第8話 あの日の風景
文字数 3,042文字
職員食堂の窓から見える木々の緑が、いつの間にか色濃くなっていた。虚ろな啓介の心を置き去りにして、病院周辺のわずかばかりの自然が夏への準備を始めている。
小野田には、ちゃんと見抜かれていた。空っぽの自分のねじれた欲を。
(情けない……)
カンファレンス以降、珍しく食が進まない。注文した蕎麦も、すっかり精彩を欠いて食べられる気がしない。胃の重さはすでに耐えられる限界を超えてしまい、啓介は大きなため息を吐いた。
「あの、これ、読んで」
不意に声をかけられ振り向くと、尾島が「資料①」と書かれた紙を無造作に手渡してきた。
「私が大学の頃に、先輩の研究資料を読ませてもらったことがあるの。親の都合で兄弟がバラバラにされたり、子どもだけが取り残される事例はわりと多くてね。親の問題に、子どもの意思はどこにも反映されないのが実情」
資料には、表やグラフで子どもたちの絶望が示されている。
「尾島さん、これ……」
「私、この病院だけじゃなく、臨床心理士として地域の児童養護施設やDVシェルターからも依頼を受けてカウンセリングを行ってるの。もしも、修哉君の姉が行き場を失っていたのだとしたら、そんな子どもたちの受け皿として機能しているシェルターや児童養護施設は、真っ先に当たるべきではないかと思って」
修哉の今後の受け入れ先として提示されていた場所だ。
「ありがとうございます。すいません」
「先輩の知人に子どもの権利を守る活動をしている弁護士がいる。その人にも尋ねてみる」
「すいません」
「あとは、地元の児童福祉司やソーシャルワーカーの手も借りてみる」
「はい。すいません」
啓介は、何度も何度も頭を下げた。
「は? 何なのよ、すいませんすいませんって」
「ワシ、この前、酷いこと言うてしもうて」
尾島がふと視線を落とした。
「いいのよ。私が、修哉君に拒絶されたというのは事実だから。それは、私の課題。臨床心理士をしている以上その課題からは逃げるわけにはいかないし」
眼鏡の奥の瞳が、真っ直ぐに啓介を見ている。
「人捜しは私の専門ではないけど、それが修哉君の生きる力になるのだとしたら、何でも協力する。私ね、学生時代からゼミの教授や先輩方に何度も言われているの。相手のことがわかっているなんて口が裂けても言うなって。わかったと思った時点から、相手の真実を見失うって。人の心はわからないことが前提。だから全存在をかけて寄り添わないとダメだって。それが、曖昧になっていたのかもしれない。反省してる。だから、出来る事で最善を尽くす」
啓介は、胸の奥で尾島の言葉を反すうする。
(わからないことが前提)(全存在をかけて寄り添う)
「良いことをしている自分が好きだとか、自分の付加価値を高めるためだけにケアの活動に関わる人もいる。心も力もない人が現場を引っ掻き回し、無意識に子どもを傷付けることもある。そういうの、はっきり言って迷惑」
「あ…… すいません」
尾島は、まだ何か言いたそうにしていたが「進展があったら連絡する」とだけ言い残して、職員食堂を出て行った。
尾島は尾島のやり方で、患者に寄り添い、自分の職務を全うしようとしている。
(あぁ、このままではダメじゃ。ワシはもう逃げん。下手でも不器用でも、目の前の人に丁寧に関わり寄り添い続ける。それしかできん)
修哉の退院が一週間後に決まった日、啓介は尾島に誘われて、車で二時間ほどかかる町の雑居ビルの中にいた。
「なんで僕を誘ってくれたんですか?」
「あなたが、乗りかかった船でしょ。最後まで責任を持ちたいだろうと思って」
案内されたのは、子どもシェルターの事務局だった。狭い応接室には、段ボール箱や資料が山積みにされている。表れたのは、代表理事の倉田という女性だった。
尾島は分厚く膨らみ形の変わったカバンから、一冊のファイルを取り出した。
「思った以上に時間がかかりましたが、ようやくこの文集に綴られている作文を探し当てました。児童養護施設を出るときに、子どもたちが書き残す作文です。ほら、ここです。高嶋晴さん、漢字の晴れの一文字ではると読ませるのだと思いますが、たぶん、この作文を書いたのが、私たちが捜している、たかしまはるさんではないかと」
尾島は、ファイルから取り出した作文のコピーを目の前のソファに座る倉田に手渡した。
「高嶋晴さんを、ご存知ですよね」
倉田は、作文に目を落としながら静かにうなずいた。
「ええ、私が運営していたNPO法人の子どもシェルターに、晴さんをお預かりしていた時期があります。ちょうど、お父様を亡くされた頃です」
「え? お父さん、亡くなったんですか?」
啓介は前のめりになり、深く呼吸をした。
「晴ちゃんが、中学生の頃です。何年も患っておられたようですよ。晴ちゃん、ひとりで看取って、ひとりで送ったんです」
「ひとりで・・・・・・」
