第17話

文字数 3,564文字

 再び召集された町民たちは、明らかに不機嫌そうだった。また実のない議論を続けるのか、また若造の夢物語を聞かされるのか、とうんざりしている。特に中年男性陣は「酒もねえのかよ」と、お茶やジュースのペットボトルだけが並ぶのを見て悪態をついた。
「今度はなんだよ、町長さん」
「酒もなくちゃあ、なんも語れねえぞ」
 揶揄する声が飛びかい、下卑た笑い声も上がる。高齢層は不信に満ちた眼差しを、マサトに向ける。
 つくづく町長なんて肩書きは名ばかりだな、とマサトは苦笑した。ホームなのに、完全なるアウェー戦だ。険悪な空気の中、マサトはこっそりと深呼吸して腹をくくる。これだけ嫌われているんだ。このうえなにか思われたって関係ない。
「今日は落虫町を活気づけるために、きちんと具体的な提案をしたいと思います」
 いつものマサトらしからぬ、きっぱりとした物言いに町民たちは目を丸くした。が、すぐに臨戦態勢に戻る。少しでもほころびがあれば、容赦なくつついてやろう。そんな意地悪い空気が張りつめる。
「落虫町には手つかずの豊かな森があります。そこにはたくさんの種類の虫たちがいます。彼らに協力をしてもらいます」
 どよめきが起こった。高齢層の表情は明るくなった。
「それは昆虫食を実行するということか」
「なら、わしらに任せろ。虫捕まえるなんざお手の物だ」
「私らもよく調理しとったからね。佃煮とかにしたら美味いわ」
 わいわいと騒ぐ高齢層に、中年男性は「今はもっと洒落たもん作るだろ」ととがめた。町民同士でも皆が皆仲良しなわけではない。世代が違えば、考え方も得意分野も違う。高齢層が主導権を握る流れは、下の世代にとっては面白くないらしい。両者がいがみあうまえに、マサトは「違います」とけん制を入れた。一同がざわつく。
「昆虫食はやりません」
 その宣言で、割れかけていた町民たちが再び結託する。共通の敵を見出したときの大衆は、まさに水を得た魚のように生き生きとしはじめる。それはとても醜い姿なのに、マサト以外は誰も気づいていない。
「落虫町の虫たちは、とても賢く強い生き物です。彼らの知恵を拝借します」
「知恵だあ?」
「しょせん虫だろう」
「虫に教わることなんかねえよ」
 非難が矢継ぎ早に投げつけられる。マサトが続きを話そうとしても、町民たちの怒号にかき消される。
 どうしてここの人たちは否定しかしないのだろう。どうして否定するまえに話を聞こうとしてくれないのだろう。
 どうして前に進むのを、こんなにも怖がるのだろう。
 マサトが次の言葉を探しあぐねていると、唐突に部屋のドアが開いた。そして全員に雷が落ちる。
「うるせえぞ、おまえら!」
 鋭い一喝で町民たちは静まりかえった。声の主はノブオだった。注目を浴びてもあわてず、ゆったりとしたままの足取りは異様な貫禄に満ちている。その圧倒的な威圧感に、誰もが口を閉ざす。マサトは近づいてくる老爺と、このまえ家で懇意に語りあったことが信じられなかった。そのくらい今のノブオには威厳がある。
「ノブオさん」
「こういうときは声のでかいもん勝ちだ。おまえの声は小せえ」
「すみません」
「場はお膳立てしてやったぜ。あとはおまえしだいだ、マサト」
 ノブオはそう言ってにやりと笑った。最前にあった空席にどかっと腰を下ろす。
 皆は沈黙のまま、マサトを見ている。マサトはノブオに感謝して、腹の底から声を張った。
「虫たちは僕らが想像するより、よほど知恵のある生き物です。先日も彼らは僕の指を噛んで痛みを与えることで、明確な意思表示をしたんです。昆虫食には反対だ、と」
 また部屋中がどよめく。が、ノブオがにらみを利かせたことで、すぐに沈黙が戻る。それでも戸惑いははっきりと残っている。
「そして虫たちにはすばらしい知性もある。彼らは不思議な液体を作りだしています。それは怪我によく効き、肌にもなじみ、飲んでも体にいい。その知恵を借りて、落虫町のPRにつなげたいと思います」
 町民たちは騒ぎたてこそしないが、動揺が広がったのがマサトには手に取るようにわかる。こんなおとぎ話のような内容を、すぐに鵜呑みにするほうがおかしいだろう。虫たちと直接交流していなければ、マサトだって半信半疑なのだ。
「実際にその効果を体感した方がいます。ノブオさん、話してくださいますか」
