第五話 Show
文字数 6,244文字
ところがどっこい、まだクライマックスというわけにもいかない。
時はさかのぼり3月5日。紺野カントから話を聞き、推理を組み立てた後のこと。
「早急に動くとするか」
呟いた俺は、まず携帯電話を開き、知り合いに連絡をかけた。
CSGに殴りこみをかけて、唯一生き残った知り合い。そして探偵会のメンバーの一人。
武闘派半殺し探偵・佐津来鯨にである。
「おうおう、珍しいじゃねーかぁ。何の用だ?」
年齢35歳。性別男。身長は俺と同じ173㎝、体重不明。筋肉で重そうでもあるし、意外と軽そうでもある。
彼はその肩書き通り、戦闘狂の探偵である。元々暴力関係者の手下になるように育てられた根っからの裏世界の人間だが、育て親に反抗して独立、探偵となった。犯人を見つけ次第、捕まえてボコボコにするところまでが、彼のパターンだ。
性格にかなり難はあるが、悪い奴ではない。
俺は成田千尋にまつわる今回の出来事について説明したが、電話相手は興味を全く示さなかった。というか、完全に聞き流している。
頼むよ探偵。俺は今回依頼人だぞ。
一通り経緯を話し終えると、佐津来鯨はいらだった様子で言った。
「んで?話の中に物騒なワードが一つも出てこなかったんだが?何を俺に依頼する気だ?」
「ああ、それを最初に伝えるべきだったな」
いかん、順序を間違えていた。
俺がこんな血の気の多い奴に何を依頼するのかと言えば、ボディーガード、または邪魔な人間の排除である。
この前に成田家から帰るとき、何者かに見張られているのに気付いた。先ほど俺が紺野カントと密会しているときも、視線を感じた。無論少年探偵の方も気付いてこちらに伝えようとしていたが。
ここで気になったのは、見張られる視線がその時によって違っていたことだ。つまり相手は複数人いることが予測できる。
集団に見張られている。
さすがに多人数で襲いかかってこられたら、降参する他手がない。そして見張りのタイミングから、成田千尋に関することで何かが動いている事は分かった。となれば俺が明日成田千尋と接触する際、何かしてくる可能性は十分にある。
それは困る。大変困る。
そこで知り合いで最も腕の立つ探偵・佐津来鯨に依頼を持ちかけたということだ。
話し終えると、電話相手は退屈したように言った。
「なんでえ、つまりお前の仕事を守るだけの話か。俺も暇じゃあねんだけどなあ。ま明日は暇だけど」
「頼む。お前だけが頼りだ。今度借りは返す」
「お、言ったな?引き受けてやんよ」
やべえな、俺。今回借りをつくりすぎだな。
この件解決した後、ちゃんと自分の仕事に戻れるのかな。
不安を押し殺し、佐津来鯨に言う。
「じゃあ明日の11時頃、連絡したらいつでもこっちに来れるようにしてくれ」
ああ?と怪訝そうな佐津来鯨。
「連絡してから、じゃ遅えんじゃねえの?お前の仕事守れんのかよ?」
「ああ大丈夫。この仕事は俺が勝手に動いている。俺が決着をつけなきゃいけないんだ。お前はあくまで助っ人として動いてもらいたい」
「要領を得ねえ説明だな。納得できねえ」
「一人で行かなきゃいけないんだ。成田千尋には、一人で立ち向かってやらなきゃいけない」
ふーんとまだ納得できなさそうにしていたが、最終的には俺の気持ちを汲んでくれた。
「んじゃまた明日。忘れてなきゃいくわ」
「っと。ちょっと待ってくれ」
「あん?」
思わず呼び止めてしまった。きくかきかまいか迷っていたのだが、しかしこの際だ。質問してみよう。
「お前、いつか自分が死ぬのって、どう思う?」
成田千尋のストレッサーと考えられるもの。
