第6話 傾聴

文字数 2,293文字

 姉の名前は、はる。
 たぶん、ひらがなのはる。
 たかしま、はる。

 姉ちゃんと僕は、いつも一緒におった。

 小学校1年の時。
 授業中にお母ちゃんが迎えに来た。
 すごく慌てて。

 担任の先生が、「6年生にお姉ちゃんいますよね。呼んできますね」って言うたけど、お母ちゃんは断った。

「ええんです。はるは、主人が責任持ちますけぇ」
 そう言うたんを、はっきり、憶えとる。

 僕、何も知らんかった。その日に学校を転校することも、お母ちゃんが、僕だけを連れて逃げることも。

 逃げた理由?
 たぶん、父親の暴力。
 そして、別の男。

 学校を出たら、知らん男が運転しとる軽トラに乗せられた。走る車の中で、お母ちゃんから「この人が、新しいお父ちゃんじゃ」って言われた。

「姉ちゃんは?」って、聞いたら、
「あんな子、どうえもええ」って。

 僕、びっくりして泣いた。
 どうでもええことなんか、ない。
 絶対に、ない。

 お母ちゃんから殴られた。
「あんたも捨てられたいんか!」って。

 僕、小さいし。
 弱いし。

 ずっとずっと車に乗って、遠い町のアパートに着いた。
 次の日から、知らん人ばかりの学校に行かされた。
 行かせてもらえるだけ感謝せえって言われて。

 僕、帰ろうと思った。
 元の家に。
 家を出て、ずっと歩いたけど、迷って警察に保護されて、家に戻された。
 新しいお父ちゃんにも、殴られた。

 でもそいつも、お母ちゃんの前からすぐに消えた。
「うちの金、持ち逃げされた」ってお母ちゃんが泣いとった。

 僕がしっかりせんと。
 僕がお母ちゃんを守らんとと思った。

 少しして、お母ちゃんにもう一度、姉ちゃんのこと聞いた。

「はるは、死んだ。忘れんさい」

 嘘・・・・・・
 嘘じゃろ。
 お母ちゃん、なんで、そんな嘘つくん?

 叫んで、泣いて、暴れて・・・・・・
 お母ちゃんに噛みついた。
 そしたら、アパートのゴミ捨て場に放り込まれて。

 姉ちゃんがもう生きてないなら、僕も生きる意味がない。
 僕もこのまま、姉ちゃんのおるところに行きたい。

 夜になって近所の人に見つかって、警察や児相が来て大騒ぎになって。
 お母ちゃんは、「かくれんぼですが」って笑ろうて言い訳しよった。

 僕が6年生の時、お母ちゃんは再婚した。
 弟が生れた。

 僕の居場所は、もうどこにもない。

 じゃけん、僕、高校に入る時、家を出た。
 サッカー部の寮がある学校を選んで。
 迷惑かけんように、奨学金の手続きも、全部、自分ひとりでしたし。

 僕、姉ちゃんと約束した。
 サッカー選手になるって。
 でも、それも、もう、無理。

 僕、なんも悪いことしてないのになぁ。
 僕も姉ちゃんも、なんも悪いことしてないのに。

 姉ちゃん、ほんまに死んだんか。
 お父ちゃんに、殺されたんか。
 かわいそうじゃ。
 ほんまに、かわいそう。
 親に捨てられて、親に殺されるなんて、何のために生まてきたんじゃろうか。

 僕ら、親の持ち物じゃないのに。
 生きとる、人間なのに。

 姉ちゃん…… 


「修哉君……」

 雨粒が、絶え間なく会議室のガラス窓を打つ。啓介は、雨の向こうに、手をつないで歩いている幼い姉弟の姿を見た。

 大人は、何をしている。
 大人は、この子たちに何をした。

(こんなことってあるんか!)

 やり場のない怒りが、こみ上げてくる。啓介は、両手をぐっと握りしめ息を整えた。

「修哉君、わかった。よう頑張って来たなぁ。よう、ひとりで耐えて来た。しんどかったのう。
あんたは、悪うない。何も悪うないよ」
 そう言いながら、啓介は感情の高ぶりが抑えられなくなった。涙がボロボロと落ちてきてユニフォームを濡らす。

(くそっ! なんでじゃ)
 啓介がふと手を伸ばすと、修哉は一瞬身構えたが、クシャクシャと頭を撫でる啓介の手に身を任せた。
「えらかったのお。よう生きてきた。約束する。ワシが、姉ちゃんを必ず見つけてみせる。じゃけん、ここからは、ひとりじゃない。修哉君は、もうひとりじゃない。ワシが、力になるけぇ」
 修哉は、深く息を吐いた。
「リハビリ頑張れよ。身体を治して、しっかり幸せに生きて行こうや。姉ちゃんと一緒にな」
 啓介は、子どものように嗚咽を漏らしながら泣き続けた。
(なんでワシ、こんなに泣いとる? 何が起きとる?)

 誰かのために自分はこんなにも泣けるのだということに、啓介自身が驚いていた。何か重苦しいモノから、一気に解き放たれた気分がした。
(絶対に見つけてみせる。絶対に見つかる)
 熱い思いが、胸の底から湧き上がって来る。

 ノックが聞こえた。扉を開いた尾島が、ぎょっとした顔をして立ち竦んでいる。
「修哉君、時間ね」
 修哉は無言のまま、迎えに来た看護師と共に病室に戻された。

「あなた、何やってるの?」
 尾島が、声を荒げる。
「あ、す、すいません。つい」
「傾聴する人間が、そんなに感情的になったら逆効果でしょ」
 尾島の金属的な声が、耳を刺す。
「余計なことは言ってないでしょうね」
 啓介はユニフォームの裾で涙を拭きながら、子どものようにうつむく。

「約束も、励ましも、アドバイスもしてないわよね」
「した」
「はぁ!? ちょっと何それ、困るわ。録音は?」
「あ……」
 尾島が差し出す手のひらにICレコーダーを乗せながら、啓介は言った。
「スイッチ、入れ忘れて」
「はぁ! 冗談じゃないわ! あなたは、ケアする人間の責任がなにもわかってない」
 尾島は、啓介につかみ掛からんばかりの勢いで怒っている。尾島の声を浴びながら、啓介は気持ちが驚くほど軽く強くなっているのを感じた。修哉が自分を信じて、大切な想いを打ち明けてくれた。それが全てだ。

(ワシは、もう逃げん)

(つづく)
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