第4話 生き続ける理由

文字数 3,155文字

 気が重い。
「相沢修哉の担当は、誰か他の人に代わってください」
 啓介は、岡崎に直訴しようと何度も試みたが、結局言い出すことができなかった。

 リハビリが開始されたのは、カンファレンスの翌日から。修哉は少し首を傾げて車椅子に座り、小野田看護師の介助でリハビリ室までやってきた。
「修哉君、彼ね、島田君。今日からリハビリを担当してもらうけんね。じゃ、島田君、よろしくね」
 そう言って、小野田は素っ気なく病棟に戻った。
(ダメじゃ。心細い)
 患者たちのクレームが、頭の中でひっきりなしに再生されている。修哉を見ると、蝋人形かと思うくらいに動きがなく、どんな感情も読み取れない。啓介は、車椅子の前で身をかがめ、ぐっと口角を持ち上げた。
「あの、えぇ…… 相沢修哉君じゃね。こんにちは。この前、廊下で会うたよね。理学療法士の島田です。憶えとる? あぁ、憶えとらんか。うん、ええよ、ええ」
 啓介は、修哉の呼吸が成立しているのか不安を感じて胸元を見た。微かに動いている。
「えぇっと…… 修哉君は、十七歳じゃろ。自分、八こも年上じゃ。
まいったのお。頑張らにゃいけんわぁ」
 あまりの棒読み台詞が恥ずかしくなり、あはあはと笑ってみせたが、まったく反応なし。啓介は、マニュアル通りに歩行訓練の手順を説明し、マッサージベッドの横に車椅子を移動させた。

「ほいじゃ、ベッドに移動しますね」
 啓介は、慎重に身体を支え移動をサポートした。痛むのだろう。修哉は歯を喰いしばっている。
「あぁ、痛いですよねぇ。もうちぃとの辛抱です。頑張りましょうね」
 修哉の息が荒くなる。
「ゆっくり動きましょう。脚、上げますよ」
「いっ」
 ノドの奥から、修哉の声が漏れ出た。
「おっ、声、出せるんじゃね」
 思わずつぶやくと、修哉は初めて意思のある目で啓介を見た。
(あ、やばい。怒らせたかもしれん)
 手を振り払われた時のことを思い出した。八歳も年下の高校生を相手に極度に緊張している自分が、心底情けなく感じる。

(しゃんと仕事せい)

 岡崎の言葉を思い出しながら、祈るような気持ちで修哉をベッドに寝かせ足先にそっと触れた。血行不良で冷えている。足全体を包み込むように持ち、指先から少しずつ筋肉を動かした。
暑くもないのに、汗が噴き出してくる。修哉が、のけ反るようにして痛みに耐えている。

「もう、いい」
 修哉の声が聞こえた。のどが詰まっているのか、少ししわがれている。
「あ、すいません。ほしたら少し力を加減して」
 修哉は微かに首を横に振り、啓介の目を見たまま振り絞るように声を出した。
「もう、いかさんで」
「え?」
「もう、ええ・・・・・・」
 二人の間にある空気が止まる。

(いかさんで? 生かさんで? これ以上、生かさなくていいってことか?)
 啓介は、ふっと息を吐くと態勢を整えて修哉を見た。額の汗が一筋流れ落ちる。
「そんなに、死にたいん、かね」
 修哉は答えず、そのまま脱力し目を閉じた。
「ほうか……」
 返す言葉が、何も見つからない。
 祈るような気持ちで、啓介は氷のような修哉の足先を、もう一度そっと手で包んだ。そのままじっとしていると、啓介の手の温もりが少しずつ修哉の皮膚に浸透し、強張った筋肉が溶けるように温かさを取り戻す。修哉の言葉とは裏腹に、それが修哉の「生きたい」という意志のように啓介には感じられた。形ばかりのマッサージが終わり車椅子に移動するとき、啓介は修哉にだけ聞こえるように小声で言った。

「どうせいつかは死ぬけぇ。自分も、修哉君も。じゃけん、そう急がんでも、ええと思うよ」

 思わず口に出してしまったが、この程度のことしか言えない言語能力の低さを啓介は恥じた。修哉はたぶん「今が苦しい」のだ。「これ以上は無理だ」と言いたいのだ。目を閉じたまま、無反応に戻っている修哉。
(ダメじゃ。もう言葉が出て来ん)
 しばらく黙ったままでいると、イラついた咳払いが聞こえ、苦い茶でも飲んだような表情の岡崎と目が合った。

