【四月】***I’ll Remember April ***

文字数 16,842文字

ほぼ十日振りに下宿の扉をくぐり、おかみさんの美沙子さんに挨拶をした。
 
「今日からお世話になります。宜しくお願いします。」
「こちらこそ宜しうに。柏木さん引越荷物部屋に届いてまっせ。」
「あ、お手数おかけしました。」
「何か仰山なお荷物ですな。」
 美沙子さんの口振りはまさに京都人独特の皮肉だった。
『下宿屋にステレオを持ち込むなんて、一体何を考えているんだ。』
 私はそのように翻訳した。
「迷惑にならないようにヘッドフォンで聴きますので・・・。」
 何を弁解しているんだと思いながらも、そんな言葉が咄嗟に口をついた。
「そうしておくれやす。壁も薄いよってに。」
 そう言うと美沙子さんは母屋に引き揚げていった。

                                                             
 私が到着して挨拶を交わしている食堂には誰もいなかったが、一階の三つの四畳半の部屋にもそれぞれ荷物が運び込まれていた。どうやら全室埋まったようだ。私は取り急ぎ自室へ上がり、今夜から眠れるようにと引越荷物の整理を始めた。

 布団袋から寝具一式をベッドに移し、衣類をファンシーケースと整理箪笥に収めた。本や文房具を机の抽斗にしまい、レコードはカラーボックスに収納した。そしてレコードプレイヤーとアンプを整理箪笥の上に、重いオープンリールのテープデッキは頑丈な造りのチェストの上に置いた。小型のスピーカーをカラーボックスの上に据えて、これらの配線作業をしているとトントントンと階段を登ってくる音がして、部屋の扉がノックされた。

「あの、いますか?」 
 男性の遠慮がちな声だ。
「はい。どうぞ。」
 私が答えると扉が少し開き、その隙間からヌッと顔だけが覗いた。
「今日からの方ですよね?」 
「あ、はい。そうですが。」 
 返事を聞くと彼はズカズカと部屋に入ってきた。態度はなかなかに横柄な感じだが、体格は小柄でその態度と風采がどうにもチグハグな印象だ。
 
「初めまして。わて上田いいます。去年からここの住人ということで一応先輩にあたるわけや
 な。で、新しく入ったメンバーに下宿の案内というか、生活ルールの説明なんかをするよう
 にオバサンから言いつかっとって。」

『ははあ。彼が例の二浪しちゃった先輩ということか。』
 私は独り納得した。

「それはお手数かけます。柏木です。宜しくお願いします。」
 私は失礼のないように頭を下げた。
「まあ、ルールっても特別なことは何もあらへんのやけど。まず食事が出るのは平日の朝と晩
 で、昼はどこかで食べなあかん。日曜日は朝晩の食事もお休み。まあ外食せなならんと思う。
 食堂にある冷蔵庫は共用で、保存したいものがあれば必ず自分の名前を書いてから入れるこ
 と。他人のものを飲んだり食うたりしたらあかんで。結構なトラブルになるさかい。風呂は
 近くの銭湯を使うことになるけど、それはまた案内したるわ。他にわからんことがあればそ
 の都度聞いてんか。」
「あ、はい。わかりました。それで上田さんはやっぱり関西の出身なんですか?」
「出身は京都の宮津なんやけど、親の都合で高校は仙台の青葉一高だったんよ。」
「へええ。そうだったんですね。」
「柏木君は標準語やけど、出身はどこなん?」
「私は北海道の江別という町です。札幌の東隣で、出身高校は札幌城南です。」
「おお札幌城南。名門やな。聞いたことあるわ。」
「学校は名門でも、私は大したもんじゃないですし。」
「ま、そうやな。こんな所に居るわけやしな。ははは。」
 初対面でやけに馴れ馴れしいと思いつつも、一応先輩だということで私は大人しく愛想笑いを浮かべた。

「それにしても柏木君はすごいな。こんなステレオ持ち込んで。どんな音楽聴くん?」
「まあ、ジャズとかロックとかフォークとかですかね。」
「ほおお。ジャズ。なるほどねえ。実はわしも高校時代は音楽やっとってん。」
「そうなんですね。で、どんな?」
「グリー・クラブやねん。男性合唱やね。男子校だったからどうやっても男声合唱以外はでき
 ひんわけやけど。ははは。」
 私はすっかり納得した。この感じは確かに合唱部っぽい。
「ああ、なるほど。うちは共学だったので。青葉一高って男子校だったんですね。」
「仙台はそうなんや。有名どころは全部男女別々ちゅうこっちゃ。」
「せっかくの高校時代、それはちょっと淋しいものがあったんじゃないですか?」
「まあ共学に比べたらそうやろな。一応バンカラで通してきたからな。ははは。」
 どう見てもバンカラという言葉は当てはまらない感じだったが、本人がそう言うのならそう
 だったのだろう。私は聞き流すことにした。
「うちも旧制中学の延長ですけど、仙台の方がその伝統が残ってそうですね?」
「そうかもしれんな。」
「一人暮らしも関西も初めてなので、いろいろ教えてください。」
「まかせとき。柏木君が落ち着いたら、またゆっくり寄らせてもらうわ。」
「あ、そや、肝心なこと言い忘れとった。食事は今夜から始まるゆうてたから、六時頃には食
 堂に降りてきてんか。他の下宿の面子もほぼほぼ揃ってるんで、今晩は初顔合わせちゅうこ
 とやな。」
「はい。わかりました。ご丁寧にありがとうございます。」
 私が頭を下げると、上田先輩は『いいってことよ。』という感じで軽く顎を持ち上げるとそのまま部屋から出て行った。

