第3話 木目
文字数 3,154文字
「こちらの床柱もなかなかのものですが――」
口ではそう言いながらも、猿橋老人は床の間には背を向けて座っているのだった。そして肝心の床柱はというと、どういうわけか所々に白い布が巻かれている。
「猿橋さんが巻いたんですよ」
まるで僕の心に浮かんだ疑問を読みでもしたかのように、隣人さんがそっと教えてくれた。
「私は木目というものが大の苦手でしてね。失礼を承知で“目隠し”させてもらいました。名は体を表す、あれは目そのものです。木目が露出しているとみられているような気がしてどうにも落ち着きませんので……」
着物の襟もとをかきあわせ、猿橋老人は語り始めた。
*
四十年ほど前の昔でしょうか。若い時分に体を壊しまして、私は湯治におもむいたのです。
世話になったのは明治創業というたいそう古い旅館でして、木造のなかなか堂々とした建物でした。古いとはいえ、手入れはきちんと行き届いていて、塵ひとつ落ちていないような清潔な館内でして、私は居心地よく湯治にいそしんでおりました。
居心地がよかったのにはもうひとつ理由がございました。とにかく、女将と仲居たちの気がきく。
物見遊山客にはどうであったか存知ませんが、私などは長居の湯治客、まして人一倍体調に気を遣わなければならない身でしたから、仲居たちがいちいち私の体調を気遣ってくれ、食べたいものがあれば言ってくれ、布団は余計に必要だろうか、などと親切に声をかけてくれました。そして実際、今日は体調がすぐれないなあという時には何も言わずとも消化の良い食べ物が出てくる。冷え込みそうな日には布団が余計に用意してある、といった具合でした。
しかし気遣いもさすがに見てきたかのように細かくなると気味が悪くなるというものです。
夜中に胃腸の調子を悪くしたその日の朝食にお粥がそっと出された時にはさすがにぞっといたしました。一体私の不良にどうして気づけたのか。まるで見ていたかのようではないか……。
体の不調もあって、私はいささか正気を失っておりました。
まさか見られていたのではないか。それまでの心遣いにしても、考えてみればあまりにも行き届きすぎていた。それはずっと私を監視していたからこそ成せた心配りではなかったのか。
部屋に覗き穴でもあるのではないか――私はそう疑い、部屋中をくまなく見てまわりました。しかし、いくら探してもそんなものはありませんでした。客に簡単に見つけられてしまうようでは問題だからうまく隠してあるのだろうと、私は覗き穴の探索を諦めました。
とはいえ、見られているのではと疑うようになってからは、部屋にいても落ち着きません。日中は外出するにしても、夜は一人でこう何となく行儀よく過ごすようになりました。いえ、別に悪いことをしようというわけでもなかったのですが、やはり人に見られていると緊張いたします。
落ち着いて寝てもいられなくなり、もともと体が弱っていたところに心労が重なって、私は寝込んでしまいました。
その間も、仲居たちは親切に看病にあたってくれました。咳きこみ始めるとさっとやってきて、背中をさすってくれます。氷嚢がずれると、そそとやってきて直してくれます、食事は起きてすぐに温かいものが運ばれてきました。
この頃になると、見られているのではという疑いは確信に変わっていました。しかし証拠がありません。床の間の掛け軸の裏を返しても、覗き穴のようなものは存在しませんでした。
私としては一日もはやく家に戻りたい気持ちだったのですが、とにかく体がいうことをきいてくれません。体調が戻ったらすぐにでも宿をさがろうと思いながら、数週間が過ぎていきました。
そしてある晩、とうとう私は“目”を発見したのです。
どこにあったか、ですか?
それは天井にありました。
寝込んでいる間、私が目にすることのできた世界は天井だけでした。最初に申し上げた通り、その宿は木造の建物で、天井は剥き出しの板張りでした。
熱にうかされてぼんやりとした頭で渡しは天井の木目をぼんやりと眺めていました。私のいた部屋の天井にはひときわ大きな木目がひとつきりありました。
子供の頭ほどはあろうかというその木目を眺めているうち、私は奇妙な考えを抱きました。もしやこの木目が私を見ているのではないか?
