車両が繋がった編成だった。

 なんのトラブルも無く、一ノ関に着く。
 私の頭の中には一ノ関でレンタカーを借り行動すると言うプランが有った。事前予約はしていないし、駅近くにレンタカーがあるかどうかも、実は確認していなかった。いつもながら、ズボラなことこの上無い。
 しかし、もしレンタカーが上手く調達出来なかったらどうしようなどと、私は心配したりはしないのだ。もしそうなったら、その時点で次のアイディアを考えれば良い。そう思っている。

 思ったより寂れた町ではあったが、幸いにも大手レンタカー会社の店舗が有り、しかも、予約無しで問題無く借りる事が出来た。

 近場から回るなら、先ずは平泉に行けば、毛越寺や金色堂など史跡、観光名所は有る。普通の観光客ならそうするところだが、私は先ず、高速に乗り盛岡を目指した。

 紫波インターで降り、紫波城跡を目指す。築地塀と国庁が再建されており、規模も大きく  その再現度はかなり高かった。正面から見ると丁度岩手山が鯨の頭のような背景となって重なっている。
 紫波城は阿弖流為を降伏させた後、坂上田村麻呂によって築かれたもので、朝廷の支配の及ぶ北限の柵となった。しかし、鎮守府としての機能は胆沢城に移され、水害のため一部を失い、その他の機能も南の徳丹城に移され、僅か十年しか存在しなかった。 

https://7496.mitemin.net/i116953/

*路の広さが半端ではない

https://www.city.morioka.iwate.jp/shisetsu/bunka/kinenkan/1006834.html

 次に行ったのは、厨川安倍氏舘跡だ。安倍貞任が討たれた厨川館跡に回った。安倍館町と言う地名は有るが、特に整備、再建されている場所ではなかった。散策してみると、それらしい盛り土などの地形を感じられる程度だった。

http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/cs35

 東北道を南下して矢巾の辺りの徳丹城に寄ってみたが、時間で資料館は閉まってしまっていた。残念。

 一ノ関に戻って泊まり、翌日は胆沢(奥州市)付近を訪ねてみる事にした。
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