                                                               
 私は中断していたオーディオの配線作業を続け、音出しのテストに入った。FM放送はちゃんと受信できスピーカーからも問題なく音が出た。次はレコードプレイヤーの確認だ。サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」のLPを載せ針を落とすと、これも正常に音が出た。最後にテープデッキに録音済みのテープをセットして再生させてみた。問題なしだ。食事の時間までしばらく間があったので、私はそのままヘッドフォンに切替えてベッドに座わり、壁に寄りかかりながら文庫本を手に取った。

 それは坂口安吾の「ジロリの女」だった。私が高校時代に良く読んでいたのはその年頃の定番の太宰治だったが、それを見た友人の一人が「そんな女々しいやつは大概にして、こういうのを読めよ。」と教えてくれたのが坂口安吾だった。

 代表作の「堕落論」を読んで私は少なからずショックを受けた。「人間なんてどうせ堕落していくろくでもない代物だ。」と突き放しつつも、「孤独の中で、自分自身を発見し、自分の手で自分を救う以外に真の幸福に辿りつく方法はない。」という。「そのときどきでコロコロ変わるような政治や社会制度などの規範に従ったところで何の幸福も得られない。堕落して構わないのだ。その中でこそ自分の幸福が見つけられるのだから。」と。

 それまで私は社会制度にきちんと従って善良な人間でいることこそ模範的な生き方で、社会的評価を得られるものだと思ってきた。いわゆる良い子だ。逆にそこからはみ出した者ははぐれ者、ならず者で世間から非難され、幸福な人生などおくることができない。だから他者から称賛されるには、何をさておいても良い子でいなければならないのだと思ってきた。

 しかし彼はそんな私の考えを根こそぎひっくり返した。ただ「誰の力を借りることもできない孤独の中で、ひたすら自分を見つめ、自分自身を理解することでしか幸福を得ることができない。」と言われても、それがどういう状態なのか正直良く分からなかった。

 何となく感じたのは、「自分の幸福は自分が決める。他人は関係ない。」ということだった。「誰から何を言われようが、どう評価されようが関係ない。自分は自分のやりたいように今を生きるだけだ。」そんなある種の潔さ、人目を気にしないその強さが羨ましかった。開き直りともいえるそんな生き様は私が心の奥底でどこか憧れているものだった。

 実際の私といえば、ありのままの自分に自信が持てず、小さい頃から周囲の評価で自分の価値を測ることが習い性となっていた。そんな自分が嫌で、今のままではダメだという思いはどんどん強くなっていた。しかし持って生まれた自分の性根を変えるなどということは、そんな生易しいものではなかった。物事が自分の思い通りに進んでいるときは小さな自分を変えられるような気分にもなったが、いざ逆境に直面すると一瞬にして元の小心者、臆病者に戻ってしまうのだ。私の心はいつも自分の理想とする姿と現実の自分自身の間で行ったり来たりしていた。

 一つだけ確かなことは、『今のあるがままの自分で良いのだ』などという戯言は断じて受け容れられないということだった。まだまだ十代後半の若造、自分を諦めるにはあまりに時期尚早だった。私はもっと強く大きく逞しい人間になりたかった。そしてその可能性は充分あると信じていたのだ。

                                                           
 文庫本を読む手許が暗くなってきた。ふと窓に目をやるとすっかり陽が翳っている。時計は六時少し手前を指していた。私は本を閉じテープを止めて食堂へ降りて行った。

 食堂にはそれぞれの食事が準備されており、下宿仲間がほぼ全員顔を揃えていた。

「お、来た来た。これで今日のところは全員集合やな。じゃ、皆そろったってオバサンに言う
 てくるわ。」
 上田先輩は母屋の通用口の扉を開けて、大きな声でおかみさんを呼んだ。しばらくして美沙子さんがやってきた。

「さあさあ、今日から新しい共同生活の始まりです。皆さんどうぞよろしうお願いします。北
 は北海道、南は九州鹿児島からと今年は出身もバラエティに富んでます。後で自己紹介して
 もらうとして、まずうちの下宿のルールだけ話させてもらいます。特に何があるってわけや
 ないんです。常識の範囲でお願いしますちゅうことです。食事の支度については入居申し込
 みのときに説明したとおりです。門限は特に決めてまへん。これも常識の範囲内でやっとぉ
 くれやす。基本玄関に鍵はかけまへん。これまで一度も事故はあらしまへんでしたが、貴重
 品の取り扱いは各自でしっかり気ぃ付けとぉくれやす。」

 話はまだまだ続いた。

「電話はあらしまへんさかい、外の公衆電話を使うてください。急な連絡などで母屋にかかっ
 てきた電話は取り次ぎますけど、あくまで緊急用に限らせてもらいます。あと、この扉の向
 こうは母屋になりますが、家族のスペースよってに皆さんの立ち入りは厳禁とさせてもろて
 ます。下宿代は毎月末までに翌月分を現金で私に渡してください。入居申し込みのときに四
 月分はいただいてるよってに、次回からよろしうお願いします。大体こんなところかな。あ、
 そうだ。火の元にはくれぐれも気いつけておくれやす。一応こちらの上田はんが一年先輩に
 あたるので、細かいことは上田はんに聞いてください。」
 誰もが神妙に美沙子さんの話に耳を傾けていた。
「ほなお味噌汁をもってくるさかい、食事にしておくれやす。」

