第16話

文字数 2,643文字

「いや、別に励ましてないし。あいつがうじうじだらしないから、しっかりしろよって怒っただけ」
「ハチミちゃん。それ、励ましたって、いうんだよ」
「はあ? あんたまでなに言ってんの。どいつもこいつもおめでたい頭なんだから」
 プリプリと憤るハチミを、チズコはうれしそうに見つめている。
 ノブオに捕獲されそうになって失神したチズコだったが「編み順、間違えちゃった!」という第一声とともに元気よく目を覚ました。自分の状況を把握するにもしばらく時間を要し、飲みこんでも「ああ、そっか。よかった、みんな、助かって」というのんきぶりをかましていた。
「にしても、俺のこと好き?とかマジで気持ち悪い。なんなの、あいつ」
「俺はそういうマサトが好きだけどな」
「私は嫌い」
「……だから、あいだ取っておいたんじゃないですか」
 実際に噛んで答えたサトウがあきれたようにぼやく。ウメばあさんが「賢明な判断だの」と評してくれる。
「とにかく昆虫食に反対してくれたってことだねえ。グッジョブだよ、お三方」
 ナツバが陽気にサトウの背中をたたく。鼻歌をうたうナツバはつやつやと光沢を放ち、サトウはつられて目を細めた。今は彼の楽観が頼もしい。
「あとはどうやってマサトに代案を伝えるかだな」
「それなら心配ないでの」
 迷い虫が列を成して、ウメばあさんのもとへ向かい、輪になって取り囲む。何匹も連なった様は、細長く無数の足を持つ一匹の虫のようにも見え、サトウは思わず身震いした。【虫】と一口に人間はまとめがちだが、虫にも種はいくつもある。サトウが知らない種も、サトウが仲良くはなれない種も、いくつもいくつもあるのだ。
 虫の中だけでも過酷な生存競争がある。しかし、そこに人間が介入してくるのはまったくの別問題だ。人間が脅威になれば、虫たちは結託する。圧倒的な敵が一人いるだけで、ほかは身を寄せあう。冷静に考えれば、ずいぶんと勝手な理屈だ。争いを止めないのは、なにも人間に限ったことではない。
 生き物は皆、勝手だ。生きていくのは、勝手だ。
「ノブオが、我らの意図に気づいたでの」
 ウメばあさんの言葉に誰もがどよめいた。あんなに粗暴な男が、こちらの呼びかけに気づくほど繊細だなんて。だが、とサトウは思いなおす。
 ノブオは自然に溶けこむ術を携えていた。あれは一朝一夕で身につくものではない。自然と共生して、自然と戯れあってなければできないことだ。それだけ森と密接な関係を築けているのならば、虫たちの真意を察することも可能かもしれない。
「まあ、正確に言うならばノブオではなくマナブだがの」
 納得しかけたサトウをよそに、ウメばあさんは意味深な一言をつぶやく。誰の耳にも届いてはいなかったが。
「これをマサトに託すでの」
 連なった虫たちがわっと散り散りになり、奥のほうへ消える。ウメばあさんの家の奥は、深い深い穴となってどこまでも続いているらしい。そこは貯蔵庫として使われており、ゴールにたどり着くまでには非常に複雑な道のりが立ちはだかっているようだ。すべて確証を得ないのは、サトウはお目にかかったことがないからだ。恐らく、ここにいる誰もが足を踏みいれたことのない未開の迷路だ。
 やがて迷い虫たちがずるずると、なにか引っぱってくる。巨大な、それでいてきめ細やかな布だ。その上には、いくつもの容器が置かれている。布は頑丈に編まれているらしく、迷い虫たちが強く引っぱっても、石の上を滑っても破れたりほつれたりはしなかった。ここ数日のあいだチズコが身を粉にして、いや、身を糸にして編みあげたものだった。
「すごいじゃん、布」
 ハチミの短い評価に、チズコはうれしそうに身をくねらせながらはしゃぐ。せっせと糸を吐きだし、紡ぎ、一心不乱に編んでいくチズコは鬼気迫るものがあったが、その器用さと集中力にサトウは目を見張った。少しずつ少しずつ広がっていく糸の魔法を、サトウは傍でずっと見つめていた。たまに激励に訪れるハチミからは邪魔者扱いされたが。
 その布に乗る、花のつぼみや葉っぱで成形して、小枝で囲ったタンクたち。緻密に作りこまれた容器もまた、チズコが考案したものだ。
 時折、不格好なものがまぎれこんでいるが、それはサトウ作だ。じっとしていられずに手伝いを申し出て、作りあげたものだ。ぎこちなく材料と格闘するサトウを、チズコは「上手、上手」としきりに褒めて伸ばしてくれた。そう言われれば、サトウのやる気も俄然上がる。そうなれば、サトウの奮闘ぶりにあてられて、ナツバやトンも黙々と作業に加わった。
 皆が物作りに熱中する様子を、チズコは微笑ましく見つめていた。自分の好きなものを、誰かと共有できてうれしいのだろう。ハチミだけは不機嫌そうに、それでもチズコへの差し入れは忘れなかった。ハチミの不器用さは折り紙つきで、下手に作業をすればチズコの妨げになると考えていたらしい。
 チズコ主導のもと、皆で作りあげた容器にはたっぷりと謎の液体が入っている。ウメばあさん愛飲のあれだ。
「よく頑張ってくれたでの、チズコ」
「皆が、手伝ってくれた、おかげ。あと、ハチミちゃんの、応援の、おかげ」
 さらりと感謝を伝えるチズコに、ハチミは照れたのかそっぽを向く。ウメばあさんは周りを見回し「皆に礼を言うでの」と頭を下げた。
「ウメばあさん。それで、この液体は、なんなの?」
「これはオフクワケだの」
「オフクワケ?」
 チズコは頭にクエスチョンマークを浮かべた。それはその場にいる全員に伝染する。名前を聞いても謎は深まるばかりだ。
 好奇心をくすぐられたらしいハチミとナツバが思いつくままに手を挙げる。
「花の蜜でしょ」
「違うでの」
「薬草の一種じゃないかい」
「違うでの」
「ウメばあさんのよだれ!」
「……違うでの」
「じゃあ、ウメばあさんの~」
「違うでの!」
 ウメばあさんがめずらしく声を荒げ、ナツバは「まだなにも言ってないのになあ」とぼやいている。
 サトウは謎の液体は謎のままにしておいたほうがいいような気がした。神のみぞ知る、ならぬウメばあさんのみぞ知る、だ。答えがわかって幸せになるとも限らないし。
 ただ、これがサトウたちを救ってくれることは間違いない。人間たちへ贈る、昆虫食の代案だ。
「付きあってくれるか、サトウ」
 トンの問いかけに、サトウは「ここまできて、今さらです」と笑った。
「マサトに託しましょう」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み