第六話 天

文字数 6,239文字

「俺は佐津来鯨。殺し屋……じゃねえや、探偵やってまーす。CSGには恨みもあるんで手加減できませーん。どうぞよろしく」
 その言葉を聞き終えないうちに、屋島は行動に移っていた。
 欠掛ずぼらの代わりに佐津来鯨がいることは確かに驚くべき事態だが、しかしだからといって、否だからこそ。
 彼女は判断を迅速に下す。
 佐津来鯨。過去にCSGの実験施設に殴り込みを仕掛け、施設を半壊し、何より生きて帰った男。彼の存在は組織内でもささやかれており、注意人物として公言されてもいる。
 武者四角の一人、不死身の戦闘狂( マッドフェニックス)
 そんな人間を相手取るにあたって、動くのは早い方が良く、切り札は早く切った方が良い。
 屋島は右腕を突き出し、手のひらを佐津来に向けた。
 次の瞬間、爆音が響き、佐津来は立っていた場所から吹き飛ばされていた。
 凄まじいほどの風圧によって。
 屋島はCSGの研究員に実験を受けている。その成果は何も、身体能力の向上に限った話ではない。
 彼女の右手には、特殊な血管が植え付けられている。
 血管は血液を循環させるポンプのような役割を果たしている。身体中に酸素や養分を届けるのに不可欠な存在だ。
 では。
 血液以外のものを送り出すことも、可能なのではないだろうか。
 そんなたかが外れた考えは実行に移され、成功した。
 皮膚から大量に空気を取り込み、瞬間的に手のひらの血管から放出する——!
 その空気は地面を抉り、周囲の墓石もろとも佐津来を吹き飛ばした。
「………ま、放出する時は血管を露出させなきゃだから地味に痛いし、衝撃で肩やっちゃうんで、あんまやりたくないんですどね」
 肩を回しながら、一仕事終えてのため息をつく屋島。
 吹き飛ばされた佐津来は、数個の墓石に激突しても止まらず、屋島から30メートルほど離れたところでようやく威力を落とした。位置的によく見えないが、おそらく意識は飛んでいるだろうし、とても動ける状態ではないだろう。
 屋島はそう判断を下し、部下二人に撤収の指示を出した。
 恐るべき空気砲。
 ただこの改造は、威力だけで見れば実はそこまで評価は得られていない。わざわざ手を改造しなくても、普通に武器の大砲を使えばそれ以上の威力を出すことは可能だからだ。
 だからこの空気砲の本当の脅威は、警戒できないことにある。誰も人間の手から風が飛んでくるなんて思いもしない。
 そのため屋島は、多くの場合最初にこの切り札を切る。そうして無警戒の敵を喰らうのだ。
 初見殺しの屋島。それが組織内でささやかれている彼女の異名。
「さてと、切り上げますか……しかし成田千尋、どこにいるのかな」
 荒らしてしまった墓所に背を向け、屋島は呟く。彼女は元々、武力には最低限しか頼らない人間だ。敵の心を折る心理戦術や状況を利用した立ち回り、そして何より常に機転をきかせる頭脳にこそ、彼女の強みは存在するのである。
 今も、逃してしまった欠陥を追う方法に、思考をシフトしていた。
 ただし。
 もしここに欠掛ずぼらがいたならば、そんな彼女に激しく危険喚起をすることは間違いない。
 結局のところ、屋島は佐津来鯨を理解する努力を怠ったのだ。どれだけ評価していようと、その恐ろしさを把握できていなかった。
 佐津来は武者四角に数えられるほど、強大な戦闘力を有している。とはいえそれは、唯一無二のものではない。例えば、人を破壊することを専門にした超人「破壊屋( はかいや)」に勝負を挑めば、よほどのイレギュラーがない限り負けるだろうし、自らを改造し尽くしたCSGの統率者・神童徒然( しんどうとぜん)と戦えば、完敗を期すことは想像に難くない。
 上には上がいる。強くても、最強ではないのだ。
 だからそんな佐津来の強みは、「死なないこと」にある。
 勝てそうにない勝負を誰彼構わず挑む、かなりの戦闘狂であるにも関わらず、彼は必ず最後に生きて帰ってくる。