 しばらくして熱々の味噌汁が配られ、集まった下宿人はテーブルを囲んで食事を始めた。初めて顔を合わせた者同士、特にお喋りをするでもなく静かに食事を済ませると上田先輩の仕切りで自己紹介が始まった。

 まずは上田先輩。京都の宮津出身で仙台の青葉一高を出て今年二浪目。背が低く少し小太りでその顔は艶々していた。昨年からの住人のもう一人は南村君。三重県の名張出身で尚志社高校に通う現役の三年生だ。こちらは背が高くガッチリした体つきで色黒の渋いハンサム。上田先輩とは見た目も雰囲気もある意味対照的な二人だった。

 新入りは京都の舞鶴出身の山田君、細身の長身でとにかく脚が長い。優しい細い目をしており物静かな感じだ。次に 山口県の大島出身の秋葉君。彼も山田君に負けず劣らず背が高く体つきもガッチリしていた。彫りの深い顔立ちで低音の渋い声だ。そして 島根県の出雲出身の岩崎君。体は少し小柄で愛嬌のある顔立ちだが、言うことは顔に似合わず少し辛辣な響きがあった。最後の一人は奄美大島出身の緒方君。高校はあの名門鹿児島ラ・マールだった。俗にいう南方系の顔立ちでシャイな感じだった。言葉数は少なかったが九州の方言が新鮮だった。これに私が加わって今日は七名が顔を揃えたが、あと一名はまだ到着していなかった。

 食事が終わると上田先輩と南村君を中心にして食堂のテレビを見ながら少し雑談をし、近くの銭湯「椿温泉」へと皆で繰り出した。私は金魚のフンのように上田先輩にくっついていった。その建物はかなり年季が入ったお寺のような印象だった。内装もその歴史を物語るかのようにかなり古めかしい。下宿に風呂はなく、これから一年間こちらにお世話になるわけだ。大きな浴槽に浸かりながら、私はいよいよ新しい生活が始まったんだなと改めて感じていた。

    §

四月に入って残る一名が到着した。兵庫県の竜野出身の高坂君。年は私より一つ上で上田先輩と同学年だ。下宿生八名の中で群を抜く一番の老け顔だった。西北大の法学部にいたのだが政経学部に入り直すため退学し、予備校に通って受験し直すという。その話には少し違和感を感じたが、初対面の私らには言えない事情があったのかもしれない。

 こうして下宿の住人が全員揃い、数日して予備校の授業も開始された。私も皆に倣い真面目に通学した。朝はきちんと起きて朝食をとり市電の円町電停まで歩く。そして丸太町堀川で降りて少し南に行くとそこに京都駿英予備校があった。

 予備校というのはなかなか厳しい所で、成績でクラスが分けられてしまう。上位クラスは午前部(昼間部)で下位クラスは午後部(準夜間部)という構成だった。当然理系と文系ではクラスは完全に別で、同じ下宿の仲間であっても予備校での授業時間はバラバラ。岩崎君、山田君、秋葉君は理系の午前部、緒方君と私が文系の午前部、上田先輩と高坂君が文系の午後部だった。

 午前部は午後二時過ぎには授業が終わる。予備校が始まってまだ数日しか経っていないある日、私は京都御所の春の一般公開のお知らせを新聞で見かけた。御所を自由に見学できるのはわずかに春に五日、秋に五日だけだった。この機会を見逃す手はなかった。私は山田君と秋葉君を誘って予備校帰りに見学に向かった。

 御所は予備校から歩いていける距離にあった。旅行ではまず見ることのできない御所の美しさに私は感動した。醜い政変や戦さが何度も繰り返されてきたにもかかわらず、その京の都のど真ん中は静謐で凛とした美しさを湛えていた。紫宸殿の前庭の白い玉砂利、お雛様でしか知らなかった左近の桜と右近の橘。余分な装飾を一切排した簡素でいながら威厳のあるその佇まいは、歴史の浅い土地で生まれ育った私を圧倒した。誰もが大好きな京都だろうが、何やかんやあったにせよ、この地で暮らすことを選んだのは大正解だったと私は感じていた。

 
 予備校での授業はこれまで使ってきた教科書とは異なる独特のテキストと熱心な講師による要点集中的なもので、目新しくそれなりに面白かった。しかし私はここでもベルトコンベアに乗せられた土塊だった。主体的な意欲も無く、皆がそうしているからと何の考えも無く同じレールの上をただただ盲目的に進んでいるだけだった。

 高校三年の春に医者への道を断念して以来、私は自分の将来像が全くイメージできなくなっていた。高校時代はジャズに打ち込むことでその問題を頭から締め出してきた。こうして浪人という身の上になり、いよいよ真剣に向き合う必要に迫られていたものの、何がやりたいのかその具体的な姿は全く見えてこなかった。結局は『一流大学に進んで一流の企業に勤める』という極めて世俗的な立身出世の道しか思い浮かばなかった。『それのどこが悪い』という粗野な開き直りすらなかった。将来の選択という大きな問題は、今の段階ではまだ何も考えられず、考えたくもなかった。どのみちギリギリに追い詰められないとその気にならないのが私という人間なのだ。