一度そう思ってしまうともはや木目が目としかみえなくなってしまいました。
瞼のない蛇のような一つ目が恐ろしく、私は布団を被っては毎日逃げ出す算段を思案しておりました。何事も体調がよくなってからと思うものの、一進一退を繰り返すだけで体はしかし一向に良くなる気配がありません。
さすがにこれはおかしいと私は思い始めました。
どうも宿の食事をとると体調が悪くなるようでした。時たまに食欲がなく、食事をとらないでいるとかえって調子がよく、食欲の戻ったところで出されたものを口にするとまた寝込むはめになる。そう気づいてからは、なるだけ食事を口にしないようにしましたが、なにしろ見られているものですから、こっそり残そうにもすぐにでも仲居が飛んできて食べろと急かします。
これではいつまでたっても健康体には戻れない、と私は一計を案じました。
カメラを使うのです。
フラッシュをたきいて木目をくらまし、そのすきに食事を捨て、さもたいらげたように装うのです。
作戦は大成功でした。フラッシュをたくのと同時に即座に食事をトイレに流す。木目の目がくらんでいるものだから、仲居はこない。私は空の椀を持ち、箸を口に運んで、さも食事をしているかのように振る舞いました。頃合いをみて箸を置くと、その様子を見ていたのでしょう、仲居がやってきて、空の膳をさげていきました。
そうして三食抜いた方がかえって体に力がみなぎるようでした。
しかし何も食べずに過ごすわけにはいきません。抜いた食事のかわりに湯治仲間から見舞いとしてもらったものを食べ(食べ物を差し入れてくれと予め頼んでおいたのです)、寝たふりで布団を被ってはこっそりと食べたりして、体力の回復を待ちました。
一週間後、迎えに来てくれと頼んでおいた父がやってきました。体力が回復していてもしなくても、私は父に連れて帰ってもらうつもりでした。
父は顔艶のよくなった私を見て不機嫌な様子で、すっかりいいのなら家に戻って仕事を手伝えと言いました。そもそも湯治なんて悠長なものに金を使いたくはなかった父でしたし、私はといえば、寝込む前には回復していたというのに折り合いの悪い父のもとに帰りたくなくてのんびりしていただけ、今となっては一刻もはやく宿を逃げ出したい気持ちでいっぱいでしたから、その日のうちに宿を引き払うことになりました。
女将はせっかくだから父も泊まって温泉にでもつかってはどうかと勧めましたが、私は丁寧に断り、遅くの電車で家に帰ったのです。
それ以来、木目をみるのが恐ろしくなってしまいました。今夜も立派な床の間の床柱を拝見し、木目のあるのを見て、申し訳ありませんが、布をまかせてもらいました。そうでもしないと何だか落ち着かないものですから……。
その旅館はどうなったか、ですか?
ええ、今も続いていますよ。老舗の旅館としてね。何でも気遣いのいい旅館だということで評判らしいです……。
*
猿橋老人が口にした旅館の名は、雪絵と行ってみようかと話していたまさにその旅館だった。もてなしのいい高級旅館というので、結婚記念日に奮発して一泊だけでもと考えていたのだ。結局、身の丈にあわなくて落ち着かないのではと雪絵が難色を示し、旅行の話は流れたのだった。僕は秘かに雪絵の庶民感覚に感謝した。
口ではそう言いながらも、猿橋老人は床の間には背を向けて座っているのだった。そして肝心の床柱はというと、どういうわけか所々に白い布が巻かれている。
「猿橋さんが巻いたんですよ」
まるで僕の心に浮かんだ疑問を読みでもしたかのように、隣人さんがそっと教えてくれた。
「私は木目というものが大の苦手でしてね。失礼を承知で“目隠し”させてもらいました。名は体を表す、あれは目そのものです。木目が露出しているとみられているような気がしてどうにも落ち着きませんので……」
着物の襟もとをかきあわせ、猿橋老人は語り始めた。
*
四十年ほど前の昔でしょうか。若い時分に体を壊しまして、私は湯治におもむいたのです。
世話になったのは明治創業というたいそう古い旅館でして、木造のなかなか堂々とした建物でした。古いとはいえ、手入れはきちんと行き届いていて、塵ひとつ落ちていないような清潔な館内でして、私は居心地よく湯治にいそしんでおりました。
居心地がよかったのにはもうひとつ理由がございました。とにかく、女将と仲居たちの気がきく。
物見遊山客にはどうであったか存知ませんが、私などは長居の湯治客、まして人一倍体調に気を遣わなければならない身でしたから、仲居たちがいちいち私の体調を気遣ってくれ、食べたいものがあれば言ってくれ、布団は余計に必要だろうか、などと親切に声をかけてくれました。そして実際、今日は体調がすぐれないなあという時には何も言わずとも消化の良い食べ物が出てくる。冷え込みそうな日には布団が余計に用意してある、といった具合でした。
しかし気遣いもさすがに見てきたかのように細かくなると気味が悪くなるというものです。
夜中に胃腸の調子を悪くしたその日の朝食にお粥がそっと出された時にはさすがにぞっといたしました。一体私の不良にどうして気づけたのか。まるで見ていたかのようではないか……。
体の不調もあって、私はいささか正気を失っておりました。
まさか見られていたのではないか。それまでの心遣いにしても、考えてみればあまりにも行き届きすぎていた。それはずっと私を監視していたからこそ成せた心配りではなかったのか。
部屋に覗き穴でもあるのではないか――私はそう疑い、部屋中をくまなく見てまわりました。しかし、いくら探してもそんなものはありませんでした。客に簡単に見つけられてしまうようでは問題だからうまく隠してあるのだろうと、私は覗き穴の探索を諦めました。
とはいえ、見られているのではと疑うようになってからは、部屋にいても落ち着きません。日中は外出するにしても、夜は一人でこう何となく行儀よく過ごすようになりました。いえ、別に悪いことをしようというわけでもなかったのですが、やはり人に見られていると緊張いたします。
落ち着いて寝てもいられなくなり、もともと体が弱っていたところに心労が重なって、私は寝込んでしまいました。
その間も、仲居たちは親切に看病にあたってくれました。咳きこみ始めるとさっとやってきて、背中をさすってくれます。氷嚢がずれると、そそとやってきて直してくれます、食事は起きてすぐに温かいものが運ばれてきました。
この頃になると、見られているのではという疑いは確信に変わっていました。しかし証拠がありません。床の間の掛け軸の裏を返しても、覗き穴のようなものは存在しませんでした。
私としては一日もはやく家に戻りたい気持ちだったのですが、とにかく体がいうことをきいてくれません。体調が戻ったらすぐにでも宿をさがろうと思いながら、数週間が過ぎていきました。
そしてある晩、とうとう私は“目”を発見したのです。
どこにあったか、ですか?
