第二話 症

文字数 6,349文字

「それはね、ずぼらくん。本来は僕が担当する領分の事件なのだよ」
 と、九十九( つくも)は電話越しに、腹の立つ声と喋り方でそう言った。
 あれから——成田家訪問時の騒動から2時間が経過していたが、俺はその時の苦労を当分忘れることができそうになかった。
 ますは成田千尋の投げてくる諸々をかわしながら1階へ避難。その後成田夫妻に、器物破損で訴えられそうになったが、筆舌に尽くしがたい絶妙な立ち回りで何とか「こちらは成田千尋に負わせられた傷害を公にしない代わりに、あちらは器物破損はなかったことにする」という取り引きまで持ち込むことができた。
 当然のことながら依頼は取り消されてしまったのだが。
 さすがに許可なく、他人の家を破壊するのはやり過ぎた。まあ訴えられなかっただけ良しとしよう。プラス思考は大事だ。
 それはさておき、先ほどの成田千尋の件。
 明確にすることができた。あれはカウンセラー案件ではない。が、かといって俺の分野かどうかも微妙なところであった。——どっちみち依頼は取り消されているが。
 現象自体は確認できた。あれは錯覚ではなく現実だった。大人が二人がかりであの扉を開けられなかったのは、成田千尋が中から押さえていたから。何かに吹き飛ばされたというのも、おそらく成田千尋本人もしくは彼女が投擲したものに吹き飛ばされただけであろう。
 念のため成田夫妻に確認したが、成田千尋はもともと女子の中でも運動神経や力は弱い方だったそうだ。引きこもり生活を経て、さらに体はなまっているはずだ。本来ならば。
 女子高校生の腕力が、周りの死をきっかけに何故かいきなり化け物じみたものになってしまった。
 つまり。
 不思議なことというのが、種も仕掛けもなく本当に不思議だったという、ただそれだけ。
 本来ならばここで手を引いてもいいのだが、というかすでに依頼をうけていない以上手を引くべきなのだが、俺は自分の好奇心を止めることができなかった。
 好奇心は猫をも殺す?猫程度しか殺せない好奇心など、俺が脅威するに値しない。
 というわけで事務所に戻ってから次に俺がとった行動は、世界で2番目に嫌いな人間・九十九に電話をかけることだった。
 九十九のことを語るには、まず探偵会について説明しなければならないだろう。
 5年ほど前から、俺は探偵会という探偵集団に属している。不定期に集合し互いに情報交換するのが主な活動だ。……というのは表向きな内容で、実際はどうでもいいことを話し合う飲み会みたいなものである。
 メンバーは6名。
 探偵中の探偵・海馬( かいば)とおる。
 武闘派半殺し探偵・佐津来鯨( さつらいくじら)
 予言者かつプライバシーの敵・天津玲奈( あまつれいな)
 目いらず探偵・東川仙相( とうせんせんそう)
 超常現象係探偵・九十九。
 そして俺。
 備考だが俺を除くメンバー達は、肩書きを見て察しがつく方もいるだろうが、全員頭がおかしい。特に九十九は別格だ。
 どうでもいい情報かもしれないがこれもついでに言っておくと、人の名前をフルネームで呼ぶきらいのある俺が九十九と呼んでいるのは、本当の名前が分からないからに過ぎない。
 本名不明。性別不明。中性的な顔立ちからは判断がつかない。肉体からも判断が難しい。年齢不詳。見かけでは20歳を超えているか否かといったところか。俺よりは年下に見えるが、敬語を使うことは一切ない。誰に対しても、だ。そして、探偵会で最も謎が多いメンバー。
 九十九は例によって探偵である。ただし俺同様、専門的な探偵だ。
 現実には起こり得ないと考えられていること、つまり超常現象専門の探偵だ。
 …………初めて耳にした人には頭がおかしい人としか思えないかもしれないが、というか実際俺もそうとしか思っていないのだが、しかし彼は実際にそういった魑魅魍魎の類を相手にして、しかも解決している。
 どんな探偵だ。