彼女の部屋にあった本のタイトルに『人が死ぬときに考える事』というものがあった。その時は成田一郎と戸妻翔の死について悩んでいるのかと思っていたが、しかし二人の死からは立ち直っていることが分かった。
だとすれば、自分の死。
彼女は、周りの死に影響され、自分が死ぬことについて考えている。
別に早急に死ぬような未来が無かったとしても、人間はいつか死ぬ。それに先見の明で気づいただけのことだ。
それが彼女の、触れてはいけなかったもの。
考えることそれ自体が、彼女にとってのタブー。
にわかに信じがたいが、しかし俺の推理ではこれが正しいという結論になった。
正直最初は「そんなことか」と言いたくなった。が悩んでいる本人にとってはそんな言葉じゃあ済ませられるものじゃあないし、考えてみると絶望するに値するような問題にも思えてくる。
全ての人間がいつか死んで、全てを失って、無に帰る。
映画やドラマの名シーンで、『俺は死なない』とか言っているが、いや死ぬのだ。全員もれなく、いつか死ぬ。
永遠は無いし、無限もない。当たり前のことで、ひどく残酷なこと。
せめて神様でも信じていればよかったものの、そこはリアリスト。天国も地獄も、彼女は存在を認めなかったのだろう。そして荒れた。
精神を病んでしまった。
そういういきさつも含めて、先ほど佐津来鯨には説明したのだが、やっぱり聞いていなかったらしい。しばらく黙ったあと、不審げに答えた。
「あ?どういう意図だよそれ……あーそうだな、まあ俺もちっちぇ頃は考えたりしたけどよぉ。今の俺の答えは『どうも思わない』だな」
「どうも思わない?」
思わずきき返してしまった。
佐津来鯨はおうよと応えた。電話の向こうで、好戦的な笑みを浮かべているのが分かった。
「だって俺は今生きているからな。死ぬのには興味ない」
さて。
佐津来鯨との通話を終え、俺は一息ついた。
根回しは済んだことだし、後は帰って寝るだけだ。
だけなのだが、しかし先ほど佐津来鯨にした質問についての俺の考えは、まだ固まっていない。佐津来鯨にきいてみれば何か得られるかもしれないと思ったのだが、いかんせん、格好いいだけで参考にはならなかった。考え方が違いすぎる。
このまま成田千尋に会ったとしても、俺の言葉で何かを伝えることはできないだろう。
自分の死について。
俺は、どう折り合いをつけて、生きている?
人間は、どうせいつか死ぬことが分かっているのに、どうして未来に希望を持てるのだ?
終わりよければ全て良しとはよく言ったものだが、それになぞらえて言うなら、全然終わりは良くないのだ。だって死ぬのだから。
終わりとはすなわち自分の死で、そして自分の死が良いことなわけがない。つまりあの言葉は、『人生すなわち悪し』ということなのだろうか?
……こればっかりは自分で考えていても仕方ない。
俺は携帯電話に登録されている、数少ないアドレスを開いた。
その中から、適任と思われる一人の名前を選んで電話をかける。
何度かコールが鳴って、相手が出た。
「もしもし、こんばんは。欠掛探偵が電話してくるなんて珍しいですね」
俺が電話をかけた相手は、探偵会の一人・天津玲奈。
身長170㎝、体重不明。年齢は20歳から25歳。例によって探偵だ。
彼女は俺が知る上で最も推理力のある人間だ。というか、推理力がありすぎるためにプライバシー保護の観点から、国家より推理禁止通告をちょくちょく施行されている。
どんな探偵だよ。探偵会こんなんばっかりだよ。
そして毎度のごとく、俺が皆から電話かけてきて珍しいって言われるの、何なのだろうか。
そんなに珍しいことか?