 リハビリ終了後、役立たずの烙印を押されたような心持ちで、啓介はナースセンターに小野田を訪ねた。この病棟で唯一、啓介が心置きなく話せる相手だ。
「すみません。ワシ、何もできませんでした」
 小野田は軽く「ほうね」と言って笑った。
「ほっといてくれって感じのこと言われてしもうて。ほんまに、何もできんかった。担当、変えてもらえんですかね」
 小野田は、微笑んだままうなずいて言った。
「あのね、島田君。ここに搬送されてから修哉君は一切声を出さんかったんよ。でも、リハビリの時にしゃべったんじゃろ。そこに鍵があるかもしれんよ」
「鍵?」
「うん。扉を開く鍵ね。自分の身体のケアをしてくれる人間に対しては、心も開きやすうなるしね。生理的な反応は、嘘が付けんけぇ。少しずつほぐしてあげんさい、筋肉も心も。うちらがサポートするけん」
「いや、ワシには無理ですって。てか、何でワシなんですか?」
「ん? 島田君がPTだからよ」
 岡崎室長と同じ答えが返って来た。
「優秀とは言わんよ。島田君、不器用じゃしね。でも、そこがええとこ」
「じゃね!」と病棟に消える小野田の後姿を見送りながら、啓介の胃に詰め込まれた鉛が重量を増したように感じられた。

 修哉との気まずいリハビリが、4回目を迎えた時だった。相変わらず修哉は何も話さない。ほぼ、反応もない。けれど言われるままにリハビリを受け続けているということは、回復に希望を見出しているのかもしれない。固まっていた筋肉も少しずつほぐれて、可動域も拡がっている。

「随分、動きが良うなって来たね」
 気持ちが軽く感じられた啓介は、思い切って声をかけた。修哉は、黒い空洞の目で、ただぼんやりと天井を見ている。
「修哉君の身体、回復して来て良かったと思うとるよ」
 修哉が、啓介に視線を合わせた。
「やっぱり修哉君には、生きとって欲しいけんね」
 修哉の目が、冷ややかな光を宿したことに啓介は気付けなかった。
「元気になれば、まだこれから出来ることは、なんぼでもあるけん。修哉君、若いしのぉ」

「なんで、僕に生きとって欲しい?」

 修哉が、驚くほどはっきりと声を出した。不意を突かれた。

「え? なんでって、そりゃ、そうじゃろ。死なれたら、困る」
「なんで?」
「えぇっと……」
「あんたは、なんで生きとるん?」
「……」
「今日も明日も生き続ける理由は、何?」
 畳みかけるように詰め寄られ、啓介は激しく動揺した。
「り、理由かぁ…… な、ないのぉ。ごめん。よう、わからんわ」
 啓介の声は上ずっている。修哉の言葉が鋭利な刃物のように、まっすぐに啓介の胸を突き刺した。

「偽善者」
「え?」
 ついさっきまでの修哉とは別人のような、凄惨な目付きをしている。突然、修哉が絶叫した。
「この偽善者! 薄っぺらなこと、ペラペラしゃべりやがって。やかましいんじゃ! 早う終わらせいや! なんなら、殺せ! 殺してくれ!」
 リハビリ室は騒然とし、周囲のスタッフが慌てて集まって来た。啓介は、呆然と立ち尽くしたまま身動きが取れない。
「ど、どうした?」
 岡崎も止めに入ろうとしたが、修哉の絶叫で声がかき消された。

「意味なんてないんじゃ! 理由なんてあるか! こんなクソみたいな世界を生きることなんかに。僕を邪魔するな! さっさと殺せ!」

 スタッフが数人、修哉を抑えようとして身体を抱え込んだ。
「触るな! 殺せ!」
 修哉は悲鳴のような金切り声を上げ、そのまま崩れるように倒れた。
「急いでドクターを呼べ。何があったんじゃ、島田!」
 岡崎の呼吸が荒い。
「い、いや、別に……」
「別にってことは、ないじゃろうが!」
 
 修哉は駆けつけた医師に処置を受け、すぐに病室に運ばれた。啓介は、担当医に事情を説明した後、岡崎から早退を促された。


(つづく)
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