第2話 一夜桜

文字数 2,258文字

 桜には何といいますか、その美しさに何か禍々しいものがある気がします。あくまで私の意見ですが。

 私の田舎であった話なんですが、今から二十年ほど前、桜の木の下で死体が発見されたんです。それも三人もの。しかも殺人死体です。

 犯人ですか? ええ、わかっています。
 桜です。
 桜が三人もの人間を殺したのです。

 そんな馬鹿なって、まあ、私の話を聞いてください。

 私の田舎には「一夜桜」と呼ばれる桜があります。樹齢なら千年は軽く超えているような巨木で、隣村との境の森の縁にどっかりと腰を据えているいわゆる一本桜というやつです。森には桜の木があまたにありますから、それらの種が運ばれたかして根をおろしたのでしょう。

 毎年桜の季節になると、暖かい日を選んでその日は朝から蕾が次々と開き、夕方までに一気に満開になります。なにしろ巨木ですから、それはそれは見ごたえのある花ぶりです。枝がしなり、まるで淡雪の降り積もったかのようで、圧してくるような美しさです。

 一夜桜が咲くその日の夜は強風吹き荒れる天候となり、せっかく咲いた桜の花は散ってしまって翌日には花びら一枚残らない。一夜限りの満開の花を咲かせることからいつしか一夜桜と呼ばれるようになりました。

 朝、一夜桜の蕾がほころび始めると、村人たちはいそいそと花見の仕度をし、桜の木の下でひとときの一興を楽しみます。

 ある年の春。
 花見に行くといって行方不明になった男が死体で発見されました。一夜桜の根元で男は桜の花びらに埋もれていました。男の体は異常なほどまでに厚みを失っていたので、男の身に何か不自然なことが起きたのは明らかでした。

 男は殺されたのではないか。噂を耳にした男の妻が、ある女のもとに乗り込んでいきました。
 男とその女とは不倫関係にあったとかで、二人の関係に気づいた女の夫が男を殺したのではないかと思い込んだうえでの行動だったようです。

 男は浮気相手の夫に殺されたのだと疑っていたのは男の妻だけではありませんでした。男が死体で発見されたと聞いて、村人のほとんどが「ああ、やられたな」と思いました。

 夫という男は、嫉妬深く、道ですれ違って妻に挨拶をしただけの人間にも突っかかっていくような気の粗い性格で、その上、天を衝くような大男でありました。死んだ男の体は何かにおしつぶされたように薄くなっていました。夫は製材所で働いていて、重機を動かしていました。男は夫の運転する重機にひき殺されたのではというもっぱらの噂でした。しかしあくまでも噂の域を出ず、事件は忘れ去られていきました。

 その翌年の春のことです。
 またしても、一夜桜の根元で死体が発見されました。やはり花見に行くといって行方をくらましていた人物で、製材所で働いていた男でした。死んだ男と夫とは折り合いが悪く、顔を合わせれば互いに口汚く罵るような間柄だったので、夫が殺したのではないかという噂が再燃しました。死体はまたしても押しつぶされたように薄くなっていたのです。しかし、今度も確証はなく、噂は立ち消えになりました。

 その次の春、今度は浮気性の妻が死体となって一夜桜の根元で発見されました。先の二人同様、花びらに埋もれるようにして、薄くなった体を横たえていたそうです。

 夫は、妻は花見に行くといって家を出たと主張しましたが、信じる者は誰もいませんでした。浮気女に愛想を尽かしてとうとう手にかけたか、みなそう考えていました。人殺しだと陰口をたたかれ、いたたまれなくなったのか、しばらくの後、夫は村を出て行ってしまいました。

 結局、犯人は誰だったか、ですか?

 ええ、ですから、初めから言っているように、一夜桜が人を殺したんです。
 桜の木が人を殺せるはずがない、ですか。
 それが殺せたんですねえ。

 三人とも、桜の花びらに押しつぶされて死んだんです。一枚一枚は空気のように軽くても、何十万、何百万枚となったらさすがに重いでしょう。

 一夜桜はその名の通り、一夜でつけた花すべてを散らせる桜です。その花びらの総量は人一人を押しつぶすのに十分な重みがあったのです。

 最初に死体で発見された男の妻は、花見に行くというのは女に会いにいくための嘘だと思っていたようですが、事実、男は花見をしていたのです。他の花見客は早々に引き上げたというのに、酔いつぶれて地面に寝転がっていたところに桜の花びらが一気にふりそそいだ――即死でなくとも、息が出来ずにゆっくりと死んでいったことでしょう……。
 



 鉄の一トンと綿の一トンとどちらが重いか。答えはどちらも同じ重さ、だ。綿は軽いというイメージがあるが、一トンの綿なら人を押しつぶすのに十分な重さがある。

 それにしても――と僕は辰吉さんの横顔をちらりとうかがった。
 辰吉さんの話を疑うわけではないが、人の命を奪うような重さの花びらが落ちるものだろうか。

 畳の上に胡坐をかいている辰吉さんは頭二つ分ほど人より抜きん出ている。立てば框に頭をぶつけるほどの大男だ。母親らしい老女と二人暮らし、仕事は建築関係だという。がっしりした腕は、ペンを片手に設計図を描くという仕事ではないと物語っている。何かこう、ショベルカーだとかダンプカーだとかを運転している姿が板についているようにみえる。

 寝取られ男はひょっとして辰吉さんではないのかと思った瞬間、何かに圧せられたかのように僕は胸が苦しくなった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み