「珍しいじゃないですか。いつも飲み会でも難しい顔しているし、気さくなタイプでもないでしょう?さては事件の協力を頼みたいんですか?」
……断っておくが、俺はまだ何も口に出していない。このように人の心を読んでくるのが、彼女の十八番である。
いや『読んでいる』というと語弊があるかもしれない。俺のような人間心理専門の探偵は人の状態を目で見て耳で聞き、相手の考えを『読んでいる』。しかし彼女は状況や統計など、全ての情報を基にして、『推理する』。そうして相手の考えていること、さらにはこれから起こることも予測する。
だからこそ彼女に出されるのは、推理禁止通告なのだ。
俺を含む常人には理解が及ばない、化け物じみた推理力。それが彼女の特徴である。
「化け物とはひどいですね。私の一番の特徴は、この美貌だと恐れ多くも考えているのですが。ていうか前もこのやり取りしたのですが。それともあなたは、私の考えを否定するというのですか」
怖い怖い怖い。
「勘弁してくれ。お願いだからもう俺の心を推理しないでくれよ。本題に入りたいのだ」
「なら早く入ってくださいよ。こちらも暇じゃないのです」
なにせこれから、殺人事件に巻き込まれるかもしれないんですから。
付け足すように言ったことに、俺は少し震える。
彼女の予測はそう外れることはないので、きっと事件が起こるのだろう。そしてそれが起こった後で、巻き込まれた人間が無事でいられるかは分からない。
そんな状況に置かれている彼女に、俺は質問する。
「自分がいつか死ぬことについて、どう思う?」
こんなアバウトな問いにも、推理力のある天津玲奈であれば、明確な答えを提示してくれるかもしれない。そういう願いを込めて、俺は彼女に電話をかけたのだった。
果たして彼女は、
「は?」
とそれはそれは怪訝そうな声を発した。
「いきなりかけてきて、それはどういう意図の質問ですか?あまりに幼稚すぎて、さすがの私も推理できませんでしたよ」
応対冷たいな。
お前が質問に答える前に、俺が対応に応えるわ。
などというこちらの考えが推理される前に、俺は事情をざっくり説明する。
「……というわけで、先の質問をした。答えてもらえるか?」
「えぇ……私さっきも言ったんですけど、暇じゃないんですよ。どう思うって、いや別に、普通に嫌だなーって思うだけですけど」
あからさまにやる気のなさそうな探偵の声。
やばい人選ミスったな。
俺はしかし、諦めず粘る。
「いやそんなこと言わないで、ちゃんと考えてくれ。今一人の高校生が、この問題にぶちあたって心が折れているんだ」
「それは彼女が、自己中心的すぎるんですよね。自分が死ぬのは嫌だって、そんなことは皆思ってんですよ。それでもそんなくだらない悩みで、日常生活に支障きたしている人なんてなかなかいないでしょう?それは皆、自分が死ぬことを半分忘れて生きているっていうのもあるかもしれないですけど、それだけじゃなくて。『自分がいつか死ぬ』ってことよりも、大切なものがあるから、生きているんでしょう?自分のことしか考えられない餓鬼は、勝手に心折れてればいいんじゃないですか」
うわあ。辛辣。
しかし言いたいことは分かった。
ていうかまあ、そうだよな。
自分がいつか死ぬことに絶望しているのは、自分にいつか襲い掛かる害しか考えられていないってことだ。天津玲奈の言葉で言えば、自分のことしか考えられていない。
人間は自分のことが一番大事で、死ぬのが常に怖いのは当たり前だとは思ってしまうが。
「あの、もういいですか?私のとこにもクソ餓鬼がいるので、そっちにかまっているのはこれが限界だと思うんですけど」
あれ?天津玲奈って子持ちだったっけ?
