第6話:ソニーバンク構想と大手銀行との交渉2

文字数 2,413文字

 翌週の月曜日、2000年4月10日に杵山部長に、その試案を見せて説明。1つソニーバンクは事業所とお客様とインターネットで繋ぎ、全取引するので事務所コストが少ない。日本の銀行が苦手としてる外貨取引の自由にできるようにする事。アメリカで流行しているクレジットカード事業を大きな柱としていく事。

 お金のやり取りは費用を払っても他行のATM「現金自動預け払い機」を利用させていただく事。将来的にはインターネットを通じ、株、債券、為替、投資信託の取引できるようにする事。それを見せると、すごいと言ったが、本当にできるのかと聞くと、とりあえず画期的という所を強調しましたと言った。最初は相手をその気にするためには必要な事ですと笑いながら言った。

 わかった、これで行こうと決まり四宮専務さんの所に行ってプレゼンテーションするとアイディアとしては面白いねと告げた。その案をうちの会社内にもっていって評価してもらって良いかと言われて結構ですと言い、他の大手銀行には絶対話してないよなと再確認する痩せても枯れてもソニーの看板をしょって営業に回ってますので、そんな事、絶対しないと断言した。

 そんな仁義に反する事はしませんというと君の熱意をかって資料を預かると言ってくれた。1週間以内に連絡すると言ってくれた。そして4日後の2000年4月14日に面白いアイディアだと我が社でも評価が高いと四宮専務から電話が入った。そして1週間後、再び、私の所でうちの精鋭部隊の若手と話して欲しいと言われ了解した。

 そして4月21日、四宮専務の部屋へ行くと4人の男性社員が待っていて名刺交換し話を始めATM「現金自動預け払い機」を自前で作らないのと支店を作らないというアイディは非常に合理的で面白いし可能だろうと言った。しかし、株、債券、為替、投資信託は現在、証券と銀行の壁があって実現できないだろうというとアメリカを見るとわかるが壁は確実に小さくなっていると言った。

 日本だけ、こんな事やっていれば世界勝てないから、最近インターネット証券もできつつあり、近いうちに販売できる様になると見ている。そう話すと確かにメガバンク中心に日本の銀行が収縮していくことを考えると、そんな事言ってられなくなるかも知れないと同意した。最初はインターネットで入出金できるシステムを作り他銀行との差別化を図る事が大事だと強調した。

 そして日本で自由化された投資商品をいち早く取り入れて、始めてみなければ、その後、どう展開するかわからないと言った。これには総論賛成だという意見でまとまった。する四宮専務が、これだけわかれば良いと言いソニーバンクの入出金をうちの銀行のATM「現金自動預け払い機」を使える様にして上げようと言ってくれた。

 そして新しい銀行を立ち上げるプロジェクトチームを両社で作り育成していこうと言うことで契約書を交す事になった。その覚え書きの交換が終了したのは10月11日だった。その後、毎週1回ずつの両社の会合を開くことで両社が合意した。2000年の11月6日にソニーとMS銀行の両社が出資することも合意し決定した。

 そして支店の配置や新しい銀行の幹部の人選が両社で行われ、2000年12月に概ねの事業体制が決まった。そして2001年4月に、新しいタイプの銀行設立のための覚え書きが買わされ大蔵省にその案が提示されて2000年の10月に大蔵省から許可が出た。しかし、もし法に触れるような不祥事があれば銀行業務の許可を取り消すとも書いてあった。

 やがて2001年があけて、東京の日比谷にソニーバンクの本拠地を置くことが決まり、4月2日、ソニー、MS銀行などの出資により設立。6月11日より事業を開始。サービスの概要はネット銀行の先発として参入したジャパンネット銀行やアイワイバンク銀行「現:セブン銀行」が決済手数料を収益の柱とした低コスト運営の銀行を目指した、

 それに対してソニー銀行は個人の資産管理の身近な銀行になることを目指して設立された。2002年にインターネット専業銀行では最初に住宅ローンの取扱を開始。市場金利に連動した貸し出し利率・金利タイプ「固定・変動」の変更がいつでも可能・保証会社を使わないため保証料が不要でインターネットバンキングと契約書類を作成しの郵送だけで,完結する点を売りにした。

「同様のサービスは既にスルガ銀行ネットバンク支店などで実施済み」。2001年の正月明けからのMS銀行との事務的な交渉を全て杵山部長に、お願いして臼井重光はソニーバンクの核になるインターネット・バンギングのためのソフトウェア作成とテスト改良を始めた。そして時間がないのでソフトウェア部隊を4人編成で3チーム、合計12人の精鋭部隊を作った。

 24時間を8時間に分けて切れ目なし、その作業を続けた。その際に一番肝心なのは作業交代の時の情報交換。半年かけて作成したシステムだったので、直ぐに完璧なシステムができる程、現実は甘くな。何度も手直しする試行錯誤の連続。そして、その時に臼井重光がソフトウェア技術者に要求したのは現在、既に完成しているソフトウェアだけを使えと言うことだった。

 未完成、試作品、試してないソフトウェアは、それがいかに画期的でも使わない事だった。その理由は簡単、疑問の袋小路に入って膨大な無駄な時間がかかるからだ。もう一つは作業を交代するメンバーが完全に受け取る情報を完全に理解するまで、しっかり聞いて引き継ぐ事だった。引き継ぎが不完全だと必ず、時間のロスが生じるからだ。

 しかし連絡ミスが数回起きたが致命的な問題とはならないほど小さかったのが不幸中の幸いだった。そして新しい形のネット銀行「ソニーバンク」が将来の期待というエンジンと会社側の不安というブレーキを持った車として走り出した。2001年7月に31歳でソニーバンクのシステム課長に抜擢された。
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