第6話

文字数 3,525文字

「やられるまえにやる。これ以上の対策なんてあるわけ」
「君は魅力的な女性なのに、喧嘩っぱやいところが玉に瑕だねえ」
「悠長にかまえてるあんたが真っ先に食べられるわよ」
「ハチミちゃん、無理だよ。人間には、勝てないよ」
「じゃあ、ただ食べられるの待ってればいいわけ」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……でも……なんていうか……」
「だから考えなしにしゃべんな、サトウ!」
 ハチミに怒鳴られて、サトウは縮みあがった。反射的にナツバとチズコの陰に隠れる。「まあまあ」となだめるナツバにも、ハチミは容赦なくにらみをきかせる。
「皆の意見にも耳を傾けないといけないよ、ミス・ハチミ」
「言いだしっぺのサトウがろくに意見もなさそうだけど」
「彼は考えをまとめるのに時間がかかるだけさ」
「ナツバ、あんたはどうなの」
 矛先を向けられたナツバは「そうだねえ」とあえてワンクッションおいた。焦れるハチミを自分のペースに巻きこもうとしているらしい。いや、もしかしたらサトウのペースまで落とそうとしてくれているのかもしれない。ナツバはたっぷり間を空けてから語りだした。
「仮に人間たちを殲滅できるとして、僕は反対だねえ。彼らの愚行には困ったもんだが、彼らの文化には目を見張るものがあるよ。それらが失われるのは、とてもつらい」
「文化ってなによ。別に人間つぶしたからって、それは残るんじゃないの」
「残ってもすぐに朽ちる。発展しないし、新しいものは生まれない。やはり人間の英知なくしては、文化の進歩はないよ。僕らには到底まねできない」
「そんなもんなくても生きていけるでしょ」
「生きてはいけるけど、僕の生活の質が下がるよねえ」
「あんたの暮らしぶりなんてどうでもいいわよ! 却下!」
 平行線の会話をハチミは乱暴に切りすてた。そこに参戦したのはチズコだ。
「私も、ナツバくんの言ってること、わかるな」
 チズコは話すスピードは遅いが、頭の回転は遅くない。ハチミもそれは十分理解しているらしく、チズコの話にはいちいち水を差さない。
「人間は、器用だもの。刺繍とか、編み物とか、あんなに太い指で、あんなに細かい模様が、作れるなんて、すごいと思う」
「ああ、チズコくんも美しい編み物をするよねえ」
 チズコは「私なんか、全然」と謙遜するが、その実、彼女の紡ぐ作品たちは細やかで惚れ惚れするものばかりだった。チズコは口からチーズのように伸びる糸を吐きだし、それを丁寧に編んでいく。冬には仲間たちへマフラーを配り、サトウもそれを重宝したものだった。
 ハチミは明らかにむっつりと黙りこんだ。彼女もまたその恩恵にあずかったので、それを「なくても生きていける」とは切りすてられないのだった。明るいオレンジ色のマフラーを、ハチミは誰よりも長いあいだ巻いていた。春が訪れても「まだ寒いし」とぶっきらぼうにつぶやいていた姿を、誰もが覚えている。
「人間がすごいのは僕もわかるけど……でも結局、このままじゃ僕らが食べられるだけだよね」
 ようやくおずおずと口を開いたサトウに、ハチミはここぞとばかりに激しく便乗した。
「そうでしょ。ああだこうだ言っても、やっぱり人間は脅威に変わりない。真っ向から立ちむかうしかない!」
「いや……僕はそこまでは……」
「まだぐずぐず言ってんのか、サトウ!」
 再びサトウは縮こまる。堂々めぐりの会話にいいかげんあきれたのか、
「あんたら、もう少し声量を下げえ。耳がキンキンしてかなわんでの」
 と、ウメばあさんがたしなめた。四者四様に好き勝手騒いでいたが、長老の苦言に誰もがぴたりと口を閉ざした。もともとはウメばあさんの意見を聞きにいこう、という段取りで集まったはずだったのだが、いつの間にか若者だけのディベートのようになっていた。ちなみにトンも同席しているが、隅っこでひたすら沈黙を貫いている。
「ウメばあさん。人間が、ものを食べる基準って、なんなのかな」
 マイペースなチズコは素直な疑問を口にした。「ふむ」とうなずくウメばあさんより先に「美味いかどうかでしょ」とハチミは捨て鉢に言った。
「味だけじゃなくて、見た目はどうかな」
「見た目は……関係ないんじゃないかな。ウシとかトリだって別に特別かわいいわけじゃないし」
