第5話 ヨコハマメリーさん

文字数 1,729文字

やりきれない思いを抱えたまま、龍一は野毛(のげ)にある男娼が買えるゲイバーに向かっていた。何か情報が得られればという思いもあったが、正直、翔太に似た少年がいれば持ち帰り抱きたい気分だった。柳田は、翔太を消すのはたやすいと言っていた。まさかとは思うが、消されていなければいいのだが。

ゲイバーは桜木町駅から徒歩七分ほどの鉄骨ビル六階にあった。ここは店内で相手を物色したり、電話で指名が出来たりと、売り専の風俗店と提携しているようだった。壁一面に古いレコードジャケットが飾られており、薄暗い店内は『信』と違い静かだ。黙々とグラスを磨く店主と、カウンター席に座り吊るされた照明の下スマートフォンをいじる少年二人が、ちらりと龍一のほうを見たのみだった。

入口からすぐのカウンター席で龍一がバーボンを飲んでいると、鉄扉(てっぴ)が開き、女装した中年男性が入ってきた。通称『メリーさん』と呼ばれている五十代独身の男性。普段は男性の姿でサラリーマンをしているが、夜になると女装して野毛のハッテン場と呼ばれる界隈(かいわい)を渡り歩く。今夜は化粧も濃く、金髪のカツラにピンク色のセーター、黒のタイトスカートに網タイツと、ひときわ派手だった。
「龍くんじゃない。どうしたの? 翔くんがいるのにこんなところで。龍くんみたいなかっこいい子がいると、買われちゃうわよ」
体をしならせながら、龍一の右肩にもたれかかり隣に座る。
「買われたいのかもな。実は翔太がいなくなったんだけど、メリーさん何か聞いていないか」

龍一は、結局柳田に見せることのなかったノートを、メリーさんに見せた。
「これって『伝道の書』よね。クリスチャンじゃなくても知っている人が多い、わりと有名なものよ。こんなものを書き残していなくなるなんて、翔くん、何かあったのかしらね。龍くん、心配よね」
メリーさんは、柳田と違ってやさしい。人の痛みがわかるというか、かけてくる言葉にも温かみがある。
「大丈夫。翔くんならどこか旅行に行きたい気分になって出かけてるだけで、案外すぐに帰ってくるわよ。あんまり深刻になるものじゃないわよ」
そう言って、励ますように軽く片手で龍一の肩を叩いた。『信』の店主と似たようなことを言うんだな、と龍一は思った。
「それにしても、"人は飲み食いし、労苦によって得たもので楽しく過ごすより他に良い事はない"って、まさにその通りよね。すごくよくわかるわあ」
メリーさんは、注文したハイボールを飲みつつ明るく笑いながら言う。
「ほら私、昔からこんなでしょ。このノートに書かれているみたいに、人生が空しくてどうしようもなく思える時期があったの。翔くんみたいに、一体なんのために生まれてきたんだろうって」
龍一は、共感を内に秘め黙っていた。
「でもね、もう開き直って、自分のやりたいことやって楽しく生きることに決めたの。だってそうじゃない? 聖書に書かれている通り、稼いだ金で楽しく過ごすより他に良い事はないんだもの。他人にオカマだの気持ち悪いだの言われても、もう開き直って楽しくさ」

メリーさんは比較的裕福な家で何不自由なく生まれ育ってきたという。父親は医者で、母親は専業主婦だが姉は一流企業の管理職、弟も父親の望みどおり医者になり、現在小さなクリニックの院長になっているらしい。
「私だけが劣性遺伝で、出来そこないなの。神様の作った失敗作よね。幼い頃から、なぜか同性ばかり好きになっちゃうし。だからこのノートに書かれてある翔くんの心境、よくわかるわ。つい劣等感というかコンプレックス(いだ)いちゃうのよね。翔くんにもお姉さんがいるらしいけど、やっぱり優秀なんじゃない?」
龍一は、いかにも優等生的な奈央子の姿を頭に思い浮かべた。才色兼備な感じ、とでもいうのか。

「姉や弟に引け目やコンプレックスを感じて、極力付き合いを避けてきたんだけど、それももうやめたの。人生は、与えられた時間に限りがあるんだもの。堂々とありのままの自分で接して、楽しく自分らしく生きるわ。いまでは私、女装した姿で会ったりしているのよ」
のけ反って笑いながら、メリーさんは言った。翔太もどこかでこんなふうに明るく肯定的に自分を受け入れ、生きていてくれればいいのだが、と龍一は願った。

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