それは天井にありました。
寝込んでいる間、私が目にすることのできた世界は天井だけでした。最初に申し上げた通り、その宿は木造の建物で、天井は剥き出しの板張りでした。
熱にうかされてぼんやりとした頭で渡しは天井の木目をぼんやりと眺めていました。私のいた部屋の天井にはひときわ大きな木目がひとつきりありました。
子供の頭ほどはあろうかというその木目を眺めているうち、私は奇妙な考えを抱きました。もしやこの木目が私を見ているのではないか?
一度そう思ってしまうともはや木目が目としかみえなくなってしまいました。
瞼のない蛇のような一つ目が恐ろしく、私は布団を被っては毎日逃げ出す算段を思案しておりました。何事も体調がよくなってからと思うものの、一進一退を繰り返すだけで体はしかし一向に良くなる気配がありません。
さすがにこれはおかしいと私は思い始めました。
どうも宿の食事をとると体調が悪くなるようでした。時たまに食欲がなく、食事をとらないでいるとかえって調子がよく、食欲の戻ったところで出されたものを口にするとまた寝込むはめになる。そう気づいてからは、なるだけ食事を口にしないようにしましたが、なにしろ見られているものですから、こっそり残そうにもすぐにでも仲居が飛んできて食べろと急かします。
これではいつまでたっても健康体には戻れない、と私は一計を案じました。
カメラを使うのです。
フラッシュをたきいて木目をくらまし、そのすきに食事を捨て、さもたいらげたように装うのです。
作戦は大成功でした。フラッシュをたくのと同時に即座に食事をトイレに流す。木目の目がくらんでいるものだから、仲居はこない。私は空の椀を持ち、箸を口に運んで、さも食事をしているかのように振る舞いました。頃合いをみて箸を置くと、その様子を見ていたのでしょう、仲居がやってきて、空の膳をさげていきました。
そうして三食抜いた方がかえって体に力がみなぎるようでした。
しかし何も食べずに過ごすわけにはいきません。抜いた食事のかわりに湯治仲間から見舞いとしてもらったものを食べ(食べ物を差し入れてくれと予め頼んでおいたのです)、寝たふりで布団を被ってはこっそりと食べたりして、体力の回復を待ちました。
一週間後、迎えに来てくれと頼んでおいた父がやってきました。体力が回復していてもしなくても、私は父に連れて帰ってもらうつもりでした。
父は顔艶のよくなった私を見て不機嫌な様子で、すっかりいいのなら家に戻って仕事を手伝えと言いました。そもそも湯治なんて悠長なものに金を使いたくはなかった父でしたし、私はといえば、寝込む前には回復していたというのに折り合いの悪い父のもとに帰りたくなくてのんびりしていただけ、今となっては一刻もはやく宿を逃げ出したい気持ちでいっぱいでしたから、その日のうちに宿を引き払うことになりました。
女将はせっかくだから父も泊まって温泉にでもつかってはどうかと勧めましたが、私は丁寧に断り、遅くの電車で家に帰ったのです。
それ以来、木目をみるのが恐ろしくなってしまいました。今夜も立派な床の間の床柱を拝見し、木目のあるのを見て、申し訳ありませんが、布をまかせてもらいました。そうでもしないと何だか落ち着かないものですから……。
その旅館はどうなったか、ですか?
ええ、今も続いていますよ。老舗の旅館としてね。何でも気遣いのいい旅館だということで評判らしいです……。
*
猿橋老人が口にした旅館の名は、雪絵と行ってみようかと話していたまさにその旅館だった。もてなしのいい高級旅館というので、結婚記念日に奮発して一泊だけでもと考えていたのだ。結局、身の丈にあわなくて落ち着かないのではと雪絵が難色を示し、旅行の話は流れたのだった。僕は秘かに雪絵の庶民感覚に感謝した。