「もちろん病院から連絡を受けて、ご葬儀には児童福祉センターの職員や私が付き添いました」
倉田は、作文の用紙を慈しむようにゆっくりとなでた。
「この作文、私にもわざわざ送って来てくれたんですよ、晴ちゃん。律儀すぎて、いい子過ぎて、いろいろ辛かったんじゃないかと心配していたんですけどねぇ」
啓介は、テーブルに手をついて尋ねた。
「晴さん、今、お元気ですよね? 生きておられますよね。どうされてますか? 弟の修哉君が捜しとります。会わせてやりたいんです」
「そうですか。弟さんのことは伺っていました・・・・・・」
倉田はそう言うと、何か考えるような素振りで立ち上がり言った。
「少し、お待ちくださいね」
『あの日の風景 高嶋 晴
あの日、私は教室の窓から見ていた。
母と弟が手をつなぎ、水たまりができた校庭を走り抜ける後姿を。
前の晩、父から逃げる準備をしろと、母は私に言った。
「うちは、行かん」と私は返事をした。
「お父ちゃんを、ひとりで残せんもん。病気のお父ちゃん捨てて、逃げられんもん」
私がそう言うと、母は「あんなやつ、死んでもええ」と言った。母の顔がゆがんで見えた。
父は、余命宣告を受けて荒れていた。家族に八つ当たりをした。けれど私は、逃げることはできなかった。
「あんたなんか、ええ子ぶってて嫌いじゃ」と母に言われた。
「あんたも、うちを見捨てるんか」と母に泣かれた。
たぶんその通りだ。私は、母を捨てた。
私の唯一の希望として、弟を残して母だけで出て行って欲しいと頼んだ。
「うちひとりで逃げたら、近所から何言われるかわからんじゃろ」
これが、母の返答だった。
母は、薄汚れたタオルに顔を伏せて泣いていた。
私は、最後まで泣かなかった。
この春、五年間お世話になった施設を出て、私は住込みで働く。正直、社会に出るのは怖い。けれど一生懸命働いて、助けていただいた子どもシェルター、弁護士、施設の先生方に恩返しがしたい。ちゃんと、お礼が言える人になりたい。そして、弟を必ず迎えに行く。弟と一緒に暮す。
あの日、私の手の中には、弟が大事にしていた壊れたゲーム機の部品だけが残った。いつかきっと弟を探し出して、ゲームをプレゼントしたい。
弟は、何に興味を持って、どんな話をする男の子になるのだろう。
弟のことを考えると、今でも胸が苦しくなる。
走って追いかけて、行くなって言えば良かったのだろうか。
あの日、学校の水たまりに、白い雲が映っていた。
「お母ちゃん、修ちゃん、さよなら」
声に出して言ったら、少しだけ涙がこぼれた。』
(つづく)
小野田には、ちゃんと見抜かれていた。空っぽの自分のねじれた欲を。
(情けない……)
カンファレンス以降、珍しく食が進まない。注文した蕎麦も、すっかり精彩を欠いて食べられる気がしない。胃の重さはすでに耐えられる限界を超えてしまい、啓介は大きなため息を吐いた。
「あの、これ、読んで」
不意に声をかけられ振り向くと、尾島が「資料①」と書かれた紙を無造作に手渡してきた。
「私が大学の頃に、先輩の研究資料を読ませてもらったことがあるの。親の都合で兄弟がバラバラにされたり、子どもだけが取り残される事例はわりと多くてね。親の問題に、子どもの意思はどこにも反映されないのが実情」
資料には、表やグラフで子どもたちの絶望が示されている。
「尾島さん、これ……」
「私、この病院だけじゃなく、臨床心理士として地域の児童養護施設やDVシェルターからも依頼を受けてカウンセリングを行ってるの。もしも、修哉君の姉が行き場を失っていたのだとしたら、そんな子どもたちの受け皿として機能しているシェルターや児童養護施設は、真っ先に当たるべきではないかと思って」
修哉の今後の受け入れ先として提示されていた場所だ。
「ありがとうございます。すいません」
「先輩の知人に子どもの権利を守る活動をしている弁護士がいる。その人にも尋ねてみる」
「すいません」
「あとは、地元の児童福祉司やソーシャルワーカーの手も借りてみる」
「はい。すいません」
啓介は、何度も何度も頭を下げた。
「は? 何なのよ、すいませんすいませんって」
「ワシ、この前、酷いこと言うてしもうて」
尾島がふと視線を落とした。
「いいのよ。私が、修哉君に拒絶されたというのは事実だから。それは、私の課題。臨床心理士をしている以上その課題からは逃げるわけにはいかないし」
眼鏡の奥の瞳が、真っ直ぐに啓介を見ている。
「人捜しは私の専門ではないけど、それが修哉君の生きる力になるのだとしたら、何でも協力する。私ね、学生時代からゼミの教授や先輩方に何度も言われているの。相手のことがわかっているなんて口が裂けても言うなって。わかったと思った時点から、相手の真実を見失うって。人の心はわからないことが前提。だから全存在をかけて寄り添わないとダメだって。それが、曖昧になっていたのかもしれない。反省してる。だから、出来る事で最善を尽くす」