「人間の美的感覚は未知だけどねえ。まあ、ゲテモノと呼ばれるものを好き好んで食す人間もいるようだし、調理すれば見た目は割とごまかせるものさ」
「じゃあ、生態系に、影響があるかどうか、とか」
 チズコの鋭い指摘に一同はうなったが、ウメばあさんは「それも一概には言えんでの」と首を振った。
「人間は養殖する術を知っとる。多少数が減っても増やせばよかろう、とな。それで絶滅に追いこまれた生き物もおるでの」
 なんて身勝手な、とサトウは絶句した。しかしそれと同時に、身勝手に振るまえるほどの技術も持ちあわせているということだ。文化は心を豊かにするかもしれないが、なにかを簡単に犠牲にできる危険性もはらんでいる。ナツバとチズコも同じことを思ったのか、苦い表情を浮かべている。
「じゃあ、ペット……っていうの? 名前をつけてもらって、愛玩されている生き物は、食べられないのかなあ」
「いや」
 短く否定したのは、だんまりを決めこんでいたトンだった。低く重い声に、チズコは少しおびえる。普段あまり皆と交流を持たないトンは、周囲からの評価がてんでばらばらだった。サトウのように慕う者もいれば、得体が知れないと気味悪がったり警戒したりする者もいる。トンもそれを承知しているのか、慎重に言葉を選ぶ素振りを見せた。
「人間は家畜にも名前をつける。愛情ではなく便宜上という場合もある」
「じゃあ、食べられない基準って、人間であるかどうか、だけなのかな」
「何様なのよ。まあ仮にペットになれば助かるって言われたって、私は御免だけど」
 ハチミのきっぱりした物言いに、トンはほんの少し目を伏せた。いくつものルートを模索しようとしたチズコも消沈した。皆が一様に暗い顔つきになる。ウメばあさんが謎の液体をすする音だけが、虚しくひびく。
 サトウはテレビの中の人間を思いだした。健康に貪欲で、物知りで、月を愛でて、音楽を奏で、湯に浸かり、マッサージを受ける。ありとあらゆることを試し、楽しみ、それを伝えたり笑ったりする。
 人間はおしゃべりだ。一つの物事を決して自分の中だけで完結させない。誰かに聞いてほしくてうずうずしているようだ。SNSというツールもそうらしい。ひたすら自分の思い出や表現を発信して、注目を集めたい。誰かとわかちあいたい。そんな承認欲求が人間にはいつも渦巻いている。
 そこでサトウははたと気がついた。
「話ができるかどうか、じゃないかな」
 その場にいた全員がはっと息を呑んだ。人間の最大のコミュニケーションである会話。言葉を交わせるかどうか、要は意思の疎通ができるかどうか。
 虫たちの意思をどうにか人間に伝え、話しあうことができれば食べられなくて済む道もあるのではないか。細い細い、クモの糸のような希望だが、サトウは噛みしめるように意見を述べた。
「サトウ、妙案だの」
 ぽつりとこぼしたウメばあさんに続き、口々に称賛の声が漏れた。
「サトウくんの言うとおりだ。解決の糸口は会話だよ」
「サトウくん、すごい。話しあい、できればいいんだ」
「どうやってよ?」
 称賛されたサトウがでれでれ照れはじめたところに、ハチミはちくりと一刺ししてくる。サトウは「うっ」と、心臓を突かれたような痛みを覚える。
「人間が私たちの言葉なんて理解できるわけ? ていうか、聞きとれるわけ? サイズ見なさいよ。どう考えても私たちの声なんか聞こえないでしょ。そもそも話しかけようとしたところで、踏みつぶされたり払いとばされたりして終わりじゃない」
 ずばずばと現実を突きつけてくるハチミに、むしろよくそれで真っ向から戦おうとしたな、とツッコみたいサトウだったが、反論の余地はない。思いつきだけで、具体的な手段など考えていないのだ。現実は厳しい。再び重いムードに一同が包まれそうになったとき、
「方法はある」
 と、トンがつぶやいた。ハチミはトンに対しても良い感情を抱いていないようで、不信感をあらわにする。人間だけでなく、チズコ以外には基本的に猜疑心や敵意を持っているようだ。
 そんな空気を意にも介さず、トンはさらりと告白した。
「俺は人間に飼われている。そいつに掛けあってみる」
 衝撃的な告白にサトウは「ええええええ!」と絶叫し、仲間たちもそれに呼応した。
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