ともかくそろそろ彼女が本気で会話を打ち切りたそうだったので、俺は適当に礼を言い、電話を切った。
さてと……
本音を言えば、もう少し色んな人、できれば探偵会メンバーに話を聞きたいところではあった。ためにはなったが、俺の考えは依然固まっていない。
しかしあと残っているメンバーといえば、もう面倒を山ほどかけている海馬とおるに、盲目で電話を基本拒否する東川仙相に、話したくもない九十九。
……だめだな、帰ろう。
俺はアパートに戻り、寝床に入った。
そして翌日3月6日。
屋島が去った後、俺は携帯電話を開き、佐津来鯨に連絡をとった。
それから5分後、颯爽と現れた。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!ようよう、どうした敵が出てきたかー!」
「もういいもういい、もうテンション高いキャラはお腹いっぱいだから」
ポーズを取り始める彼を必死にとどめ、俺は上着を脱ぐ。
佐津来鯨は焦ったように、逆に俺を止めてくる。
「おいどうした!ここで着替えるな、公然わいせつ罪だよ!」
「ちょっと何も聞かずに、これを羽織って隣町の桐岡墓所に向かってくれ」
先ほど肩を叩かれたとき、発信機を付けられたのは分かっていた。盗聴器が付いていないのは確認済みだ。
俺は佐津来鯨に、無理矢理上着を着せる。
彼はなおも抵抗していた。
「おい、おい!何だよいきなり!ちゃんと説明しやがれ!」
「時間がないからこれだけ言っておく。桐岡墓所に行けば、CSGの実戦部隊第8師団団長の屋島って女と戦えるぞ」
そう告げると、彼の髪の毛がピピーンと立った。闘志がメラメラと燃えているのが分かる。
「うおおおお、CSGぶっ飛ばしてやるぜぇー!」
どたどたと走っていく佐津来鯨。彼のCSGに対する熱意は、そして戦闘に対する欲求は、ただならないものがある。
………突っ込めなかったけど、髪の毛が立ったのはどういう原理なんだ。奴の体こそCSGに研究してもらうべきなのでは……それはさておき。
よし。
これで屋島をはめる。
俺の裏をかく彼女の、さらに裏をかく。
先の会話で彼女が俺を疑っていることは、表情から読み取れた。ずっと笑顔でも、小さな感情の揺れは、どうしても表情の細かな筋肉に出てしまうものなのだ。
これでも人間心理専門を名乗る探偵だ。
見逃すことはない。
彼女の言葉に心が折れた演技を続け(実際ダメージはかなり受けたのだが)、行き先を上坂墓所と伝え、さらに仕掛けられた発信機を佐津来鯨に移して桐岡墓所に向かわせる。
二重トラップの完成だ。
彼女を騙したと思い込んでいる振りをして、それを見抜いたつもりの彼女をまた騙す。
成田千尋が逃げたと思しき場所には、彼女どころか俺もいない。代わりに半殺し探偵がいる。
……うわぁ。最低だ、俺。屋島にセッティングしたシチュエーションの設定がゴミすぎる。生涯恨まれてもおかしくない。
「さてと、俺も成田千尋のところに、早く行かなくちゃな」
呟いて、俺は地図を取り出し、道を確認する。
成田千尋がいる場所は、墓だ。これは嘘じゃない。
ただし俺の推理では、彼女が向かうのは隣町の墓じゃない。この家から最短距離にある、町内の墓所——有明 墓所だ。
彼女にとって重要なのは、ただ墓所ということだけなのだ。そこに誰が埋まっているのかは、関係ない。となれば最短の場所に向かうのは、当然と言えるだろう。
心配だったのは、俺の叫びを屋島が聞いていた場合、自分で推理して有明墓所に向かうという可能性があったのだが、それはないということが確かめられている。
大体彼女、俺を信用しすぎなのだ。もし疑うならば、俺の推理が的外れで成田千尋が全然違うところにいる可能性まで、考慮する必要があった。
