【一月】*** Wintersong  ***

文字数 1,961文字

 その年の除夜の鐘を私は実家の自室で中国史の暗記をしながら聞いていた。こちらへ戻ってからも私はダレることなく机に向かっていた。ただし持参したのは数学の問題集と世界史の参考書だけだった。正月三が日が明けたころ、私は両親と今後の進路について具体的な相談をした。第一志望は京洛大。合格見込みは五分五分だと話すと、両親はこれ以上浪人をさせられる経済的余裕は無いと言う。私は昨年の東帝大受験の経験から、やはり受験には慣れも必要だと感じているとも話した。この点は両親も同意見で、宿泊場所の確保を含めて早め早めに準備することとなった。

 私はウオーミングアップのために私立も数校受験したいと申し出た。今の実力に照らし、所謂滑り止めとなる合格確実と思われる先を一つか二つ。京洛大と遜色ないレベルの先を一つか二つというのが私の考えだった。そして具体的な名前として挙げたのが、尚志社大の法学部、ICC(International Christian College)教養学部、慶明大の法学部、そして西北大の政経学部と法学部だった。親からは国立の二期校も受験して欲しいとの要望があり、私は東都外大を受けることで了承した。

 肝心要の京洛大はどの学部にするかが最後の問題だった。西田哲学には惹かれたがそれでは将来食っていけそうもない。こうして文学部の線は無くなった。それに私はそもそも法律というものにあまり信頼を寄せていなかった。そのときの政治情勢でコロコロ変わる法律に学問的な価値があるようには思えなかったし、その文言を丸暗記しなければなれない法律家を目指すつもりも無かった。どの学部を出ても将来は実業の分野に進むつもりだということも話した。それならば一番潰しが効きそうな経済学部を選ぶべきというのが一致した結論だった。

 受験する学校が決まり、次は宿泊場所をどうするかだった。京洛大や尚志社大は下宿から受験できるので問題はないが、それ以外は全て東京だった。 日程は ICC が二月の中旬で西北大と慶明大は下旬だ。どうしても二月の十日から二十五日までの間、東京に滞在する必要があった。昨年はドタバタで旅行会社に手配してもらった旅館に馴染めず、築田君のマンションに逃げ込んで厄介になった。今年はその二の舞はゴメンだった。しかし立派なホテルに二週間以上滞在するような贅沢は我が家では到底無理。そのとき私は高校時代の友人の篠宮君のことを思い出した。

 彼は親父さんが所有する本郷のワンルーム・マンションの一室で暮らしているという話を誰かから聞いていた。そのワンルーム・マンションの空き部屋は確かホテルのように貸出しているという話だった。私はダメ元で篠宮君に電話をかけてみた。幸い正月ということで彼も実家に帰っており直接話をすることができた。確かにそのビルの空き部屋は貸出しており、ベッドや机、バス・トイレなどホテル並みの設備は全て整っているという。こちらの希望を伝えると、早速彼は傍にいる親父さんと交渉してくれた。結果はOKだった。他に貸出の予定も無いので期間は柔軟に対応してもらえるとのことだった。料金も一日千円という格安で良いという。ただし宿泊のみで食事は用意できないが、ビル内の二階にはレストランも入っているので、そこを利用すれば食事も何とかなるという。私は受験のために宿泊させてもらえるよう正式にお願いした。

 こんなに有難い話はなかった。ホテル並みの快適な設備があり、プライバシーも確保される。近くには篠宮君も居て受験の不安や孤独感を紛らわせることもできる。これほど恵まれた環境が得られるとは思ってもみなかった。私はいつもいつも友人の助けで何とかなっている。        

 これで受験に関して全てのスケジュールが決まった。この準備には一週間程度はかかると覚悟していたが、幸いにもあっさりと片が付いた。私は予定を早めて京都へと戻った。

 まだ松の内ではあったが予備校はすっかり臨戦態勢だ。志望校の調査が行われ、受験の準備に関する説明会が開催された。私の残る準備は出願作業だった。これは予備校が代行することはなく、各自で行わなければならない。また願書の提出にあたっては卒業した高校が発行する卒業証明書を添付する必要があった。その証明書の申請用紙と専用封筒が配られた。私は必要部数に「七」と記載し封筒に収めた。そして高校の宛名を書いて速達便で郵送した。

 十日ほどして高校から卒業証明書が届き、私は準備していた各校の願書に添付して郵送手続きを済ませた。あとは受験票の到着を待つだけだった。私立の受験はすぐ目の前に迫ってきていたが、本命の京洛大の受験はまだ一か月以上先だった。私は私立の受験には目もくれず、ひたすら数学の問題を解き、中国史と生物の暗記を続けた。

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