啓介は、胸の奥で尾島の言葉を反すうする。
(わからないことが前提)(全存在をかけて寄り添う)
「良いことをしている自分が好きだとか、自分の付加価値を高めるためだけにケアの活動に関わる人もいる。心も力もない人が現場を引っ掻き回し、無意識に子どもを傷付けることもある。そういうの、はっきり言って迷惑」
「あ…… すいません」
尾島は、まだ何か言いたそうにしていたが「進展があったら連絡する」とだけ言い残して、職員食堂を出て行った。
尾島は尾島のやり方で、患者に寄り添い、自分の職務を全うしようとしている。
(あぁ、このままではダメじゃ。ワシはもう逃げん。下手でも不器用でも、目の前の人に丁寧に関わり寄り添い続ける。それしかできん)
修哉の退院が一週間後に決まった日、啓介は尾島に誘われて、車で二時間ほどかかる町の雑居ビルの中にいた。
「なんで僕を誘ってくれたんですか?」
「あなたが、乗りかかった船でしょ。最後まで責任を持ちたいだろうと思って」
案内されたのは、子どもシェルターの事務局だった。狭い応接室には、段ボール箱や資料が山積みにされている。表れたのは、代表理事の倉田という女性だった。
尾島は分厚く膨らみ形の変わったカバンから、一冊のファイルを取り出した。
「思った以上に時間がかかりましたが、ようやくこの文集に綴られている作文を探し当てました。児童養護施設を出るときに、子どもたちが書き残す作文です。ほら、ここです。高嶋晴さん、漢字の晴れの一文字ではると読ませるのだと思いますが、たぶん、この作文を書いたのが、私たちが捜している、たかしまはるさんではないかと」
尾島は、ファイルから取り出した作文のコピーを目の前のソファに座る倉田に手渡した。
「高嶋晴さんを、ご存知ですよね」
倉田は、作文に目を落としながら静かにうなずいた。
「ええ、私が運営していたNPO法人の子どもシェルターに、晴さんをお預かりしていた時期があります。ちょうど、お父様を亡くされた頃です」
「え? お父さん、亡くなったんですか?」
啓介は前のめりになり、深く呼吸をした。
「晴ちゃんが、中学生の頃です。何年も患っておられたようですよ。晴ちゃん、ひとりで看取って、ひとりで送ったんです」
「ひとりで・・・・・・」
「もちろん病院から連絡を受けて、ご葬儀には児童福祉センターの職員や私が付き添いました」
倉田は、作文の用紙を慈しむようにゆっくりとなでた。
「この作文、私にもわざわざ送って来てくれたんですよ、晴ちゃん。律儀すぎて、いい子過ぎて、いろいろ辛かったんじゃないかと心配していたんですけどねぇ」
啓介は、テーブルに手をついて尋ねた。
「晴さん、今、お元気ですよね? 生きておられますよね。どうされてますか? 弟の修哉君が捜しとります。会わせてやりたいんです」
「そうですか。弟さんのことは伺っていました・・・・・・」
倉田はそう言うと、何か考えるような素振りで立ち上がり言った。
「少し、お待ちくださいね」
『あの日の風景 高嶋 晴
あの日、私は教室の窓から見ていた。
母と弟が手をつなぎ、水たまりができた校庭を走り抜ける後姿を。
前の晩、父から逃げる準備をしろと、母は私に言った。
「うちは、行かん」と私は返事をした。
「お父ちゃんを、ひとりで残せんもん。病気のお父ちゃん捨てて、逃げられんもん」
私がそう言うと、母は「あんなやつ、死んでもええ」と言った。母の顔がゆがんで見えた。
父は、余命宣告を受けて荒れていた。家族に八つ当たりをした。けれど私は、逃げることはできなかった。
「あんたなんか、ええ子ぶってて嫌いじゃ」と母に言われた。
「あんたも、うちを見捨てるんか」と母に泣かれた。
たぶんその通りだ。私は、母を捨てた。
私の唯一の希望として、弟を残して母だけで出て行って欲しいと頼んだ。
「うちひとりで逃げたら、近所から何言われるかわからんじゃろ」
これが、母の返答だった。
母は、薄汚れたタオルに顔を伏せて泣いていた。
私は、最後まで泣かなかった。
この春、五年間お世話になった施設を出て、私は住込みで働く。正直、社会に出るのは怖い。けれど一生懸命働いて、助けていただいた子どもシェルター、弁護士、施設の先生方に恩返しがしたい。ちゃんと、お礼が言える人になりたい。そして、弟を必ず迎えに行く。弟と一緒に暮す。
あの日、私の手の中には、弟が大事にしていた壊れたゲーム機の部品だけが残った。いつかきっと弟を探し出して、ゲームをプレゼントしたい。
弟は、何に興味を持って、どんな話をする男の子になるのだろう。
弟のことを考えると、今でも胸が苦しくなる。
走って追いかけて、行くなって言えば良かったのだろうか。
あの日、学校の水たまりに、白い雲が映っていた。
「お母ちゃん、修ちゃん、さよなら」
声に出して言ったら、少しだけ涙がこぼれた。』
(つづく)