第7話 青菜の夢

文字数 3,483文字

「皆さん、私をベジタリアンだと思っていらっしゃるでしょう。実際、野菜しか口にしませんし、そう思われても仕方ないのですが、厳密に言うと私の場合、世間でいうベジタリアンとは少し違うのです」
 そう言う宇原さんの前にはどんぶり鉢いっぱいのサラダが置かれてある。集会での食事風景も思い返してみれば、宇原さんは野菜料理だけを食べている。
「私は、肉も魚も一切食べないと決めたわけではありません。肉や魚よりも野菜が食べたいという欲求が勝っているだけなのです。しかも、野菜なら何でもいいというのではなく、葉物に特化しているので、言うなれば葉食主義でしょうか。白髪が増え始めたのも、青物野菜を採るようになってからなのです」
 四十そこそこという若さでありながら、宇原さんの頭は総白髪である。
「三年前ぐらいからですか。三十五を過ぎて、若い時ほどは食べられなくなったなあと年を感じ始めた頃でした。量がまず減り、それから食べる物が変わりました。体が野菜をより欲するようになったのです。その頃はまだサラリーマンでしたが、昼食のコンビニ飯にサラダを追加するようになり、外食でもチンジャオロースのように肉と野菜が一緒に食べられる料理を注文するようになりました。しかし、私は野菜が、野菜だけが食べたくてしょうがありませんでした。野菜料理といっても、肉と炒め合わせていたり、肉が含まれてしまう。仕方なく、私は自炊するようになりました。自分で作る料理なら肉を省けますからね。
 はじめのうちはニンジンだとかジャガイモ、トマトといった野菜も食べていましたが、段々と葉物野菜ばかりを食べるようになりました。それも青々として、えぐみの強い野菜、ホウレンソウだとか小松菜といった葉物を好むようになりました。おひたしや炒め物にすると腹を満たすぐらいの量を食べることができましたね。肉もなし、炭水化物もなし、野菜それも青物葉物野菜だけが主食となってしまいました。今はまた他の野菜も食べるようになりましたが、その頃は本当に葉物野菜だけを食べていました。
 白髪が目立ってきたのもその頃です。一本や二本なら抜いてしまえばよかったのでしょうが、抜けるそばから生える毛が白髪という状態でしたので、染めてしまうことにしました。量を食べられなくなったことで年を感じていたのですが、体も思うように動かなくなっていきました。とにかく、だるい。動きたくない。できるなら一日中寝ていたい。寝ても寝ても眠たいのです。
 仕事中でも食事中でも構わずに眠気は襲ってきました。気づくと寝ていたように思います。思いますというのは、自分では眠ってしまっているという感覚がなかったからです。私としては、眠気はありつつも抗いながら起きているつもりでいました。後で聞いた話では、仕事中でも構わずにうたた寝をしてしまい、周囲の人間に起こされていたそうです。
 起こされているという状況すら、私は意識していませんでした。寝ているという自覚がないのだから、起こされたということを理解できていなかったのです。寝ていたつもりはない私ですから、起こされても何の反応もなく普通に仕事をし始めて、かえって起こした人が驚いてしまったそうです。
 私は、夢をみていたのだと思います。思いますという言い方をまたしてしまいましたが、どこからが夢で、どこからが現実だったのか、いまだに私にはわからないのです。
 夜、寝て、朝起きて、仕事をして……平凡な日常の一日を私は夢としてみていたのです。朝起きたという夢をみていたのでは、どこからが現実なのか分かりかねます。現実世界で目を覚ましたのか否か、夢と現実を区別する点は私の髪でした。夢とも現実ともつかない日々を過ごしてきて気づいたのですが、夢の私の髪は黒々としているのに対し、現実の私の髪は白髪まじりだったのです。夢では黒々としていたため、まだ染めなくてもいいやと思っていると現実世界では白髪が姿を現すようになったというわけでした。そのことに気づいてからは、私は白髪を染めるのをやめました。
 夢と現実との違いがわかるようになって気づいたことがありました。私はどうやら少し先の時間を夢として見ていたようでした。
