第七話 決

文字数 4,824文字

 屋島VS佐津来鯨。
 その戦いも、佳境に入っていた。
「あははははは、いやほぅ楽しい~~!これだから戦いはやめられないぜ!」
「あったまおかしいんじゃないのあなた!?病院行ったら!?」
 喜びに打ち震える佐津来と、戦慄する屋島。
 彼女の発言も、まあそう間違ったものではなかった。少なくとも、一般的に見れば。
 なにせ佐津来は、墓石を抱えて振り回して、屋島を追い詰めていたのだから。
 神聖な墓所を最初に荒らしたのは屋島の方とはいえ、佐津来の所業もなかなかのものだった。
 それでも屋島は、数分前まではまだ笑顔を保つ余裕を残していた。空気砲のチャージにはまだ時間が必要ではあっても、人数の利を残していたからだ。
 油断のない彼女が、欠陥一人抑えるために単身で乗り込むはずはない。ちゃんとしたレベルの戦闘員を、運転手含め三名ほど手配しておいた。彼女の合図一つで、彼等は動く。
 加えて佐津来は初撃をくらっている。そのダメージは、傍からみても小さくはない。
 彼女は依然、勝利への算段をたてていた。
 しかしそんな余裕は、命令通りに動いた三名が10秒でのされてしまった辺りから消し飛ぶ。
 墓石を振り回しながら戦闘員たちを、文字通りなぎ倒していく佐津来の姿は、探偵ではなく明らかにS級犯罪者のそれだった。
 そんな人間の攻撃対象が今自分となっているのだから、屋島としては恐怖を感じざるを得ない。人体改造で得た運動能力と動体視力をもって、辛うじて全て避けてはいるが、限界に近い。空気砲は空気を取り込み終えるまで、まだかかる。
 つまるところ、屋島は絶体絶命だった。
 佐津来によって振り上げられた暮石が、そのまま真っ直ぐ降ろされた。避けるのが一瞬遅れ、それは屋島の右肩に直撃する。
 バキリ!
 人間からしたとは考えたくもないような音が響いた。
「ぐああああっ!」
 つんざくような悲鳴を上げ、ワンステップで佐津来から距離を取る。
「くそ……完全に壊された」
 右腕が挙がらない。止むことのない激痛が、屋島をむしばみ続ける。
 いっそ降伏してしまうかとも考えたが、すぐに心中で却下した。目の前で踊り狂っているイカれた探偵が、降伏宣言を受け入れるとは思えなかったからだ。
「つまり戦うしかないってことね」
 空気砲準備完了まで、残り約10分。
 屋島の思考はすでに、その時間をどう稼ぐかで巡っていた。
 横振りされた墓石を紙一重で避け、屋島は大きく地面を蹴って再び距離を取る。
 そして。
「お?なんだこれ」
 突如、辺りを白い霧のようなものが包み込んだ。無論屋島の仕業である。
 CSG開発の発煙筒。効果が従来のものより長く続く。
 滞空時間は、およそ10分。


 これから殺される時の恐怖と、自殺する時の恐怖は、果たしてどちらの方が大きいのだろうか。幸いにして殺されたことも自殺したこともないので、実際の所は分からないのだが、印象でものを言うなら殺される時の恐怖が勝る気がする。
 自分の意志ではなく、相手の意志でこの世から消えてしまうのだから。
 ともかく自殺以上の恐怖を味わったであろう成田千尋は、銃声が響いてから数秒後、うずくまった体を起こした。
「……あれ?」
 不思議そうに自分の状態を確認している。
 俺はふんと鼻を鳴らし、ピストルを軽く振って見せた。