 こうして予備校生活が始まってしばらくの間は、さしたるやる気もないままに机に向かう日が続いた。それはそれ以外にすることがなかったからだ。高校に進んだ当初も誰一人友人も無く、全く同じ状況だった。しかし残念ながら私はコツコツ勉強するという才能には恵まれていなかった。大学に合格するためにしっかり勉強しなくちゃならないことは当然判っているのだが、すぐ飽きがきてしまう。そうなるともうダメだった。急に勉強に対する意欲が無くなり、心は次の興味の対象を求め始める。

 熱しやすく冷めやすい性格だという自覚はあった。自分が興味関心のあることに対しては極めて貪欲で、時の経つのも忘れて没頭してしまう。しかし一旦その興味が失われてしまうと、途端に無気力となるのが私の悪い癖だ。そんな中でジャズと恋だけは別だった。それはある意味私にとって気力の源泉だった。高校時代にはそのジャズと恋がいつも私の傍に居てくれたが、今の私にはそのどちらもが遠いところにあった。私にはそれに代わる何かが必要だった。

 そのとき私の頭に浮かんできたのがあの京都御所の姿だった。

『そうだ。せっかく京都で暮らすことになったのだから、この一年で京都の魅力を味わいつくそう。』 
 
 こうして京都探訪が私の新しい興味の対象となった。勉強するために来たはずの京都だったが、それ以外のお楽しみが無ければ肝心の勉強すらままならない。予備校に通い始めてわずか数週間で私は早速そのお楽しみ候補を見つけたのだった。

 そんな私だが、下宿や予備校での生活や人間関係など、まだまだ新しい環境に慣れる必要があった。当たり前のことなのだろうが、私は規則正しく予備校に通った。粛々と授業を受け予備校内の食堂で昼食を摂り午後の授業を受ける。そして夕食時間までには必ず下宿に戻るというルールだけは守っていた。夜に外出することもなく、夕食後に少しの間下宿の仲間たちとくだらないお喋りをして、夜中には苦手な科目の復習に時間を割いた。そんな生活リズムの中、予備校の授業が終わってから夕食までの三時間ほどが私のお楽しみの時間だった。そのお楽しみとして一番最初に始めたのがジャズ喫茶巡りだった。

 授業が終わると堀川丸太町の電停から市電に乗り込んで下宿と反対方向の河原町を目指した。三条の「BIG BOY」が最初のお気に入りの店となり、ほぼ毎日のように通った。店内はかなり広く、ジャズ喫茶らしくない明るいインテリアでカジュアルな雰囲気だった。流れる音量もそこそこで、軽くジャズを聴きながら読書するには最適な店だった。

 時々はもう少し南に下って木屋町方面に入る横丁にあった「Blue Note」にも出かけた。この店は細長く狭い店で、ずらりと洋酒が並ぶカウンターがあった。日によっては夕方からはライブ演奏も行われていて、夜はお酒の店になるようだった。ただ座席が密集して他の客との距離が近く、どうしても窮屈さは否めなかった。その意味で一人客の私にとってはあまり居心地の良い店とは言えなかった。

 更に南に下がった蛸薬師通りにある丸善の角を木屋町方向に入った雑居ビルの二階には「鳥類図鑑」があった。店内は蔵の中のような完全に閉鎖された空間で真っ暗、学校で使っているような木の机と椅子がスピーカーに向かって並んでいてまるで教室のようだった。 壁一面に掛けられている蝶の標本が何とも不気味で一種異様な雰囲気を醸し出している。それでなくても気が滅入っていた私は、その重苦しさがどうにも苦手で次第に足は遠のいた。

 この他にも河原町通りを北に上がった京都府立医大の近くの「しぁんくれーる」にも時々出かけた。ジャズファンにとってはあまりにも有名な店で、私も楽しみにしていた店だったが、その期待が少し大きすぎた。店内は思ったほど広くなく、これまた真っ黒なインテリアのごく普通のジャズ喫茶だった。中心街から少し離れていることもあって、何かのついでに立ち寄れる先ではなかった。出かけるときはまさに「しぁんくれーる」詣で状態だったが、色々な伝説があるとはいえ、正直満足度はその名前ほどではなかった。

 こうして河原町界隈のジャズ喫茶巡りから私の京都探訪は始まった。毎日二時間ほどジャズを聴きながら読書をし、また市電に乗って下宿へ戻る。それはまだまだ可愛いものだった。それでも毎日京都の繁華街を歩くことで、私は少しずつ京都の街に慣れていった。

 下宿では夕食後の雑談が仲間のことを知る唯一の場だった。ポツリポツリと語られる小さな情報を積み上げて、お互いに相手の経歴や人柄を少しずつ把握しようとしていた。誰もがどこまで個人的な部分に立ち入って良いのか気を使いながら、不躾にならないその境界線を探っていた。