 破壊屋を相手にしようと、CSGを相手にしようと、100人の軍人を相手にしようと、化け物を相手にしようと。
 そしてその結果、勝とうと負けようと。
 彼は死ぬことなく、ここまで生き残ってきた。死なずに戦い続けてきた。人生という勝負に勝ち続けてきたのだ。
 まさに死に知らず。正しく不死身の狂戦士。
 そんな生き残ってきた探偵が、敵対者を前に、一度戦ったことのある組織に属した者を前に、警戒しないなんてことが、あるはずもなく——
「っつ。痛ーなちくしょ。庇った両腕折れちゃったじゃんか。さすがに避けらんねえもんな」
「!?」
 屋島は驚き、慌てて、そして振り向いた。
 そこには、ふらふらとした足取りで近づいてくる佐津来の姿があった。全身ボロボロで、立っているのもやっとという様子で、それでも。
 その顔は、どうしようもなく楽しそうに、笑っていた。
「こっからが本番だぜ。かかって来いよ初見殺し。何見でも見切ってやるからさあ!」
 いや、一回目は見切れてなかったじゃん、と。
 屋島は心の中で、そう突っ込んだ。
 戦いはいまだ継続中。


「つまり九十九、お前の『成田千尋は自宅の外に出る前に自害する』って読みは、どうしようもなくあり得ないほど的外れの勘違い、あってはならない大間違いだったってことか?」
「いやいやずぼらくん。とても嫌味に聞こえるんだが、今回に関しては僕は悪くないと思うよ。悪いのは全部CSGさ」
 さらっと責任転嫁するようなことを九十九が言った。肩をすくめている姿が頭に浮かんだ。
 現在正午。俺は九十九と通話しながら、徒歩で有明墓所に向かっていた。
 墓所自体は成田家の近くにあるので、歩きでも十分屋島が来るまでに間に合うという読みだけれど、自然と足が速くなってしまう。
「ま、家から出ざるを得ない状況に追い込まれたからというのは分からなくもないんだけど、しかしそれにしたって稀なケースだと思うよ。それについては」
 彼女の稀なストレッサーが関係しているのかもね、と。
 知ったように続けられた言葉を、俺は嚙みしめる。
 死ぬのが怖い、という気持ちが強烈なのであれば、確かに自殺は考えないのかもしれない。
 というか逆に、死が怖いので死を選ぶなんてことが、果たしてあり得るのだろうか?
 そう九十九にきくと、
「しっかりしてくれよずぼらくん。人間心理専門の探偵が、人間心理に疎くてどうするよ。そういう場合は、死から逃れるんじゃなくて『死の恐怖に耐えられない現実』から逃避するために死を選ぶんだろ?多少気後れはするにしたってさ」
「う…む。でもそれって矛盾してないか?」
「追い詰められた人間は、論理的に考えられるものじゃあない。それは君だって、いや君の方が良く知っているはずだろう」
 …………なるほど。
 こいつの意見に納得するのは癪だが、しかし理解できた。
 彼女が今現在も、死を選ぶ可能性の存在が。
 こうなると先を越すとかそんなこと関係なく、一刻も早く墓所に到着しなければという気になる。
 俺はさらに足を速めた。
 さて確認も終えたことだし、有明墓所も遠くない。本当ならば今すぐ通話を切っても良かったのだが、俺にしては珍しく、本当に珍しく、九十九へ個人的に質問したいことがあった。
 それは昨日きかなかったこと。
 あてにしてはいないが、果たしてどんな回答が出るものか。
「九十九、お前は、いつか自分が死ぬことについてどう思う?」
「んー?」
 とそんな間の抜けた声を漏らし、九十九は一瞬黙った。
 その後、すぐに笑い混じりの返事が返ってくる。
「怖いに決まってるじゃん。僕をなんだと思っているのさ。普通に怖いよ」
「怖いのはそうだろうが、それについて考えていることとかないのか?」
「ははは、何言ってるのずぼらくん。そんなこと、考えるのにはまだ早いさ。考えて、そこからどのような結論を出したとしても、それは1年後には全然違うものに変わっているのかもしれないし、10年後には覚えていないだろうし。変化し得ない結びの論——結論は、それこそ死ぬ前にしか出せないんじゃない?」
