第11話

文字数 1,453文字

 ノブオは森の探索に高揚した。還暦もとうに済ませた年齢だというのに、少年のような好奇心がむくむくと胸の内によみがえってきている。
 人が足を踏みいれず、ほぼ手つかずになっていた森。田畑ばかりの落虫町でも、こんな野放しの自然はめずらしい。湿った土。足の裏で感じる波打った木々の根。頬を張るひんやりとした空気。時折差しこむ木漏れ日。町とは違う独特のにおい。一歩一歩と進むたびに新たな発見がある。
 もう何十年も、誰に指図されたわけでもないのに、一定の領域で生活する時間を過ごしてきた。ほんの少し枠からはみ出せば、こんなふうに未知の世界が広がっているというのに。
 ノブオは悔いると同時に、まだ新鮮な気持ちを味わえる自分に感謝もした。自分はまだ若い、と噛みしめるように歩いた。
 緩慢な足取りは、ざく、ざく、と音を立てる。ノブオの存在が静かな森全体に伝わるようだった。
 ――こりゃあ、めずらしい虫がいそうだ。
 ノブオはさらに興奮した。今、巷では昆虫食が流行っていると聞いた。それも昔のようなイナゴだとかコオロギだとかそんなたぐいのものではなく、もっと珍妙で斬新な味をした新種だという。そいつらがこの森で見つかれば、一気に落虫町の活路が開ける。出生から一度も町を出たことのないノブオにしてみれば、それは願ってもない好機だった。
 落虫町はいつの間にか陰気になっていた。何者にもなれる、と息巻いていた自分も気づけば年を取り、未来ある若者は皆、都会へと繰りだしていった。
 生まれ故郷とは切っても切れない縁がある。そんなふうに考えるのは、もう時代遅れなのだろうか。Uターンする者はおらず、落虫町の人口は年々減少していく。先人たちは帰らぬ人となり、後人たちは帰るまいとする人となる。
 そこにようやく若者が現れたと思いきや、なんとも頼りない人材だった。都会にかぶれたせいなのか、元来の気質なのか、いつもへらへらと笑い、こちらの顔色を窺うばかり。あれがこの町の先導者なのだと思うと、ノブオの肩は自然と落ちた。数少ない同胞たちも同じ考えだった。
 そんなときに昆虫食の話が持ちあがったのだ。日がな一日ワイドショーばかりを見ている婆さんが、皆にその風潮を語って聞かせた。これは落虫町が息を吹きかえすチャンスなのではないか。爺婆の目が一様にぎらついた。
 ノブオはさっそくマサトに掛けあった。未開の森を探索し、新種の虫たちを見つけ売りだそう、と。人海戦術というには寂しい人数だが、ノブオたちも協力する、と。
 なるたけ下手に、且つ切に訴えかけたつもりだったのだが、マサトは困ったような顔で笑うだけだった。
「皆さんのご提案うれしいです。少し考えてみます」
 ノブオは心中で舌打ちした。いや、実際にしてしまっていたかもしれない。マサトは結局、こちら側の意見に耳を傾ける気なんざないのだ。せっかく現代の流行に足並みをそろえてやろうというのに、年寄りの言うことなぞ聞く価値もないということか。
 ノブオはマサトに見切りをつけた。机上の空論で理想を描いている暇があったら、実際に足を使って動く。現物を捕獲して突きだしてやれば、逃げ道もあるまい。ノブオはなにかに駆りたてられるように、さっそく森へ乗りこんだ。マサトへの怒りが胸中の大半を占めていたが、森の空気を吸うたびに純粋な好奇心が満ちていくのをノブオは感じていた。
 ――必ず見つけてやる。
 ノブオは目を輝かせた。長年濁ったままだった瞳は、子どものように無垢な色に染まっていた。
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