    §

 ゴールデン・ウイークが近づいてきたある日、食堂で一番年下の南村君と二人きりになった。暇そうにしていた彼に私は声をかけた。

「南村君、高校では何かスポーツやってるの?」
 その声に気付くと彼はテレビから目を離して私の方に向き直った。
「ああ、はい。ラグビー部に入ってるんよ。」
「なるほど。いかにもって感じだよねえ。ガッチリしてるもんなあ。」
「そんなこともないんですけどね。」
 ちょっと照れくさそうな笑顔から真っ白な歯が覗いた。
「ハンサムだし、学校じゃモテモテだろう?」
「そんな冷やかさないでくださいよ。全然ですって。」
「いやいや。女の子が放って置かないタイプだよ。その辺は何となくわかるさ。」
「女友達はいないことはないですけど、真剣な相手はおらんですよ。」
「でもさ、卒業後は無試験で尚志社に進めるんだろう?」
「まあ、そうですねえ。中には他の大学を受験する奴もいますけど、僕はそのまま尚志社に行
 こうとは思ってるんですわ。」 
「それならしっかり青春を謳歌できるじゃない。俺だったら恋愛まっしぐらだな。」
 笑いながら私がそう話すと、南村君はちょっと真面目な顔になった。
「ねえ柏木さん。ちょっと部屋に行ってもいいすか?」
 あまり大ぴらにしたくない話がありそうだった。二人は席を立ち私の部屋に向かった。

「お邪魔しまーす。おお、これまた文化的な部屋だあ。すげえや。」
 南村君はステレオがあるのに驚き、物珍しそうに部屋を見渡した。
「で、どした?食堂じゃ話せないことがあったんじゃないのかい?」
「いや、大したことじゃないんですけど。恋愛の話になったじゃないですか。」
「うん。」
「実は、僕、昔恋愛がらみでちょっと問題を起こしたことがあるんですわ。」
「えっ?それってやばい話じゃないんだろうね?」
「あっ、全然そういうことじゃないです。実は僕、中学まで三重の名張ってとこで暮らしてた
 んです。まあ親元ってことですけど。で、実家はそこで造り酒屋をやってて、僕はそこの次
 男なんです。それで地元の中学時代にちょっと好きな子ができて、駆け落ち騒ぎを起こした
 んです。」
「えっ?中学生で?南村君もやるもんだ。」
「まあ若気の何とかってやつだったんですかね。でもね、正直に言うと僕より相手の女の子の
 ほうが突っ走っちゃった感じで、僕は深い考えも無しにそれに付き合っちゃったんですよね。
 それが結構な大騒ぎになっちゃって。結局は親に連れ戻されてさんざん説教されて別れさせ
 られたというか、そんな形になったんよね。こうして京都に来たのもそういう事情もあって
 のことで。」
「へええ。そうだったのかあ。」
「そんなことがあったせいか、女の子と真剣になるのがちょっと怖いというか・・。」
「なるほどねえ。実はさ、俺も高校時代に大恋愛をしたんだ。将来は結婚しようとまで思って
 たんだけど、受験に失敗したのを境に見事にフラれたみたいで。そりゃあヘヴィだったよ。
 今も俺のここは傷だらけさ。」
 私は自分の胸を軽く叩いた。
「柏木さんもキッツイすねえ。」
「うん。キッツイ。でもさ、彼女のおかげで高校時代はほんとに楽しかったあ。だからさ、も
 し南村君が本当に好きになった子ができたら、思い切り恋愛して欲しいなって思うんだよ。
 もう大人の恋愛ができる年になってきたんだからさ。」
「そういう恋愛ができたらええですなあ。」
「それこそ若いから暴走気味になることもあるさ。俺もそうだったし。でも本気だったら自分
 の気持ちに正直になっていいんじゃないかな。」
「そうですね。いやあ何かとんだ告白大会になっちゃいましたね。ははは。」
「同じ屋根の下で暮らすことになった仲間だし、肚を割って付き合いたいなってずっと思って
 たからさ。なんか嬉しかったよ。」
 私は正直な気持ちを口にした。

「ねえねえ柏木さん、高校時代はどんな部活やってたん?」
「ああ、俺はね、ちょっと珍しいと思うんだけどジャズ研究会に入ってたんだよ。」
「ジャズかあ。しっかり文化系なんですね。で、それって具体的にはどんな活動を?」
「同級生六人でジャズバンドを組んで演奏してたんだ。」
「おお、そりゃまたすごい。柏木さんはどの楽器を演奏するんですか?」
「俺はピアノだったんだ。」
「へええ、ジャズ・ピアニストなんですか。カッコイイっすね。」
「下手っぴいだけどね。それでも頑張って練習してレコードまで出したんだ。」
 そう言うと私はカラーボックスから一枚のレコードを取り出して、南村君に手渡した。
「わあほんとにレコードだ。すごいっす。そんなら柏木さん、将来はジャズの演奏家に?」
「いやいや、それで食っていけるような才能は無いよ。普通に大学に行ってどこかに就職して、
 ジャズは一生の趣味で続けていければって思ってるんだ。」
「そうなんですね。確かに将来どうしたらいいのかって、良くわからんですよね。僕も文系な
 んですけど、全然イメージできまへんわ。」

 このあとも二人の話は続いた。南村君は高校へは毎日原付バイクで通っているという。ラグビー部の活動も三年になるとほぼ終わりで、結構暇になるらしい。話は私の京都探訪のことに移っていった。