「…………そうかもな」
 そうかもしれないと、言葉通りの感想を抱いた。
 今の俺が何かを考えて、結論らしきものを出したところで、それは今の俺の考えであって結論じゃない。
 だとしたら。
 俺たちはまだ、迷っていてもいいのかもしれない。
 結論を出さない。曖昧にぼかす。
 生きている意味も死ぬ意味も、もっと適当でいいのかもしれない。
 それが適当なのかもしれない。
 もっと、楽に生きていいのかもしれない。成田千尋も俺も。
「しかしまあ、こういう『いつか答えをだせればいいじゃない』みたいな意見は、大体の場合において、全てが終わった後に出てくるものだけどな。ますます落ちつき所が分からなくなってきたぜ」
「はっはー、まあ頑張りたまえよ。それを考えるのは、君の仕事さ」
 いつものような馬鹿にした言い方にいらつきながらも、ふと違和感を覚えた。
 俺の仕事、ね。
「これは、お前の領分じゃなかったのか?」
 この件に関わって最初に九十九と通話したときは、確かにそう言っていたはずだ。
 いや勿論、俺の仕事だということに何ら反論すべきことはないのだが。
 果たして、九十九は言った。
「僕の領分であっても、これは間違いなく君の仕事さ、ずぼらくん。業務でもなく職業でもなく、することでもなく、しなければいけないことでもなく」

「確かに君のすべきことで、確かに君のやりたいことさ」 

「…………そうかよ」
 俺は柄にもなく微笑んで、通話を切った。
 同時に、有明墓所に着いた。
 まずは現状確認。
 例の部屋のように、墓所は荒らされていた。いくつかの墓石が倒れていて、いくつかの墓石は原型をとどめておらず、水汲み場のパイプは曲がっていて、壁が破壊されている箇所も見られる。
 そして、倒れた墓石の一つの上に、
 成田千尋が、力なく座っていた。
 服はいたるところに破れ目ができていて、髪もまとまっていない。そして何より、顔色が病人のように悪かった。
 こちらの気配に気づき睨んでくる、その目は完全に生気を失っていた。
 なるほど。確かにこれは、長く持ちそうにない。
 少なくとも、CSGの実験を受ける余裕はなさそうだ。それでも彼等はやるかもしれないけれど。
「あんた……何しに来たんだ」
 やがて成田千尋が尋ねた。
 会話ができることに安心しつつ、俺はできる限り陽気に答える。
「墓に来たんだ。墓参りに決まっているだろう」
 台詞が台詞だけに、そして場面が場面だけに、思ったほど陽気な返事にはならなかっただろう。
 彼女は疲れたような声で呟いた。
「墓参りね……なんの意味があるんだか。こんなところに霊はいないって、死んだら意識がなくなって二度と戻らないだけだって、皆ほんとは分かっている癖に。分かっている癖に。分かっている癖に。分かっている癖に!分かっている癖に!癖に!」
 段々ペースを乱し、狂ったように叫ぶ成田千尋。それに呼応するように、
 ダァン!
 という音がして、俺の近くにあった墓石が砕けてはじけた。
「………!」
 今のは、怪力とか、そういうのじゃない。彼女は墓石に指一本触れていないのだから。
 ………彼女の異常が、進化している?
 もしそうなら、あまり時間はないのかもしれない。
 俺は一歩、彼女に近づく。途端、
「来るなあ!ああああ!」
 裏返った叫びが聞こえ、俺の足元のコンクリートが割れた。
 成すすべなく転ぶ俺。情けない。
 右足の膝小僧を擦りむき、痛みを感じる。先ほど殴られた際の痛みも、地味にまだ残っているのが辛いところだが。
 それを我慢して立ち上がり、俺は成田千尋に問いかけた。
「随分調子が悪いみたいだな……嫌なことでもあったのか?」
「うるさいッ!」
 また俺の近くの墓石が砕けた。今度はばらばらになった数センチほどの破片が飛んできて、俺に降りかかってくる。
 危ないな!
