第6話 警察には行かない

文字数 1,365文字

“天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生まれるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある"

奈央子はベッドで仰向けになり『伝道の書』を読みながら、「捜すに時があり」と、独りごとを言った。翔太が見つかる時もあるのだろうか。こんなに毎日探していても、なんの手がかりも見つからない。あのノートは、牧師が言った通り、やはり『伝道の遺書』だったのではないか。発達障害や引きこもりだったことを心配して、何か食べ物を送ろうと、「ちゃんと食べてる? 」とスマートフォンのアプリにメッセージを送ったのが、最後だった。いまだに既読になっていない。位置情報も、オフにされたままのようだ。
居ても立っても居られなくなり、奈央子は龍一に電話をしてみた。週末の土曜日、奈央子は休日だったが、龍一も午後ならアパートにいるとのことだった。肌寒い曇り空だったので、奈央子はクリーム色のトレンチコートを羽織り、外出した。

インターホンを鳴らすと、憔悴(しょうすい)しきったふうの龍一がドアから顔を覗かせた。うたた寝でもしていたのか、髪はボサボサ、出会った日のトレーナー姿だった。通された部屋の中も、相変わらず雑然と散らかっている。ただ、奈央子が来ると見越してか小さな円形の卓袱台(ちゃぶだい)とクッションが、迎えるように置かれてあった。
「気を遣ってくれたのね」奈央子がコートを脱ぐと、「ん」と言いながらハンガーを手渡してくれた。「オジサマたちは、どうだった?」と、コートをハンガーにかけながら奈央子は聞いた。

龍一は柳田やメリーさんについて話した後、他にも三人ほど連絡先を知っている男たちに聞いてみたと言った。話下手な歯医者、不愛想な内科医、偉そうな会社経営者など。どの男たちも一様に冷たく迷惑そうで、消極的、非協力的な態度だったという。
「そうだと思っていたわ」
奈央子は、うなだれて言った。
「両親に黙っているのも、もう限界。やれることは、やったわ。今日でもう五日目よ。これから警察に行きましょう」
龍一の顔色が、さっと青ざめるのがわかった。
「警察には、行かない」
「どうして?」
「行きたくない。前にも言ったけど、関わり合いたくないんだ。いままで散々、いやな思いをしてきたから」
何か理由がありそうなふうの龍一を、奈央子は問いかけるように見つめた。
「殺したんだ」しばらく()を置いてから、龍一は言った。
「俺は過去に、父親を殺した」
言葉を失っている奈央子を見て、龍一は台所に行って小さな冷蔵庫からペットボトルを二本取り出した。
「うち、お茶とかコーヒーとかねえから」
五百ミリリットルの、ミネラルウォーターだった。一本を奈央子の前の卓袱台に置き、一本を自分が口飲みする。ペットボトルを手に持ったままデスクチェアに座り、話し始めた。

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