 急に水を向けられて、ノブオは虚を突かれたようだった。あとは高みの見物と決めこもうとしていたのかもしれないが、マサトにとってノブオは唯一の味方であり証言者だった。生かさぬ手はない。ノブオはその意をくんだのか「生意気な」と笑いながらも、立ちあがって町民たちのほうを向いた。話し手が変わったことで、町民のあいだにも緊張が走る。
「俺はもともと昆虫食推奨派だ。ここで堂々めぐりの議論するぐらいなら、実際にめぼしい虫を捕獲してやろうと思った。それで森に入ったときのことだ」
 ノブオは淡々と、それでいて熱をこめて話した。その語り口は、マサトに聞かせてくれたときよりも訴えかけるものがあった。それでもノブオは決して私情を交えなかった。ただ、事実をありのまま伝えることに注力しているようだった。余計な感情は要らない。一人の体験談をもってして、どう思うかは町民にゆだねる。そして、そこをどう舵取りしていくかはマサトに任せる。ノブオの話しぶりに耳を傾けながら、マサトは託されていることを実感した。
 ノブオが話しおえると、漂っていた空気が一変した。町民たちは皆、納得したうえでどう咀嚼したものか悩んでいる。
 意思疎通のできる虫たちがいる。その虫たちは自身を守るために、自分たちの知恵を代案として提示してきている。
 その事実を理解できても、じゃあ合意しましょう、と発言できる者はいなかった。そんな町民たちの背中をマサトが押す。いや、マサトが引っぱっていくのだ。
「虫たちと共存共栄していく。そんな試みをするのは落虫町が初めてです。この町を僕はもっともっと世間に知らしめたい。この町で暮らせることを誇りにしたい。だから、皆さんの力を借りたい。すみません、僕、欲張りなんです」
 最後はおどけたように笑った。綺麗事や建前はもう要らない。余計な気遣いや忖度もなしだ。マサトは自分をさらけだすことに決めた。少しずつだが。それでも笑うと、気が楽になった。
 マサトのふやけた笑顔が、一人二人と町民のあいだでも伝染していった。空気が柔らかくなっていく。皆、どこか頼りない町長に対して「しょうがねえなあ」と脱力したようだった。
「おまえの言うとおりだ。落虫町だって悪かねえよ」
「悪くないじゃ足りない。最高の町にしたいんです」
「虫と暮らす町ってなかなか乙じゃのう」
「乙ですよ乙。そんな町、ないですもん」
「能天気な町長だなあ」
「前向きな町長ですよ」
 軽口で返していくうちに、マサトの肩の力はどんどん抜けていった。町民たちもそれは同じなようで、くだけた調子でも先ほどまでの貶める空気はどこにもない。軽妙なテンポのやり取りに、皆どんどん手をたたいて笑うようになった。
「町長! 俺から一つ頼みがあるんだがな」
 ノブオの大きな声がさえぎった。彼の声は大きいが、そこに敵意はない。マサトは表情を引きしめ「なんでしょう!」と負けじと声を張った。
「虫たちが暮らしてる森は財産だ。それは俺たちにとってもそうだ。なるべく手つかずのまま残しつつ、必要最低限の整備をお願いしたい。人間もルールを守ったうえで、ふらりと遊びにいけるようにな。あそこは面白い。最高の場所だ……ってなあ、マナブの入れ知恵だがな」
 マナブの名前が出たことで、町民たちは「え?」と異口同音に驚く。
「情けねえぜ。あんな子どもに俺は怒られたんだ。この町の大人はなにもないって愚痴言うばっかりだってよ。実際そのとおりだ。住んでる俺らが町のいいところ見つけてやらねえでどうすんだよ」
 ノブオの発破に、町民たちはぐっと口を真一文字に結ぶ。子どもに虚勢を張った結果、かっこわるい姿ばかりを見せてきてしまった。遅まきながら、長年の失態に気づきうつむく。マサトはすかさず、さらなる発破をかける。
「これから巻きかえしていきましょうよ。大人のすごさ、見せつけていきましょう!」
 その言葉に、町民たちは一人一人顔を上げて前を向く。過去を塗りかえることはできない。けれど、今から未来を変えることはできる。
 ノブオに向かってマサトは「マナブくんのお願い、了解しました!」と力強く応じた。自然と拍手が沸きおこる。マサトはいつも訪ねてくれる虫たちを思い、今度は自分が訪ねていこう、と胸の内で誓った。そうだ、マナブを連れて。
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