 私はよく探し物を頼まれました。あの書類は、だとか、あの資料はどこに、だとか、私に尋ねればすぐに見つけ出してもらえる。そういう噂が社内でたち、仕事に必要なものから私的な忘れ物だとかまで探してもらえないかと頼まれることもありました。まるで探偵ですね。
 そして、私は、さっと探し物を見つけ出すことが出来たのです。ああ、それならここに、と言って。私的な探し物の場合は、理路整然と「最後に使ったのは?」という、それこそ探偵のように質問を繰り返し、探し物の在り処を言い当てました。
 なんてことはない。私は、その物の在り処を夢で見て知っていたのです。その書類なら、何々さんはどこそこに置いたではないか。私は見たままの場所を知らせてやりました。当時は、私は現実の記憶をひっくり返して探し物の場所を言い当てたのだと思っていました。当人がそう思っているのですから、他人が疑うはずがありません。
 あまり変わり映えのしない日常を夢として見ていたため、夢と現実との区別がついていませんでした。髪を染めなくなり、白髪で見ている光景は現実世界、黒髪で見ている世界は夢だと認識するようになってようやく夢の記憶だ、しかも夢の世界はほんの少し未来、私は探し物がその場に置かれるその時を夢で先に見ているのだから、後々になって探し物の在り処を言い当てることができるのだとわかったのです。
 不思議なことがあるものだと思っていた時でした。社内の知人に宝くじを探して欲しいと頼まれました。彼は宝くじを買うことを趣味にしていました。当選番号が発表になり、そういえば買った宝くじはどうしたかと家中を探したが見つからない、当たってはいないと思うが、見つけられなければ見つけられないで当たっているかもしれないと淡い期待を抱いてしまい、気になって仕方ないと言うのです。
 私は例によって、探偵の口調で、いつ買いましたか、どこで買いましたか、買った後どうしましたか、と尋ねていきました。私の質問に答えて記憶をたどり、彼は、出社ついでに会社近くの宝くじ売り場で買ったと思い出しました。それでは宝くじは社内に、ひょっとしたら自分の机の引き出しにでもしまっておいたのでは、と言うと、彼はすぐさま机の引き出しをひっくり返しました。しかし、宝くじは見つけられませんでした。彼はがっくりと肩を落とし、今夜帰ったらもう一度、家探しをするかと苦笑いを浮かべていました。何しろ、一等・前後賞あわせて八億円という高額賞金でしたから、彼が血眼になるのも無理はありませんでした。ああ、もちろん、当たっていたら、の話ですが。
 彼の買った宝くじは当たっていました。当選番号を何度も確認したので確かです。
 ええ、そうです。私は宝くじの在り処を知っていながら、見つけられなかった芝居を打ちました。
 ふふふ。宝くじは私がいただきました。八億円の現金を記念に見させてもらいましたが、圧巻でしたね。
 人の金だ? ええ、その通りです。当たりくじだったからといって他人の宝くじをくすねるべきではない。もっともなご意見です。
 お金は実はその場でとある団体へ寄付させてもらいました。私は一円も手をつけてはいません。
 もったいない? だって、人様のお金ですよ? 使えるはずがありません。なら、寄付もすべきではなかったと。でも、お金は必要な場所に流れていったのです。
 私には、当たりの宝くじを手にして人生を狂わせていく彼の姿が見えていました。だから、宝くじの在り処を教えなかったのです。
 しばらくして、私はサラリーマンをやめました。今は株のもうけで食べていってます。サラリーマン生活をやめた途端、夢もみなくなりました。あれほど葉ばかり食べていたというのに、最近ではまた野菜も肉も魚も食べるようになりましたし。とはいっても、比率は野菜九に対し、肉一という割合で、まだまだ野菜中心の食生活ですね。白髪だけが戻らない」

 残念だと自分のことのように僕は悔しがった。未来が見えるのなら、当たり馬券を買い続ける。仕事などしない。株価も毎日のようにチェックして、もうけさせてもらう。
 株のもうけで食べている――
 宇原さんはどれくらい先の未来を見たのだろう。僕はそっと宇原さんをうかがった。宇原さんはうまそうにサラダを頬張っている。白髪が絹糸のように揺れていた。
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