「実はさ、京都は高校の修学旅行で来てすっかり気に入っちゃってね。で、こうやって京都で
 暮らすことになっら勉強だけじゃどうにも勿体なくて。」
「そうかもしれんですねえ。」
「暮らしてるからこそ知れる京都っていうのもきっとあると思ってさ。そんな京都をたくさん
 見聞きしたいなって思ってるんだ。浪人の身分で何を言うかって叱られそうだけどさ。」
「僕ももう三年住んでますけど、意外と京都のこと知らないんですわ。タイミングが合えば一
 緒にいろいろ見に行きたいんで誘ってください。」
 それは私にとって願ってもない言葉だった。

 南村君は人当たりの良い好青年だった。話し方も物静かで変に気取ったところも無く、私の話を静かに聞いてくれた。ほぼ対等に接していても、こちらが一年先輩だとそれなりの敬意をもってくれていることはしっかりと感じられた。その素直さと鷹揚さは彼の育ちの良さを感じさせた。こうしてやっと私にも親しい下宿仲間ができたのだった。

    §

 実際に京都で暮らすようになった私にとっての案内書は、高校の修学旅行のときに買った日本交通公社発行のポケットガイドだった。寺社仏閣の紹介だけではなく、年中行事の一覧や有名な飲食店の情報も掲載されていて、行ってみたい先は山ほどあった。

 連休に入って予備校も休みになったある日、下宿でダラダラしているのもつまらなくなり、街に繰り出してみないかと南村君を誘ってみた。彼は二つ返事で応じてきたが、折角ならと他のメンバーにも声をかけてみることにした。どこかで昼飯を食べようと誘うと、上田先輩が真っ先にのってきた。

 他の仲間もそろそろ新しい生活にも慣れてきて少し刺激を求めていたのだろう。山田君、秋葉君、岩崎君の三名も行きたいとなった。こうして緒方君と高坂君を除く六名で向かった先は堺町通三条にあるイノダコーヒー本店だった。

 その建物は格子窓で装飾された木造二階建ての京町家風の外観だった。玄関には柿渋色の地に英語の店名が白く染め抜かれた大きな暖簾がかかっていた。その風情はまさに京都、「和」の味わいそのものだ。が、しかし一旦玄関を入ったその先は、外観からは全く想像できない大きな洋風の吹き抜け空間だった。大きな円形のカウンターがあり、その中では白い制服・制帽姿の店員さんたちが忙しそうに立ち働いていた。入口の反対面は一面大きなガラス窓で中庭に面しており、太陽の光が燦燦と降り注ぐ。何とも開放的な雰囲気だ。私は見事に想像を裏切られた。その広さといい雰囲気といいこんなに立派な喫茶店は私は初めてだった。

 私たち六名はおずおずと店内を進み、案内された大きな丸テーブルに揃って座った。何もわからず頼んだメニューは定番の珈琲。しばらくして厚みのあるこの店オリジナル・デザインのカップに入った珈琲が運ばれてきた。その珈琲は最初からミルクと砂糖が入ったものだった。それは少し甘すぎた。私の舌はジャズ喫茶の苦くて不味いコーヒーにすっかり慣れてしまったのかもしれない。 

 京都新参者の私達は観光客と何ら変わらなかった。京都府民の上田先輩と山田君にしても北部の日本海に面した地域の出身で、特に京都の街に詳しいというわけではなかった。その他のメンバーも皆地方出身者で正真正銘のお上りさんだった。京都暮らしを選んだ理由をそれぞれ聞いてみると、意外なことに京都の大学を目指してという人間は誰一人いなかった。ほとんどが西日本や関西の人間で、東京まで出て浪人するのはちょっと大変だが、東京の一流どころの予備校がたまたま京都にあったからというのがその理由だった。京都という街ごと青春の舞台にしてやろうと意欲に燃えていたのは私一人だけだった。

 昼飯をここでと考えていたのだが、メニューを見て諦めた。その値段は私たちの財布の限度を超えていた。このあと1時間ほどおしゃべりをして店を出た。結局は下宿に戻り近くの力餅食堂で遅めの昼食をとった。やはり安くてボリュウムがあるに越したことはない。お出掛け先では誰もが少し気取って振舞っていたが、地元に帰って来て肩の力が抜けたのだろう。こうして大衆食堂で過ごしているほうが皆生き生きとしていた。ほんのちょっとだけの非日常だったが、少しだけ仲間意識が芽生え始めたような気がした。
                                                                
 次の日も休日で、私は京都探訪の手始めとして下宿近くの名所を巡ろうと上田先輩と南村君を誘った。この周辺には北野天満宮、金閣寺、龍安寺、御室の桜で有名な仁和寺などがあるが、とりあえず散歩がてら金閣寺を目指すことにした。

 西大路通りをひたすら北へ北へと歩く。わら天神前の交差点を過ぎ、しばらく歩き進めると金閣寺交差点だ。ここを左に折れ真っ直ぐ進むと金閣寺の黒門が見えてきた。ここから先が金閣寺の境内だ。真っ先に向かったのが池越しに臨む金色に輝く三層の舎利殿。それはまさしく本や絵葉書で良く見た優美なあの金閣寺の姿そのものだった。しかしゴールデン・ウイークの休日とあって観光客の数が尋常ではない。ゆっくり風情に浸るなどという贅沢は望むべくも無かった。

