第10話 伝道の遺書

文字数 1,399文字

僕は神様の作った失敗作なんです。
神様はどうして、僕みたいな失敗作を作ってしまったんだろうって思います。

でも、今回のことで神様には感謝もしています。僕の身を救ってくれたから。
奈央姉や龍くんには、心配させるためにわざと友達と無断で旅行に行ったってことにしているけれど、真相は違います。
僕のことを必死になって探してくれた二人には、とても本当のことは言えません。誰にも話せないので、このノートにもやもやした自分の気持ちをすべて書き出して、鬱憤(うっぷん)を晴らそうと思います。

まず、マーくんは友達ではありません。僕のことを気に入ってくれているお客さんの一人です。マーくんに、龍くんを心配させるためこの意味深なノートを書き残して行けと言われ、二人で旅行に行ったのは事実です。軽いいたずら気分で、一泊二日だけ。おみやげを買って、そのまま帰るつもりでした。
でもいざ横浜に帰ってきたら、マーくんの態度が一変しました。僕を自宅マンションの一室に閉じ込めて、「今日からここがおまえの家だ」と言うのです。どうしてこんなことをするのかと尋ねると、「最初からこうするつもりだった」と答えます。「同棲している恋人と別れさせるために、わざと遺書のような置手紙を書かせた」のだと。すべて仕組まれた計画だったことを、白状してくれました。唯一の連絡手段であるスマートフォンも、取り上げられてしまいました。

それから三日間、僕はマンションの中に監禁されたのです。手足こそ縛られなかったものの、常に監視をされているような状態が続きました。マーくんは、本気で僕と同棲を始めたつもりのようでした。僕はそんな彼にうまく波長を合わせ、順応(じゅんのう)するふりをしながら、一瞬の隙を見逃さず逃げ出しました。
住所は教えていないので、マーくんがこの後追いかけてくる可能性は少ないと思います。追いかけてこないかぎり、僕もこれで彼のことは黙って忘れようと思っています。

彼がストーカーにならなければいいのですが。監禁やストーカーは犯罪ですが、僕は龍くんを警察や犯罪に巻き込みたくない。龍くんが過去に事件を起こして、警察を毛嫌いしていることを知っているから。警察沙汰にして、これ以上騒ぎを起こしたくはないのです。龍くんは荒っぽい一面があるから、真相を話したらブチギレて「殺す」とか言いだしそうなのも怖いです。

今回のことで僕は、男娼や娼婦はつくづく危険な商売であることを思い知らされました。下手したら密室でひっそり監禁され、挙句の果てに殺されてしまってもおかしくはないのです。僕のように、お店にもどこにも所属せず、個人で活動しているような人たちは特に。何か犯罪行為が起きても発覚しにくい。わかりにくいです。お客さんは旅行に連れて行ってくれたりご馳走してくれたり、いい思いをすることも多いけれど、リスクや危険も多い。

監禁場所からなんとか逃げられたことは幸運で、神様には感謝しています。このノートは旧約聖書の『伝道の書』を引用して書かれてありますが、もしかすると『伝道の遺書』になっていたのかも知れないのです。本当に遺書になっていたかもと考えると、ぞっとします。
本当の事を全部書いたら、スッキリしてきました。このノートは誰にも読まれないよう、明朝すぐに焼き捨ててしまおうと思います。真実は、自分の心の内にだけ独り死ぬまで秘めて。
(くう)の空、空の空、いっさいは空である。

(むな)しくて、仕方がありません。




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