 最早探偵と言えるのかどうか。
 イメージしづらければ霊媒士のようなものだと思ってくれていていいが、しかしそんな生易しいものではないということだけは言っておこう。
 奴は頭がおかしく、さらに性格が悪い、悪魔のような人間である。
 しかしそんな俺の大嫌いな九十九くんも、今回の成田千尋のようなケースにおいては、頼らざるを得ないプロフェッショナル。
 まさしく得意分野である。
 そんな理由で俺は奴に電話をかけた。3コールほどで応答があった。
 挨拶もなおざりにして、俺は成田家の事情を赤裸々に伝え(バリバリ情報漏洩だがいたしかたない)、奴の反応を待った。
 果たして九十九は、冒頭のような台詞を吐いたというわけだ。
「お前が担当する領分……つまり超常現象の類ってわけか」
「如何にもまさしくその通り。典型的なパターンだね」
 と九十九は訳知り顔、否訳知り声でそう言う。腹立つなあ。死ねばいいのに。
 それにしても、薄々分かっていたからこそ九十九に連絡したのだが、いざ専門家から直接告げられると動揺してしまう。
「なあ九十九。本当に種も仕掛けもない純粋な超常現象が、この世に存在するのか?」
「は?きくまでもなく、実際に見たんでしょ。千尋ちゃんの怪力を」
 馬鹿にしたような返事が返ってくる。年下のくせに。
 俺が携帯の電源を切る衝動に耐えている間にも、奴はのうのうと話を続けた。
「森羅万象、天地万物、この世の全てはみな怪異、ってね。そうだね、千尋ちゃんの件は急に怪力になるというから、妖怪カイリキーと名付けようか」
「ふざけているのか、お前」
 妖怪?しかも今名付けるって?
 ていうかカイリキーはポケモンだろうが。
 せめて妖怪ウォッチからとってこい。
「俺に妖怪などという存在を、信じろとでもいうのか」
「あははごめんごめん。冗談冗談そんなマジになんないでよ。妖怪とか怪奇伝承とかは基本後付けだから、怖がらなくても大丈夫だよ」
「…………」
 こいつと話していると不快感がとめどなく溢れてくる。
 ていうか依頼が取り消された時点で仕事じゃないんだから、こいつの話を無理して聞く必要はないんじゃないか?帰って寝てもいいかな。
 俺がそんなことを考えているのも知らず、九十九の話は続く。
「まあずぼらくんがそういうあり得ない現象を、認めたくないのも分かるよ。でもこういう類の話って、大体こじつけで説明できちゃうところもあるんだよね」
こじつけ?
「今回のことも、説明できるというのか」
「そうだね。僕が推測するに、成田千尋は過度にストレスを受けていたことにより、精神が侵されてしまった。人間が普段3割程度の力しか出せないようになっているのは、ずぼらくんも知ってるよね?それが精神の異常によりストッパーが外れて、10割の力を出せるようになってしまった。みたいな感じかな」
 淡々と自らの考えを述べる九十九。待て待て、どういうことだ。
「全然こじつけられてないぞ。現実的じゃないだろそんな理屈」
「そうだね。ここが難しいところだ」
 電話の向こうで肩をすくめている姿が想像できた。こんなときでも人を苛立たせるのを忘れない。
「っとね。現実的じゃなくても理屈は理屈だ。だけど中地半端に説明はできても、非科学的なことには変わりないわけだ。表現が適当かは微妙だけど、半分オカルト。だったら、いっそのこと全部オカルトの超常現象ってことにしよう、って話」
「…………?」
 説明が下手なのか事柄が難解なのかは判断しかねるところではあるが、俺が理解に苦しんでいるという事実に変わりはない。
 それでも言葉を嚙み砕く努力をしてみる。
「つまり……ドラえもんのどこでもドアが、瞬間的な移動を可能にする原理も技術も分からないのに比べて、タケコプターは、空を飛んで移動する原理は分かるけれど、それをどのような技術で可能にしているのかは分からないということか?」
