第4話 蛹

文字数 2,463文字

 「虫の話ということでしたら、ちょっと毛色が変わっているかもしれませんが――」
 おずおずと口を開いたのは僕たちから遅れること一か月後に引っ越してきた美馬さんだ。
僕らの家から歩いて五分ほどの場所で開業医をしていて、雪絵も娘も、もちろん僕も世話になっている。美馬医院は奥さんの父親が開いた病院で、美馬さんは入り婿だという。
「僕がまだ大学病院でインターンをしていた頃の話でして、十年ほど前になりますか――」



 お腹に何かがいると訴えてきた少女を診たことがありました。
 ええ、私も皆さんと同じように、妊娠を疑いました。最近の子は発育がよくて、その少女も確か十八にはなっていなかったと記憶していますが、化粧でもさせたら二十五といってもとおったでしょう。早熟な子なら、そういうことがあってもおかしくはありません。
 妊娠しているのではないか、そうならばお腹にいるのは赤ん坊だと、私は説明しました。しかし、少女はすれた口調で、何をしたら妊娠するかぐらいはわかっていると言い、それから悲し気な様子でそういう経験はまだないと言いました。
 妊娠したのではない、蜂に刺されたのだ、少女はそう告白したのです。
 ある晩のこと、少女は蜂に刺される夢をみたそうです。
 ベッドに横たわって寝ているところを、人の大きさはあろうかという巨大な蜂にのしかかられ、臍の脇あたりを刺されたそうです。その時は当人も奇妙な夢をみたと思っていたそうですが、数か月後、刺されたあたりがヒクヒクとひきつるようになって、夢ではなかったのかもしれないと疑うようになった。夢にしてはやけにはっきりしていて、蜂の姿も細かく覚えていた。長い触角、鼈甲色の体といった特徴を調べたところ、自分を刺したハチはアゲハヒメバチだと判明した……。
 私は後で知ったのですが、アゲバヒメバチというのはアゲバ蝶に寄生する蜂でして、幼虫に卵を産み付け、孵化した蜂の幼虫はアゲハ蝶の体内で成長、アゲハ蝶が蛹になると、その蛹を食い破って羽化するんだそうです。
 自分はそのアゲバヒメバチに卵を産み付けられたのだ、体内には蜂の幼虫がいる、食い破られる前に幼虫を取り出して欲しい、少女は私に泣きついて頼みこんできました。
 もちろん、蜂に寄生されたなどという話を信じるわけがありません。
 少女の話を聞いて、私はむしろ妊娠への疑いを強めました。
 巨大な蜂というのは大人の男性、腹のあたりを刺されたというのは性行為を暗示しているのでしょう。蜂の針はペニスを連想させます。
 おそらく、乱暴された記憶が蜂に刺された夢となったのだろう、その時の私はそう考えていました。思いもよらぬ相手、たとえば教師だとか、父親といった人物との性行為を恥じて、それが蜂に刺されたことにすりかえられた――心理学は専門ではありませんが、そんなところではないのか。
 産婦人科へ行くようにと、私は少女に勧めました。しかし、少女は今すぐ手術して蜂の幼虫を取り出してくれの一点張りです。中絶となるとそれもまた私の専門外です。いずれにせよ、それ以上私にできることは何もなかったので、女の人の体は専門の医者でないと扱えないからと少女を騙す形で諭し、少女もその場では納得したようでした。
 二週間後ぐらいでしたか、今度は母親に連れられて少女が再び病院にやってきました。
 一目で、妊娠ではないと私は確信しました。
 少女の腹部はわずか数週間で臨月の妊婦なみに膨れ上がっていました。さらに驚いたことには膨れているのは腹部だけで、少女の手足は棒切れのように細くなっていて、はちきれんばかりだった顔も肉がこそげて、まるで骸骨に皮をかぶせたかのような変わりようでした。初めはあの少女だとわからず、診察室で聞き覚えのある名前を耳にして、同一人物だとわかったくらいです。
 痩せてはいるものの、食欲は普通にあり、しっかり食べてはいるが、下痢がひどいと少女は訴えました。そして、この期に及んでもまだ蜂に寄生された、幼虫を取り除いてくれと主張し続けました。
 すぐに血液検査、腹部のCT検査を行うよう、私は指示を出しました。
 検査の結果、少女は妊娠してはいませんでした。もちろん、蜂に寄生されていたわけでもありません……。そんなことはなかったと、私は今でも思っています……。
 少女の脇腹にはちょうど赤ん坊ぐらいの大きさの腫瘍ができていました。赤ん坊ほどの大きさと言いましたが、赤ん坊がいたというのが正しいかもしれません。しかし、少女の子供というわけではありません。
 胎児内胎児といって、双子を妊娠した場合、何等かの原因で片方の胎児がもう片方の胎児の体の一部となってしまうということが稀にあるのです。少女の「腫瘍」も、双子の片割れだろうと判断し、私は手術を勧めました。「腫瘍」はどうやら少女の体を通じて栄養を摂取しているらしく、これ以上放っておくと少女が力尽きてしまうだろうし、成長を続ける「腫瘍」がそれこそ腹を破りかねません。
 残念ながら私の懸念は的中してしまい、少女は入院したその日のうちに手術室へと運ばれる羽目になりました。腹部が破裂したのです。
 緊急手術となり、「腫瘍」、いえ、もう赤ん坊というべきですね。そうなのです、少女の体内にあった「腫瘍」とは双子の片割れでした。赤ん坊はすこぶる健康体で生まれてきました。「生まれた」という表現は妙な感じがしますが……。
 双子にしては、赤ん坊は少女に似ていませんでした。少女がやや青味がかった白い肌の持ち主だというのに、赤ん坊の肌は褐色でした。黒くて真っ直ぐな髪質は少女と同じでした。
 ええ、赤ん坊だというのに、髪が生えそろっていました。目も開いていました。黒目勝ちの大きな瞳をしていました。その姿は何か別のものを連想させました。真っ直ぐな触角、鼈甲色の体……。
 少女がどうなったか、ですか……。残念なことに、亡くなりました。手術台に横たわる姿はまるで食い破られた蛹のようでした……。
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