……まあ、何というか、俺の推理が外れていて成田千尋が桐岡墓所に行っている可能性だって、十分どころか十二分にあるのだが。
その時は、その時だ。今は俺ができることをするしかないし、俺ができることはいつだって今しかできない。
有明墓所の場所は特定できた。ここから歩いて10分くらいだろうか。
俺は小走りで、そこへ向かった。
成田千尋にかける言葉を見つけられないまま。
それでも、決着を付けなければいけない時はやってくる。
人がいつかは死ななければならないのと、同じように。
時はさかのぼり3月5日。紺野カントから話を聞き、推理を組み立てた後のこと。
「早急に動くとするか」
呟いた俺は、まず携帯電話を開き、知り合いに連絡をかけた。
CSGに殴りこみをかけて、唯一生き残った知り合い。そして探偵会のメンバーの一人。
武闘派半殺し探偵・佐津来鯨にである。
「おうおう、珍しいじゃねーかぁ。何の用だ?」
年齢35歳。性別男。身長は俺と同じ173㎝、体重不明。筋肉で重そうでもあるし、意外と軽そうでもある。
彼はその肩書き通り、戦闘狂の探偵である。元々暴力関係者の手下になるように育てられた根っからの裏世界の人間だが、育て親に反抗して独立、探偵となった。犯人を見つけ次第、捕まえてボコボコにするところまでが、彼のパターンだ。
性格にかなり難はあるが、悪い奴ではない。
俺は成田千尋にまつわる今回の出来事について説明したが、電話相手は興味を全く示さなかった。というか、完全に聞き流している。
頼むよ探偵。俺は今回依頼人だぞ。
一通り経緯を話し終えると、佐津来鯨はいらだった様子で言った。
「んで?話の中に物騒なワードが一つも出てこなかったんだが?何を俺に依頼する気だ?」
「ああ、それを最初に伝えるべきだったな」
いかん、順序を間違えていた。
俺がこんな血の気の多い奴に何を依頼するのかと言えば、ボディーガード、または邪魔な人間の排除である。
この前に成田家から帰るとき、何者かに見張られているのに気付いた。先ほど俺が紺野カントと密会しているときも、視線を感じた。無論少年探偵の方も気付いてこちらに伝えようとしていたが。
ここで気になったのは、見張られる視線がその時によって違っていたことだ。つまり相手は複数人いることが予測できる。
集団に見張られている。
さすがに多人数で襲いかかってこられたら、降参する他手がない。そして見張りのタイミングから、成田千尋に関することで何かが動いている事は分かった。となれば俺が明日成田千尋と接触する際、何かしてくる可能性は十分にある。
それは困る。大変困る。
そこで知り合いで最も腕の立つ探偵・佐津来鯨に依頼を持ちかけたということだ。
話し終えると、電話相手は退屈したように言った。
「なんでえ、つまりお前の仕事を守るだけの話か。俺も暇じゃあねんだけどなあ。ま明日は暇だけど」
「頼む。お前だけが頼りだ。今度借りは返す」
「お、言ったな?引き受けてやんよ」
やべえな、俺。今回借りをつくりすぎだな。
この件解決した後、ちゃんと自分の仕事に戻れるのかな。
不安を押し殺し、佐津来鯨に言う。
「じゃあ明日の11時頃、連絡したらいつでもこっちに来れるようにしてくれ」
ああ?と怪訝そうな佐津来鯨。
「連絡してから、じゃ遅えんじゃねえの?お前の仕事守れんのかよ?」
「ああ大丈夫。この仕事は俺が勝手に動いている。俺が決着をつけなきゃいけないんだ。お前はあくまで助っ人として動いてもらいたい」
「要領を得ねえ説明だな。納得できねえ」
「一人で行かなきゃいけないんだ。成田千尋には、一人で立ち向かってやらなきゃいけない」
ふーんとまだ納得できなさそうにしていたが、最終的には俺の気持ちを汲んでくれた。
「んじゃまた明日。忘れてなきゃいくわ」
「っと。ちょっと待ってくれ」
「あん?」