 今日は南村君がカメラを持ってきていた。それは本格的なキャノンの一眼レフだった。せっかくだからと金閣を背景に写真を撮ってもらおうと試みたが、カメラのレンズの前を遮る観光客は絶えることなく結局それは断念した。その後境内を一周したのだが、なかなかの人混みで思うように歩くこともままならない。私たちは観光客の少ない平日に改めて出直すことにした。帰り道の前庭通路で南村君に写真を一枚撮ってもらい、三人は金閣寺を後にした。

 気ままな散歩のつもりで出てきたつもりが、何やかんやでここまで結構な距離を歩いている。加えてあの観光客のエネルギーだ。私はすっかり消耗してしまった。それは私に限ったことではなかった。これ以上先を目指す意欲はもう誰にも無かった。こうして私たちは早々に下宿へと引き返した。

 下宿の自室でベッドに寝転がりながら、私は行きそびれてしまった龍安寺と仁和寺のことを考えていた。いかに近場といっても徒歩で巡るのは少々骨だということは今日の経験で良く分かった。そこでハタと思いついたのが南村君が通学に使っている原付バイクだった。私はベッドから起き上がり南村君の部屋に向かった。

「ちょっといいかな?」
「はい。どうぞ。」 
 南村君がのんびりとした口調で応える。
「今日はどうもご苦労さん。疲れたんじゃないか?」
「そうね。体力的に参ったというんじゃないけど、人に酔ったような感じかな。」
「同じくだ。京都の名所を少し甘く見てた。すまなかった。」
「何も柏木さんが謝ることじゃないっすよ。」
 南村君が真っ白い歯を見せて笑った。
「それでさあ。今日断念した龍安寺と仁和寺なんだけどさ、この連休のタイミングを逃すとま
 たなかなか行けないかなとも思うんだ。ただ、距離を考えると歩きだとしんどそうだし、他
 の交通機関も良くわからないんだ。でね、南村君の使ってるあの原付で二人乗りして行けな
 いかなって思ってさ。」
「ああ、なるほど。いいすよ。」
 南村君は何の屈託も無く私の提案を呑んでくれた。
「ありがとう。じゃあ早速明日でもいいかな?」
「柏木さんもほんと熱心っすよね。僕はいいすよ。」
 少し無理矢理付き合わせている感じもしたが、彼は嫌とは言わなかった。
                                                             
 翌日二人は南村君の運転する原付バイクでお昼少し前に下宿を出発した。前日同様西大路通りを金閣寺に向かい、そこから衣笠宇多野線に入る。しばらく進むと左手に修命館大学衣笠キャンパスがあり、そのすぐ先の右手に龍安寺がある。仁和寺はこの道を更にもう少し行ったところだ。原付バイクはスピードこそ大したことはなかったが、初夏の風を感じるには充分だった。新緑に萌える山々の向こうには青い空が広がっていた。私は荷台に跨ってその爽快さを全身で感じていた。そうこうするうちにあっという間に目的地の龍安寺に着いた。

 龍安寺は高校の修学旅行でも訪れた場所で、「知足の蹲踞」も 何となく記憶にあった。今日も観光客で賑わっており、石庭をゆっくり眺めることはできなかった。それでも境内を一通り巡って次の目的地の仁和寺を目指した。ちょうど昼どきとなり、私たちは道沿いの大衆食堂で簡単な昼食をとった。

 仁和寺は何といっても正面の仁王門が圧巻だった。境内は広大で、仁和寺御殿や五重塔などの建築物と庭園が美しく調和していた。遅咲きの御室桜の名所ということだったが、さすがにこの時期には花は残っていなかった。それでも境内一面に立ち並ぶその背の低い桜の木は印象的だった。金閣寺や龍安寺に比べて観光客は少なく、私たちは広大な庭園をのんびりと散策した。南村君も初めて訪れる仁和寺を楽しんでいるようだった。                        

 こうして私の最初の京都探訪は完了した。バイクでの帰り道も心地良く、昨日とは打って変わって充実した満足感に浸りながら下宿に戻ると、食堂には上田先輩をはじめ秋葉君、岩崎君、山田君がたむろしていた。しかし皆少し元気がない。

「皆さんおそろいで。何か雰囲気が澱んでる感じだけど、何かあった?」
 私の問いかけに 
「ちょっと暇潰しにと思ってみんなで円町のパチンコ屋に行って来たのよ。」
 上田先輩が答えた。
「わかった。結構負けちゃったんでしょ?」
 南村君がニヤニヤしながら尋ねる。
「当たり。金額的にはそんなに大負けしたわけじゃないけど、一回かなり出たんで調子に乗っ
 てやってたら全部飲み込まれちゃってさ。結局はダメダメだった。」
 上田先輩がだるそうに言う。
「僕たちも最初はちょっと調子よかったんだけど、なかなか勝てなくてさ。後半は上田さんの
 打ちっぷりを見学しとったよ。」
 秋葉君も相当注ぎ込んでしまったようだ。
「俺は向いてないみたいだわ。」
 岩崎君が苦々しく言う。
「同じく。あんまり楽しいとも思えへんかったし。」
 山田君も同様のようだ。
「そうかあ。実は俺、パチンコやったことないんだ。ちょっと興味あるな。」
 私がそう言うと、
「じゃあ今度一緒に行こうや。次こそは勝てるような気がするんだ。」
 上田先輩は賭け事が好きなのかもしれない。
「ぜひご教授お願いします。」
 私は笑って言った。