「本物なわけがないじゃないか。発砲音が鳴るように改造された、ただのエアガンだ。死にたいやつをわざわざ殺すなんて、俺はそんな無駄なことをしない」
 殺すと思ったか?と軽く笑ってやると、ギロリと睨みつけられた。
「騙したな!」
「騙したよ。悪く思うなよ、騙されたほうが悪いのだ」
 さあ、ここからが本題だ。成田千尋が再び暴走し始める前に、せいぜい丸め込んでみるとしよう。
 巧言令色、口八丁。正真正銘、誠心誠意。偽らざるメッセージを、飾り付けられた俺の言葉で。
 俺は荒れた地面をさらっと俯瞰する。——改めて見ると、結構ひどい有様だったが、しかし目的のものは見つけられた。
 俺は数歩動いて、ある物を拾い上げる。それは先ほどエアガンから発砲された、大きめのBB弾だった。
 俺は白々しく言った。
「ん?これはおかしいな。なんでこんな離れた所に、銃弾が転がっているのだ?」
「っっ……それは」
「コンクリでも使って弾き飛ばしたのだろう?君が、その反射神経と動体視力をもってして」
 正直これは半分しか狙っていなかった。成田千尋がそこまで漫画みたいなことをできるかどうか分からなかったし、BB弾が見つかるかどうかさえ懐疑的、銃弾を直接破壊されていれば粉々になって確実に見つからなかっただろう。サイズを大きくしたからといって、そんなものは気休めに過ぎない。
 順調に進んで幸運だった。勿論うまくいかなかった場合に備えて、別のアプローチも準備していたが、今回は出番がなくて済みそうだった。
 俺は真っ直ぐ彼女の目を見て、問いかける。
「死にたくないのだろう、成田千尋」
「……うるさい。さっきからそう言ってんじゃん」
「じゃあ死ぬなよ。簡単なことだろう」
「簡単じゃあないんだよ!怖いんだ理屈じゃないんだ耐えられないんだ!死にたいんじゃなくて生きるのが嫌なんだよ!」
「何が好きで何が嫌いか、どうしたくてどうしたくないか。それは君の心の中の問題で、許しも得てない俺が勝手に荒らすものじゃあないよな。だから俺は、事実だけ述べさせてもらおう。君は俺が撃った弾を防いだ。死を拒否したんだ。偽らざる事実はそれだけだ」
 ………先程述べたように、自殺の恐怖と殺人の恐怖は異なるもので、もし俺が何の行動も起こさなければ、彼女は大して死を拒否することもなく自殺したのではないかという疑念はある。というか、ほぼ確実にそうだったろう。
 まあだからこその偽銃殺だったわけで、これくらいの騙くらかしは大目に見て欲しい。
 彼女が生を選んだことは、事実なのだから。
「生きたかったら生きればいいし、死にたかったら死ねばいい。君の考えに俺も同意だ。人間には自らの生死の決定権がある。死にたい奴に『生きろ』などと言う輩は、自分の都合しか考えられない偽善者だ」
 だが、と言葉を区切って、俺はBB弾をピンと指で弾く。
「君は死が怖いのだろう、なら生きろ。死の恐怖に怯え絶望して、それでも生きろ。死なんか忘れて、楽しく生きろ。祖父が死んだ?彼氏が死んだ?知ったこっちゃあない!たとえ生きたくなかろうと、それでも死にたくないのであれば、君が死ぬ理由など何一つない!」
「………分からない」
 彼女はうずくまって、呻くように言葉を紡いだ。
「皆、何であんな風に笑えるんだ。何であんな風に生きていられるんだ。自分がいつか死ぬこと、忘れちゃっているんじゃないか?死ぬことが怖くないの?あんたはどうなのさ?」
 あんたは、
 何で生きていられる?