「んん、なんで秘密道具で例えようと思ったのかは知らないけれど、そして例えた割にはあんまり分かりやすくなっていないけれど、概ねそういう理解で間違ってないと思うよ」
 なんとか印を押してもらえたようだが、しかしそれでも非現実的な超常現象というのには変わりない。どうでもいいがタケコプターの原理って、ヘリコプターと関係ないらしい。
 結局の所、こんな説明はいらないのかもしれない。どうせ『よく分からないもの』だと思っていたものが、『ちょっと分かっているけどやっぱりよく分からないもの』になっただけだ。
 説明は無意味で、時間の無駄だ。
 大事なのはテレビの構造を理解することより、テレビの使い方を覚えることである。
「というわけで九十九、お前は超常現象専門だが、探偵というのならやはり、分からないものを解明する仕事をしているのか?」
 それならば尊敬すべきことで俺はこいつを見直そうとは思わないまでも、少しはましな奴と思えたはずなのだが、またしても奴の返答はNOだった。
「僕の仕事は、分からないものを分からないまま、分からないなりに対処するって感じかな。言うなれば、方法を解く探偵」
 漢字が違う。「方法を説く」だ。
 と突っ込むのをすんでのところで我慢し、俺は最後の質問をした。
「それなら方法を解いてくれ。成田千尋の件だが、あれはどう対処するのが正解だ?今は家の中で済んでいるが、あれが暴走して町で暴れ始めたら、パニックが起こるぞ」
 なにせ姿は女子高生でもあの怪力。道路や建物を破壊して回る危険もある。はたから見たら恐怖そのものだ。
 よくフィクションの世界で、不思議な能力に目覚めた登場人物がそれを制御できず、暴走してしまうという展開はよく見かけるが、それと同じことが成田千尋にも起こるのだろうか。
 しかし九十九は、うーんと唸ってから意外な返事を返した。
「解決するなら間違いなく、彼女のストレスの原因を何とかするしかないんだけれど……。でもずぼらくん。依頼を取り消された君がわざわざ首を突っ込むほど、危険かつ重大な事件って訳でもないと思うけどな。僕だってこの件には関わる気が起きないし」
「……重要じゃない?」
 どういうことだろう。そりゃあ映画の中、漫画の世界で起こる程度とまでは言わなくとも、特殊な力を持った人間が暴走すれば、それなりに危険なはずだ。あの精神状態、過剰防衛を見た者としては、どうしてもそう思える。いや勿論大事件にはならないかもしれないが、見過ごしていい問題でもないと思う。
「ううん、そこが違うんだよね。宣言するけど、成田千尋が外に出て社会に損害をきたすとう可能性は、現状から判断するに極めて低い」
 だって、と続けられた言葉は、俺に言葉を失わせたが、同時になるほどとも思わせた。
「そのケースだと、大体本人がストレスの重圧に耐えかねて、外に出る前に自殺しちゃうから」


 俺は電話を切った後、しばらくそこに立ったままだった。
ストレスの重圧に耐えかねて、死ぬ。
 考えてみれば、他にも要因はあるのかもしれないが、人間のストッパーが外れるほどのストレス。まだ自殺していない方が異常なのかもしれない。
 自殺する。
 あの少女が。
 周りの不幸をきっかけに。
「…………………」
 すでに俺がやるべきことはなくなっていた。依頼は取り消されたし、成田千尋が社会に害をもたらす危険がないことも教えられた。俺が動く理由は何もない。
 俺は何も悪いことはしていない。しいて言うなら成田家の扉を壊したが、あれも修理代を払っておいた。依頼が取り消されているので報酬はもらえない。つまり現時点で、すでにハンマー代と扉の修理代分、赤字だ。俺はあまり金を使わないほうなので預金は有り余るほどあるが、まあ好んで仕事に使いたくはない。
 否、仕事ですらないのだ。
 探偵をやめたいとかぬかしていても、多分明日になったらまた依頼が来て、俺はそれを引き受けるのだろう。つまりこんなことに費やしている時間はないのだ。
 たかだか、一人の人間がもうすぐ自殺する、ただそれだけのことじゃないか。