思わず呼び止めてしまった。きくかきかまいか迷っていたのだが、しかしこの際だ。質問してみよう。
「お前、いつか自分が死ぬのって、どう思う?」
成田千尋のストレッサーと考えられるもの。
彼女の部屋にあった本のタイトルに『人が死ぬときに考える事』というものがあった。その時は成田一郎と戸妻翔の死について悩んでいるのかと思っていたが、しかし二人の死からは立ち直っていることが分かった。
だとすれば、自分の死。
彼女は、周りの死に影響され、自分が死ぬことについて考えている。
別に早急に死ぬような未来が無かったとしても、人間はいつか死ぬ。それに先見の明で気づいただけのことだ。
それが彼女の、触れてはいけなかったもの。
考えることそれ自体が、彼女にとってのタブー。
にわかに信じがたいが、しかし俺の推理ではこれが正しいという結論になった。
正直最初は「そんなことか」と言いたくなった。が悩んでいる本人にとってはそんな言葉じゃあ済ませられるものじゃあないし、考えてみると絶望するに値するような問題にも思えてくる。
全ての人間がいつか死んで、全てを失って、無に帰る。
映画やドラマの名シーンで、『俺は死なない』とか言っているが、いや死ぬのだ。全員もれなく、いつか死ぬ。
永遠は無いし、無限もない。当たり前のことで、ひどく残酷なこと。
せめて神様でも信じていればよかったものの、そこはリアリスト。天国も地獄も、彼女は存在を認めなかったのだろう。そして荒れた。
精神を病んでしまった。
そういういきさつも含めて、先ほど佐津来鯨には説明したのだが、やっぱり聞いていなかったらしい。しばらく黙ったあと、不審げに答えた。
「あ?どういう意図だよそれ……あーそうだな、まあ俺もちっちぇ頃は考えたりしたけどよぉ。今の俺の答えは『どうも思わない』だな」
「どうも思わない?」
思わずきき返してしまった。
佐津来鯨はおうよと応えた。電話の向こうで、好戦的な笑みを浮かべているのが分かった。
「だって俺は今生きているからな。死ぬのには興味ない」
さて。
佐津来鯨との通話を終え、俺は一息ついた。
根回しは済んだことだし、後は帰って寝るだけだ。
だけなのだが、しかし先ほど佐津来鯨にした質問についての俺の考えは、まだ固まっていない。佐津来鯨にきいてみれば何か得られるかもしれないと思ったのだが、いかんせん、格好いいだけで参考にはならなかった。考え方が違いすぎる。
このまま成田千尋に会ったとしても、俺の言葉で何かを伝えることはできないだろう。
自分の死について。
俺は、どう折り合いをつけて、生きている?
人間は、どうせいつか死ぬことが分かっているのに、どうして未来に希望を持てるのだ?
終わりよければ全て良しとはよく言ったものだが、それになぞらえて言うなら、全然終わりは良くないのだ。だって死ぬのだから。
終わりとはすなわち自分の死で、そして自分の死が良いことなわけがない。つまりあの言葉は、『人生すなわち悪し』ということなのだろうか?
……こればっかりは自分で考えていても仕方ない。
俺は携帯電話に登録されている、数少ないアドレスを開いた。
その中から、適任と思われる一人の名前を選んで電話をかける。
何度かコールが鳴って、相手が出た。
「もしもし、こんばんは。欠掛探偵が電話してくるなんて珍しいですね」
俺が電話をかけた相手は、探偵会の一人・天津玲奈。
身長170㎝、体重不明。年齢は20歳から25歳。例によって探偵だ。
彼女は俺が知る上で最も推理力のある人間だ。というか、推理力がありすぎるためにプライバシー保護の観点から、国家より推理禁止通告をちょくちょく施行されている。
どんな探偵だよ。探偵会こんなんばっかりだよ。
そして毎度のごとく、俺が皆から電話かけてきて珍しいって言われるの、何なのだろうか。
そんなに珍しいことか?