 俺はその問いを受けて、目を瞑る。
 頭の中に、色んな人の声が流れてきた。
 海馬とおるの承諾。紺野カントの報告。佐津来鯨の断言。天津玲奈の嘆息。
 成田千尋の悲痛な叫び。
 屋島の中傷。
 九十九の助言。
 それら全てを味わいながら、息を吐く。
「俺は、」
 ……嫌だよな、ほんとに。世の中嫌なことばっかりだよな。
「意識していると言えば嘘になるが、まあ忘れてないつもりだよ。自分が死ぬってことは」
 逃げ出したいことばっかりで、生きていることになんの意味も見いだせなくって。
「じゃあなぜ生きていられるのかと考えて、他の奴らにきいてみたけれど、納得できる答えなんか見つからなかった。言っている奴によって、熱かったり冷たかったり達観してたりで、全然違うんだ。聞いていて面白いくらいだった」
 未来に明かりなんて見えなくて、やっぱり死ぬのは怖い。
「でも」
 それでもさ。
「死にたいって言っている奴は、居なかった。実直でも冷静でもひねくれてても、死ぬことを選択肢に入れている奴は居なかった」
 生きていて楽しいと思うことだって、同じくらいあるよ。
「結局、全く同じ考えを持っている奴なんていないのさ。だから多分、お前の矛盾した気持ちは、本当の意味では誰も分からない。けれど裏を返せばそれって、自分じゃ絶対に思いつかないようなことも、誰かと話して気付くことだってあるってことだよな?」
「知らない。何が言いたいの?」
「自分じゃ絶対分からないはずのことが、分かるようになるのが『良い』。だから俺は生きている」
 つらいことも楽しいことも、段々知っていった。
 それがどうしようもなく怖い時もあったけれど、しかしやはり心地よかった。
 生きるとは、知ることである。
 どんなに年を取っても、知らないことは多くて、だから知ることが多い。
 色んな人の考え、生き方、物事に向き合う姿勢。そういうのを見る度に、そういうのを見る度に、良い感情も嫌な感情も抱くことはあるけれど、やはり生きていて得をしたなと思う。
 新しい物と、新しい人と交わって、自分がどんどん新しくなっていく。昨日までの自分が、一秒前までの自分が更新されていく感覚が、何より心地良い。
「それが俺の生きる意味だ。納得したか?」
 問いかけると、不意に成田千尋の目の色が正常になり、全身から力が抜けたように近くの墓石に背中を預けて、目を瞑っていた。うるさい、知らない、というようなうわ言が聞こえたが、先ほどまでのような圧や棘は無かった。
 どうやら彼女自身の中でも、何か思うことがあったようだ。どの辺が響いたのかはしらないが、この件はとりあえず解決というところか。
「いつか、君の生きる意味も聞かせておくれよ」
 彼女に聞こえてはいないだろうと思いながらも俺は呟き、かがみこんで彼女を背負った。
 夕日が差していて、帰り道の景色がひどく幻想的に見えた。


「ち、当たんねえな。邪魔だこれ」
 7分経過。屋島の顔色には少し余裕が戻っていた。霧が功を為し、佐津来の攻撃が全く命中しなくなったからだ。
 だが刹那、屋島を違和感が襲う。
「霧が、晴れてきている………?」
 おかしい。10分間続くはずの目くらましが、既に切れかけ始めている。
 まさか、と屋島は思い当たった。
「墓石の振るいの勢いが強すぎて、空気が霧散しているってこと……?」
「んー、おらぁ」
 ブルンと佐津来が大きく墓石を振った。残りの白煙が吹き飛び、両者の視界が良好になった。
 ご満悦な表情の佐津来と、絶望した様子の屋島。
 まだ8分しか経っていない。つまり切り札は使えない。
 佐津来が勝負を終わらせようと一歩踏み出した時、不意にケータイの着信音が鳴り響いた。立ち止まる。
「わりい。俺だ」
「!?」
 戦闘中に通話という前代未聞の行動に驚愕しながらも、屋島はその隙に計算し始めた。逃げるべきか、奇襲すべきか、それとも時間稼ぎの妨害か、いや9分が経過した、1分適当に逃げ回って空気砲打てば——
 勝てる。確信した屋島は、完全に余裕を取り戻した。
 佐津来はしばらくケータイと問答を繰り返した後、屋島の方を見て軽く手を挙げた。
「ごめ、野暮用終わったってさ。この勝負はここまでってことで」
「は!?」
「いや残念な気持ちは俺も一緒だが、なにぶん仕事で来てるからな。プライベートでやりたくなったら、いつでもかけてきてくれ」
 自分の名刺をピッと投げ、んじゃまたと言って佐津来は帰っていった。
 屋島はその姿を、しばらく動けずに見送っていた。
 野暮用が終わった。つまりそれは、欠掛ずぼらが事態を解決したということで、成田千尋の異常が収束したこと、ひいてはCSGの目的が叶わなかったことを意味していた。
 屋島は投げられた名刺を拾い、びりびりに破り捨てた。それは佐久間という人間への評価をはっきり表す行為であった。
 やがて、ケータイを取り出し、どこかに通話をかけた。
「こちら屋島。任務遂行中、欠掛探偵・佐久間探偵の妨害に遭い、任務失敗」
 息を少し止め、言った。
「探偵会、こちらと全面的に対立する姿勢を示す。早急に対策を求む」
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