 一年間に日本で自殺する人がどのくらいいると思っている。彼女も膨大なその中の一というだけだ。そもそもたった今だって、世界のどこかで誰かが死んでいる。それを考えれば、先ほど一瞬目にしただけの、しかもこちらに害を成してきた女一人死ぬことなんて、小さなことだ。
 なんてどうでもいいことなのだろう。
 そもそもストレスの原因を解決することが事態の鎮静につながるというのなら、それこそカウンセラーの仕事だ。大方、成田夫妻はカウンセラーにも依頼をすることだろう。カウンセラー達は面会しようとして、成田千尋の異常を確認し怖気ついて依頼を断るかもしれないが、なあにそんなことは全く俺に関係ない。
 全く俺に関係ない。
 第一、これから俺になにができるというのだ。先ほども九十九が言っていたじゃあないか。僕が担当する領分だ、と。引き受けるのがカウンセラーではないとしたら、それは九十九だ。まあ九十九は、この件の解決に価値を見出していない様子だったから、依頼がなければ、否依頼があっても関わることはなさそうだが。
 勿論俺も関わる気はない。
さて、とまれかくまれこの話はこれでお終いだ。
 俺は何もできないし、何もする義理はないし、何もする気はない。
 大変残念だなあ。いやいやこういう失敗も、人生経験の一つだ。俺も30年生きてきた中で自分のやるべきこととそうでないこと、その違いくらいは十分見てきた。今回は俺の領分ではない。ただそれだけのことじゃあないか。
 仕方のないことだ。
 妥協すべきことだ。
 諦めるべきことだ。
 首を突っ込んで、事態は悪化するかもしれない。それも含めて考えれば、俺がこの件に関して動くことは、意味がないどころかマイナスだ。
 大丈夫。どうせ明日になればケロッと忘れる。俺はそういう人間だ。
 どこで自殺する輩がいようと、勝手にすればいい。もともと探偵として働いているのも、人を助けたいとかじゃなく、働かなければ食っていけないからだ。つまり金のためだ。冷たいと言われようと、俺はそういう人間だ。もともとそういう人間じゃあないか。
 迷う余地などない。
 迷う時間が無駄である。
 何をまだ検討することがあろうか。
 俺は何をもって、何のために、何を考えてここに突っ立っている?
 いつまでこうしているのだ。
 早く帰って寝よう。そして忘れよう。どこに精神異常者がいようと、もう知ったことではない。ないのだ。
「………………………」
 ふう、と俺はため息をつく。そして深呼吸し、軽く伸びをする。
 しばらくして、ポケットに閉まった携帯電話を再び取り出し、登録されている電話番号に電話をかけた。
 トゥルルル、という音が何回が聞こえた後、聞きなれた声が聞こえた。
「もしもし、海馬です。どうしました欠掛さん?連絡してくるなんて珍しいじゃないすか」
 それは探偵会のメンバーでありながら、探偵中の探偵とも言われる名探偵・海馬とおるの声だった。
 海馬とおる。年齢25歳。性別男。最終記録では身長180㎝、体重75㎏。今まで依頼を受けた全ての事件を解決してきたと言われる探偵。
 彼に専門などはない。言うなれば、全てにおいて専門であるという感じ。
 俺は気を遣わないよう意識してきく。
「なあ、挨拶もなしに悪いんだが。お宅の助手、貸してくれないか?」
「ん、いいすけど。何するんすか?」
 即当でOKしてから、尋ねてくる海馬。本来ならば順序が逆な気がするが、彼の前では順序などささいなことだ。
 俺は少し考えてから、嘘にならないよう言葉を紡ぐ。
「日本の少子化問題の解決に貢献してくる」
 なんというか。
 仕方のないことでも、妥協すべきことでも、諦めるべきことでも。
 それが正解と分かっていても。
 正解を選ぶかどうかは個人の自由で、今回不正解を選ぶことは俺のタブーじゃあない。
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