 目に入らないよう咄嗟に両腕で顔を庇う。破片が腕に降りかかり、無数の擦り傷をつけた。
 痛い。
 物を触れずに破壊する欠陥……彼女の声と連動して起こるあたり、原理でいうと共振だとかそういう話になってくるのか。ただの推察で、そしてこんな推察に意味などないが。
 問題は、彼女がそれを発動させていることで。
 加えて、会話はできても話が通じないということだ。
 そろそろ早く本題に入りたいのだけれど……ダメージも馬鹿にならなくなってきたし。
 俺は思い切って切り出す。
「死ぬのが怖いか、成田千尋」
「だまれ!」
 と、今度は転がっていた墓石を、こちらに投擲してきた。
 当然のことながら、墓石は重い。一般的に一才(墓石の数え方は才らしい)80キログラムほどある。今の彼女でなければ不可能である所業だ。
 紙一重でかわしながらも、俺は話すのを止めない。
「死から逃れたいか」
「だまれだまれ」
「いつか死ぬのが怖いから、生きることから逃げたいか」
「だまれだまれだまれ」
「命に終わりがあると知って、されど終わりの後に何があるか分からず、それをただ待つのみの日々に耐えきれないか」
「だまれだまれだまれだまれ」
「先に逝った者たちとの記憶の中で、自分も彼等と変わらずいつかは死ぬと思い当たり、その恐怖に震えながら生きていくよりは、結末が定まっている人生を苦しく思いながら生きていくよりは、全てを放り投げて今ここで死んでしまいたいかッ、成田千尋!」
「だまれだまれだまれだまれだまれッ!!お前に何が分かる!」
 狂ったように叫びながら、墓石を次々投げる成田千尋。声に連動して、墓所を囲んでいたコンクリートの壁が破壊されていく。
 彼女は、泣いていた。
 泣き叫んでいた。
「そうだよ!いつか死ぬのは嫌だ!死ぬのが怖いから生きるのは嫌だ!どうせ終わるならいつ終わっても同じじゃん!苦しい思いはしたくない!今ここで死んでしまいたい!それの何が悪い!」
 それは適当な拒否の言葉ではなく、俺が初めて聴くことのできた、彼女の偽らざる本音だった。
「お前らは日本の自殺者が増えてるだの問題にしたがるけど、それは個人の勝手でしょ!なんで死に方まで他人に口出しされなきゃいけないの!死にたい人は死ぬ、生きたいやつは生きる、それでいいじゃん!お前らが口を挟むような問題じゃないでしょ、ほっとけよ知ったように語ってんじゃねえよ、私の何を知ってんだよ誰だよお前は!」
「俺は探偵の欠掛ずぼらだ。それはともかく」
 と、彼女の激高した口調を遮り、首を傾げてみせた。
「おいおい誰が悪いといったんだ、死にたいやつは死ねば良い。誰も止めやしないさ。何でお前の自殺を、俺が止めたいみたいな感じになっているのだ」
「………?」
 不可解な表情を浮かべ、墓石を投げる手を止める成田千尋。再生していた動画がストップしたような印象を抱いた。
 そんなに考えていたことと違ったのだろうか。
 違ったのだろう。
 そしてその表情は、あるものを見て驚愕のそれへと変わった。
 俺がおもむろに(、、、、、、、 )懐から取り出(、、、、、、 )したピストルを見て(、、、、、、、、、 )——
「今ここで死にたいのだろう、成田千尋」
 俺はピストルの安全装置を外し、焦点を目の前の成田千尋に合わせて構える。
 彼女は肩をガクガクと震わせ、動こうとしなかった。
 俺は極めて冷静に言い放った。
「だったら俺が殺してやる」
「に……偽物でしょ。そんなの、ほんとの銃なわけ……」
「試してやろう。避けるなよ!」
 せめて、安らかに眠れ。
 俺はそう呟いて、引き金を、特に躊躇もなく引いた。
 パァン!
 鋭い音を発して、弾丸が飛び出した。
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