「珍しいじゃないですか。いつも飲み会でも難しい顔しているし、気さくなタイプでもないでしょう?さては事件の協力を頼みたいんですか?」
……断っておくが、俺はまだ何も口に出していない。このように人の心を読んでくるのが、彼女の十八番である。
いや『読んでいる』というと語弊があるかもしれない。俺のような人間心理専門の探偵は人の状態を目で見て耳で聞き、相手の考えを『読んでいる』。しかし彼女は状況や統計など、全ての情報を基にして、『推理する』。そうして相手の考えていること、さらにはこれから起こることも予測する。
だからこそ彼女に出されるのは、推理禁止通告なのだ。
俺を含む常人には理解が及ばない、化け物じみた推理力。それが彼女の特徴である。
「化け物とはひどいですね。私の一番の特徴は、この美貌だと恐れ多くも考えているのですが。ていうか前もこのやり取りしたのですが。それともあなたは、私の考えを否定するというのですか」
怖い怖い怖い。
「勘弁してくれ。お願いだからもう俺の心を推理しないでくれよ。本題に入りたいのだ」
「なら早く入ってくださいよ。こちらも暇じゃないのです」
なにせこれから、殺人事件に巻き込まれるかもしれないんですから。
付け足すように言ったことに、俺は少し震える。
彼女の予測はそう外れることはないので、きっと事件が起こるのだろう。そしてそれが起こった後で、巻き込まれた人間が無事でいられるかは分からない。
そんな状況に置かれている彼女に、俺は質問する。
「自分がいつか死ぬことについて、どう思う?」
こんなアバウトな問いにも、推理力のある天津玲奈であれば、明確な答えを提示してくれるかもしれない。そういう願いを込めて、俺は彼女に電話をかけたのだった。
果たして彼女は、
「は?」
とそれはそれは怪訝そうな声を発した。
「いきなりかけてきて、それはどういう意図の質問ですか?あまりに幼稚すぎて、さすがの私も推理できませんでしたよ」
応対冷たいな。
お前が質問に答える前に、俺が対応に応えるわ。
などというこちらの考えが推理される前に、俺は事情をざっくり説明する。
「……というわけで、先の質問をした。答えてもらえるか?」
「えぇ……私さっきも言ったんですけど、暇じゃないんですよ。どう思うって、いや別に、普通に嫌だなーって思うだけですけど」
あからさまにやる気のなさそうな探偵の声。
やばい人選ミスったな。
俺はしかし、諦めず粘る。
「いやそんなこと言わないで、ちゃんと考えてくれ。今一人の高校生が、この問題にぶちあたって心が折れているんだ」
「それは彼女が、自己中心的すぎるんですよね。自分が死ぬのは嫌だって、そんなことは皆思ってんですよ。それでもそんなくだらない悩みで、日常生活に支障きたしている人なんてなかなかいないでしょう?それは皆、自分が死ぬことを半分忘れて生きているっていうのもあるかもしれないですけど、それだけじゃなくて。『自分がいつか死ぬ』ってことよりも、大切なものがあるから、生きているんでしょう?自分のことしか考えられない餓鬼は、勝手に心折れてればいいんじゃないですか」
うわあ。辛辣。
しかし言いたいことは分かった。
ていうかまあ、そうだよな。
自分がいつか死ぬことに絶望しているのは、自分にいつか襲い掛かる害しか考えられていないってことだ。天津玲奈の言葉で言えば、自分のことしか考えられていない。
人間は自分のことが一番大事で、死ぬのが常に怖いのは当たり前だとは思ってしまうが。
「あの、もういいですか?私のとこにもクソ餓鬼がいるので、そっちにかまっているのはこれが限界だと思うんですけど」
あれ?天津玲奈って子持ちだったっけ?