「ところで、お二人さんは今日はどこかへ行ってきたの?」
 岩崎君が尋ねた。
「南村君のバイクに二人乗りして、ちょっと龍安寺と仁和寺を見てきたんだ。」
 私が答えると
「ああ、柏木君それ正解。」
 秋葉君が笑いながらうなずいた。
「ところで、高坂さんと緒方さんは?」
 南村君が尋ねる。
「彼らも誘ったんだけど乗ってこなくてさ。二人でどこか出かけたみたいだよ。」
 上田先輩がテレビに顔を向けたまま、関心なさげに答えた。
 食堂を挟んで隣同士の高坂君と緒方君は、どうやら気が合うようだった。

 やはり誰しも勉強一本で集中し続けるのは難しいのだろう。人によって程度の差こそあれ気分転換はどうしたって必要だ。ただ私の場合は気分転換の域を少々オーバーしてる気がしないでもない。おぼろげながら上田先輩と秋葉君には私と同じような匂いがした。

 しばらくすると一人二人と自室に戻り始めた。私は南村君をちょっと引き留めた。
「今日も付き合ってもらってありがとうな。」
「いえいえ。僕も楽しかったし。」
 南村君はいつもの柔かい微笑みを浮かべて答えた。
「ところでさ、お前さんずい分立派なカメラを持ってるけど、ラグビーだけじゃなく写真にも
 力入れてるのかい?」
「ああ、このカメラね。中学のときちょっと興味あって、親にねだって買ってもらったんだけ
 ど、最近はほとんどいじらなくなってるかなあ。」
「俺はカメラ持ってないんで羨ましいよ。高校の時は親友がやっぱりカメラ好きでさ、たくさ
 ん写真を撮ってくれたんだ。今ではそれがいい思い出となって残ってるんだよね。」
「柏木さん、もし良かったらこのカメラ使います?これからたくさん京都探訪するんでしょ。
 たくさん撮って思い出残すといいですよ。」
「え、いいの?でも俺カメラや写真はほぼ素人だから、こんな高価なもの貸してもらうのはち
 ょっと気が引けるなあ。」
「大丈夫ですって。柏木さんなら信用できるし。落としたり変な使い方をして壊されると困る
 けど、それさえ注意してくれれば問題ないっすよ。大体の使い方は教えてあげますし。」
「それはありがたいなあ。じゃあお言葉に甘えちゃうかな。」


 こうして南村君の一眼レフカメラを私が借り受けることになった。とりあえずはずっと私が使って構わないとのことだった。私は早速使い方を教わった。最も基本的なフィルムの出し入れの仕方やピントの合わせ方、露出やシャッタースピードの設定などについても大まかな説明を受けた。機械部分の扱い方は理解したものの、露出やシャッタースピードの話になって私が半分ポカンとしている様子を見て、彼は撮影シーン毎に最適な組み合わせを説明した簡単な冊子を貸してくれた。その冊子を私は熱心に読み込んだ。

 一般的な自然光のもとでは基本的な設定パターンを一つ覚えれば、それなりの写真が撮れることがわかった。私はそれを頭に叩き込んだ。その冊子には映画のスクリーンを撮影する方法も
載っていた。それは実に興味深く面白そうで、私はその撮影実験がしたくなった。そこでまた南村君の部屋を訪ねた。

「おかげでだいたいのところは理解できたんだけど、実はちょっと面白そうな撮影方法を見つ
 けちゃってさ。」
「え?そんなのありましたっけ?」
 南村君が少しびっくりしたような顔で聞き返してきた。
「実は映画のスクリーンを撮影するってやつなんだ。映画って一秒間に何コマって形で映写さ
 れてるだろ。その映像を特定のシャッタースピードで撮影すると、ズレなくバッチリ撮影で
 きるんだって。」
「へええ。そうなんだ。まあ言われてみればそうなのかなって思うけど。」
「それでさ、実際に試してみたいなって思ってさ。」
「映画館に行って撮影してみるってこと?」
「うん。今ちょうどポール・ニューマンの『スティング』って映画がかかってるようなんだ。
 面白そうだし一緒に撮影がてら見に行かないか?」
「そうですね。もう連休も終わるし、行きましょうか。」

 善は急げと翌日南村君に付き合ってもらって新京極の映画館へと繰り出した。館内はそこそこの混雑だった。私達は中央通路に面した客席に陣取った。ここだと前方が開けていてカメラも構えやすいし、シャッター音も他の観客に聞こえずらい。映画の前半は撮影を優先させ、隠れるようにしながらシーン毎に数回シャッターを切った。二四枚撮りのモノクロフィルムを一本分撮りきって、中盤から後半は映画に集中した。どんでん返しが何度も起きて、根がトッポイ私はすっかり騙されてしまった。

 映画館を出るとすぐカメラ屋に寄って現像と同時プリントを依頼した。後日出来上がってきた写真は、スクリーンの映像が見事なまでにクリアに切り取られていた。大成功だった。南村君もその出来栄えに感心していた。この経験を経て私はカメラの扱いに少しだけ自信がついた。
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