第2話 初めてのゲイバー

文字数 3,099文字

結局、夜八時に京浜急行の日ノ出町(ひのでちょう)駅で待ち合わせをすることになった。奈央子が駅前に着いた頃には、もう龍一は立って待っていた。白いTシャツに、上下黒のジャケットとズボン。身長は、百八十センチほどあるだろうか。すらりとして、アパートで会った時よりはるかに垢抜けて見える。

「この辺りは、横浜じゃ有名なゲイの街でね。すぐそこに、ゲイ映画専門の映画館もあるんだよ。俺も出会ったばかりの頃は、そこで翔太とよくイチャついたな」
県道沿いに歩いて行くと、右側に龍一の言う映画館が見えた。確かに『ゲイ・ムービー』と看板に書かれてある。小道を入ってすぐに入口があったが、奈央子はちらりと見ただけで足早に通り過ぎた。他人事なら興味半分に面白がって見られるのだろうが、そう聞くとどうしても翔太の顔がちらついて、気恥ずかしくなる。

ゲイバーは、桜木町(さくらぎちょう)方面に十分ほど歩いた古い雑居ビル内にあった。建物の左脇にある狭くて暗い階段を上ると、ようやく三階にある店の出入り口に辿り着く。店主の名前からとったのか『(しん)』と黒の明朝体で書かれた白いネオンが横に置かれてあった。窓はなく、『会員制』の札が下げられた木製のドアを引くと、四十代くらいの男性がカウンターを拭きながら笑顔で出迎えてくれた。
「龍くん! 待ってたよ。いらっしゃい」
「連絡しておいたんだけど、女性でも大丈夫かな?」
気おくれして龍一の背中に隠れていた奈央子は、そっと顔だけ覗かせて、申し訳なさそうに会釈をする。
「普段は男性専門でやっているんだけどね。電話で説明した通り、状況に応じて女性客も受け入れている。翔くんの、お姉さんなんだよね? その上、龍くんの頼みとあれば断れないな」
「ありがとうございます。すぐに帰りますから」
店主と思われる男性は、「まあまあ、ゆっくりしてってよ」と頭を下げる奈央子にやさしく微笑みかけ、カウンター席に座るよう促した。笑うと目尻にくっきりと笑い皺が出来、明るく親しみやすそうな人柄をより印象づける。

龍一はバーボンのボトルをキープしているということで、奈央子は白のグラスワインを注文した。硝子の小皿に入ったハート型のチョコレートがおまけに付いてきた。
奈央子は、改めて初めて入ったゲイバーの店内を見渡した。カウンター内には様々な酒類のボトルが並んでおり、普通のバーとなんら変わりはない。背後には二人席が三つほど並んでいて、決して広くはないが古いビルのわりに新しく、清潔に保たれている。
「やっぱり翔くんとよく似てるね。雰囲気とか顔立ちとかさ。翔くんなら大丈夫。気まぐれにどこか出かけているだけで、そのうちふらっと帰ってくるって」
龍一から事情を聞いているのか、何も言わずとも店主はグラスを磨きながらそう話してくれた。
「何か知っていることはありませんか? 最後に会ったのは、いつですか?」
それでも奈央子は身をのり出して聞く。店主は苦笑した。
「なんだか取り調べにあっている気分だな。翔くんのことなら俺より他のオジサマたちのほうがよく知っていると思うよ。最近、ここには顔を出していなかったしね」
「オジサマ…?」奈央子はその言葉にひっかかり、心の中で反芻(はんすう)した。考えてもわからず、隣に座る龍一の目を尋ねるように見る。
「ノートに書かれていた、翔太の顧客のことだよ。翔太は、親父キラーなんだ。金持ちのオジサンたちにモテモテで、小遣いをくれる男が何人かいる。俺はまだそんな年じゃないけど、奴らの気持ちがよくわかる。純粋で子供っぽくて、守りたくなるというか、とにかく可愛いんだ」
奈央子が指さしたあの箇所は、そういうことだったのか。
「でも…」一瞬ためらったが、「あなたはそれで、いやじゃないの? 」奈央子は率直に聞いてみた。
龍一は、軽く溜息をついた。
「俺は金持ってねえし。安月給で、あいつに何も買ってあげられないからな。あいつがそれでいいならと目を瞑ってきたけど、あのノートを読むと、やっぱり後ろめたい部分があったのかな」
龍一は、普段解体業をして生計を立てているという。週末は今日のように場外競馬場のある日ノ出町に来て競馬で稼ぐこともあるらしいが、いつもではない。