ともかくそろそろ彼女が本気で会話を打ち切りたそうだったので、俺は適当に礼を言い、電話を切った。
さてと……
本音を言えば、もう少し色んな人、できれば探偵会メンバーに話を聞きたいところではあった。ためにはなったが、俺の考えは依然固まっていない。
しかしあと残っているメンバーといえば、もう面倒を山ほどかけている海馬とおるに、盲目で電話を基本拒否する東川仙相に、話したくもない九十九。
……だめだな、帰ろう。
俺はアパートに戻り、寝床に入った。
そして翌日3月6日。
屋島が去った後、俺は携帯電話を開き、佐津来鯨に連絡をとった。
それから5分後、颯爽と現れた。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!ようよう、どうした敵が出てきたかー!」
「もういいもういい、もうテンション高いキャラはお腹いっぱいだから」
ポーズを取り始める彼を必死にとどめ、俺は上着を脱ぐ。
佐津来鯨は焦ったように、逆に俺を止めてくる。
「おいどうした!ここで着替えるな、公然わいせつ罪だよ!」
「ちょっと何も聞かずに、これを羽織って隣町の桐岡墓所に向かってくれ」
先ほど肩を叩かれたとき、発信機を付けられたのは分かっていた。盗聴器が付いていないのは確認済みだ。
俺は佐津来鯨に、無理矢理上着を着せる。
彼はなおも抵抗していた。
「おい、おい!何だよいきなり!ちゃんと説明しやがれ!」
「時間がないからこれだけ言っておく。桐岡墓所に行けば、CSGの実戦部隊第8師団団長の屋島って女と戦えるぞ」
そう告げると、彼の髪の毛がピピーンと立った。闘志がメラメラと燃えているのが分かる。
「うおおおお、CSGぶっ飛ばしてやるぜぇー!」
どたどたと走っていく佐津来鯨。彼のCSGに対する熱意は、そして戦闘に対する欲求は、ただならないものがある。
………突っ込めなかったけど、髪の毛が立ったのはどういう原理なんだ。奴の体こそCSGに研究してもらうべきなのでは……それはさておき。
よし。
これで屋島をはめる。
俺の裏をかく彼女の、さらに裏をかく。
先の会話で彼女が俺を疑っていることは、表情から読み取れた。ずっと笑顔でも、小さな感情の揺れは、どうしても表情の細かな筋肉に出てしまうものなのだ。
これでも人間心理専門を名乗る探偵だ。
見逃すことはない。
彼女の言葉に心が折れた演技を続け(実際ダメージはかなり受けたのだが)、行き先を上坂墓所と伝え、さらに仕掛けられた発信機を佐津来鯨に移して桐岡墓所に向かわせる。
二重トラップの完成だ。
彼女を騙したと思い込んでいる振りをして、それを見抜いたつもりの彼女をまた騙す。
成田千尋が逃げたと思しき場所には、彼女どころか俺もいない。代わりに半殺し探偵がいる。
……うわぁ。最低だ、俺。屋島にセッティングしたシチュエーションの設定がゴミすぎる。生涯恨まれてもおかしくない。
「さてと、俺も成田千尋のところに、早く行かなくちゃな」
呟いて、俺は地図を取り出し、道を確認する。
成田千尋がいる場所は、墓だ。これは嘘じゃない。
ただし俺の推理では、彼女が向かうのは隣町の墓じゃない。この家から最短距離にある、町内の墓所——
彼女にとって重要なのは、ただ墓所ということだけなのだ。そこに誰が埋まっているのかは、関係ない。となれば最短の場所に向かうのは、当然と言えるだろう。
心配だったのは、俺の叫びを屋島が聞いていた場合、自分で推理して有明墓所に向かうという可能性があったのだが、それはないということが確かめられている。
大体彼女、俺を信用しすぎなのだ。もし疑うならば、俺の推理が的外れで成田千尋が全然違うところにいる可能性まで、考慮する必要があった。
……まあ、何というか、俺の推理が外れていて成田千尋が桐岡墓所に行っている可能性だって、十分どころか十二分にあるのだが。
その時は、その時だ。今は俺ができることをするしかないし、俺ができることはいつだって今しかできない。
有明墓所の場所は特定できた。ここから歩いて10分くらいだろうか。
俺は小走りで、そこへ向かった。
成田千尋にかける言葉を見つけられないまま。
それでも、決着を付けなければいけない時はやってくる。
人がいつかは死ななければならないのと、同じように。