この店はゲイ向けの出会い系サイトと提携していて、二人はそこで知り合ったという。
『なんでも話せる年上のお兄さん探しています』
と翔太が投稿したらしいが、既にその時点で中高年からの返信が多かったらしい。結局、この店で四つ年上の龍一と出会い、意気投合した。その話を聞いて、奈央子は龍一が自分と同い年の二十五歳だということがわかった。

その時店のドアが開き、賑やかに若い男性客三人が入ってきた。一見皆、大学生風に見える。龍一を見つけると、
「ギロロじゃん!」
一人が言った。
「翔太が、二日前から行方不明なんだ。おまえら、何か聞いてねえか?」
龍一が尋ねたところを見ると、知り合いなのだろう。
「タママが?」
今度は、三人とも口々にそう言う。さっきから、ギロロだのタママだのなんのことなのだろう、と奈央子は思う。
「この人は、翔太の姉貴」龍一が奈央子を紹介すると、一人が無遠慮(ぶえんりょ)に正面から奈央子の顔を覗き込む。
「やっぱり、タママだ!」
そう言って、爆笑しながら飛びのいた。
「俺たちに聞くより、オジサンたちに聞いたほうが話が早いんでねえの? ママ、ビールね」
そう言ってそれぞれ、奥のカウンター席に座り込んだ。やっぱり、店主と似たようなことを言う。
「翔太よりさあ、翔平だよなあ。大谷翔平。二度目のMVP受賞だって。マジですごくね?」
「俺の翔平ちゃああああん」
「ケツもMVPだ」
皆メジャーリーガーの大谷翔平のファンなのか、お喋りが盛り上がって止まらない。一人が奈央子の後ろに駆け寄ってきて、
「お姉さん、大谷のケツは本当にセクシーだと思いませんか?」
真面目なアナウンサー風を装って、ビール瓶をマイクに見立て聞く。奈央子は何も答えられず、恥ずかしそうに俯いた。「やめろよ」龍一が、横からビール瓶を払いのける。
「てめえらの好みの男の話聞きに来たんじゃねえんだよ!」
龍一の怒号にひるまず、
「MVP! MVP! はい、やっぱりケツもMVP!」
手拍子と共に、三人は笑いながら大合唱を始めた。収拾がつかなくなり、龍一は「つけといて」とだけ店主に告げると、奈央子の手を引き小走りに店を出る。
「オータニ! オータニ!」
扉を閉め、階段を下りる時も、男たちの大合唱と笑い声はしばらく響いていた。

「楽しいお店なのね」
ビルを出て、夜風の冷気に当たると、ようやく奈央子の気持ちは落ち着いてきた。
「ゲイバーって初めてだけど、なんというか、もっと閉鎖的なところだと思っていたわ」
龍一はまっすぐ前を向いたまま、
「俺もいろんな店に行ったけど、普通の店と変わらないよ。どこもマスターやオーナーの人柄、考え方が雰囲気を作り出す。『信』はバカが集まるけど、明るくていい店だよ」
そう答える横顔が、奈央子には精悍に映る。
「そういえば、わからなかったことがあるの。ギロロとかタママって一体なんのことなの?」
龍一は驚いて振り返り、少し後ろを歩いていた奈央子を見た。
「知らないの? 有名な漫画のキャラクターだよ。俺たちは、そのキャラクターにそっくりだと言われていて、仲間うちでは『ギロロとタママのカップル』と呼ばれているんだ」
気になったので、奈央子は実家に帰宅すると、早速自室でスマートフォンを使いネット検索してみた。出てきたキャラクターは、一見カエルに見えるが宇宙人らしい。あまりにも二人に顔と雰囲気が似ていたため、こらえきれず笑いころげてしまった。結局、笑えただけでこの日はなんの収穫もなく終わった。

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