第7話:豪ドルでの運用へ

文字数 2,644文字

 一方、臼井重光の家の方では2001年、早々、奥さんの路子さんの吐き気を気にして産婦人科を受診すると妊娠と言われ2001年9月20日が予定日とわかった。3月になると以前と同じで大きなお腹となり、もしかしてと心配になり産婦人科の検診の時、重光もついていき、先生に今回も双子と言う事はないですよねと聞くとない事はありませんと言った。

 でも前回に比べて腹が突き出てると言うよりも全体が大きいのでもしかしたら双子さんかも知れませんねと言った。しかし単なる想像で確定診断ではありませんと笑いながら言った。でも臼井家の人だからお金の心配はいらないから良いですねと付け加えた。そして7月の検診の時、双子の可能性が高いと真顔で先生が言った。

 すると重光が先生に双子用の乳母車、ベッドも買ってありますから万全ですと強がってみたが面倒見るのが大変だと内心困っていた。やがて夏になり玉のような汗をかいて奥さんの路子さんが家事をしてるのを見て重光も家事を手伝うようになった。やがて9月になり、やはり双子の可能性が高いから9月16日から入院して調べたところ間違いなく双子とわかった。

 そして重光が出産に立会い、元気な双子の女の赤ちゃんが誕生した。その後、名前を和子、次子と名付けた。一方、日本の株式市場はネットバブル崩壊と新聞に書かれてソフトバンク、ヤフー、光通信など、つい最近まで日本の株式市場でもてはやされていた銘柄が大きく値を下げて、売り株数が多すぎて売買取引が成立せずに値段がつかず14日間連続ストップ安が日本の株式市場の最長ストップ安記録として残った。

 これをつぶさに見ていた臼井重光が株式の怖さを身にしみた。家に帰ってきた俊子の面倒を近所の以前と同じ方達が身の回りの事や双子の赤ちゃんの面倒も見てくれ大いに助かった。その後、久しぶりのシティバンクの勉強に参加した重光は高金利通貨で豪ドルがリスクが少なく確実だと説明されてた。

 為替の専門家を呼んでもらいオーストラリア国債の2年物と5年物、10年物の金利差が小さいので新発2年債を何回かに分けて購入する方法が豪ドル円の通貨の変動を考えても一番良いのではないかと提案してくれた。ちょうど良いことに豪ドル円が安く買える時期ですので、また連絡して上げると言ってくれた。そして投資の提案書を直ぐに郵送してくれた。

 そして2001年10月18日の夜19時にシティバンクの為替担当の鮫島さんから電話が入り、明日56.5円で豪ドルを買ったら良いと思いますが、いくら買いますかと言われ重光の口座から177万ドル合計1億円買うと言うと、そんなに買うのですかと聞くので買いますよねと聞くので、この豪ドル国債の中心に運用していくつもりだというと、わかりましたと言った。

 翌日、買えましたと連絡が入った。これで重光の資産残金が2億円となった。やがて終わり2002年を迎えた。その時、家に来て奥さんの路子さんの面倒を見てくれた3人のおばさんに、お年玉ですと言って10万円ずつ入った袋を渡すといらないと言われたが2度も助けていただいて、それでは私の気がすみませんと言い受け取ってもらった。

 赤ちゃんの和子、次子の世話で忙しくなり仕方なく今年の夏から臼井正一と正二が3歳になるので保育園にいれた。7月から父の重光が仕事に行く前に保育園に連れて行き帰りも迎えに行き、どうしても難しい時には近くに住む、おばあちゃんに迎えに行ってもらう様になった。そして臼井重光はソニー入社後、事情があって転勤ができないと断った。

 出世街道から外れたが勤務時間が自由になったり休みも比較的取りやすく給料があまり増える事はないがソニーでも重宝がられた。路子さんが忙しく動き回っているうち2002年が終わり2003年を迎えた。この頃になると長男と次男が4歳の腕白盛りになり仕方なく250万円で8人乗りのステップワゴンを購入し近くのプール、九十九里海岸に海水浴、アクアラインを使って横浜に出かけた。

 2003年は3月20日の早朝、東京ディズニーランドに臼井正一と正二と和子、次子と両親の6人で千葉と東京の境の浦安の東京ディズニーランドへ日帰りで出かけた。朝8時に出て、9時には東京ディズニーランドの駐車場で少し待ち、9時半、開演30分前に入場口に待っていた。ちょうど、その時に東京ディズニーランド20周年記念のイベントが開かれて混んでいた。

 午前中、臼井正一と正二はロープウェイや汽車に乗りたくて父の臼井重光が一緒に周り、その他、女性達は踊りとかショー、パレードを見に行った。最初に入ったの魅惑のチキルームで舞台はハワイからやってきた4羽の鳥たちのショー「バーズ・オン・パラダイス」から始まり、そのショーを楽しんでいた。その他イッツ・ア・スモールワールドを船で探検した。

 その他、いろんな演し物を見ては喜んだ。また乗り物では蒸気船マークトウェイン号にのり園内の景色を楽しみ、プーさんのハニーハントにも乗った。臼井重光と臼井正一と正二はウエスタンリバー鉄道に乗りに行きはしゃいでいた。次にジャングルクルーズの船にのり、長い間待ってビッグサンダー・マウンテンにも乗った。

その後昼食時になり、ハウスのカレーのレストランに入り、大人達は辛めのカレーを子供達にはカレーとハンバーグセットを取ってにぎやかに食べた。食事を終えてからカントリー・ベア・シアターで熊がギターの弾き語りをしてくら、それを聴いた。その後、白雪姫と7人のこびとのトロッコに乗った。午後15時近くなり子供達も疲れが見えたので、最後に何に乗ろうと言うことになり、いくつか見て、空飛ぶダンボに乗って空からの景色を眺めて終了した。

 15時半に駐車場を出るとまだ渋滞はなくスムーズに湾岸千葉から成田方面に向かい17時前には家に着いた。その頃、子供達は座席で爆睡状態で奥さんも寝ていた。この年は、その後も夏8月に富士山、御殿場、八ヶ岳高原に行き、野辺山公演の宿に宿泊して、夏空の星を眺めて寝た。川の水が冷たくて標高2000mを越える高原では、上に何か着ないと寒いくらいだった。帰りに小淵沢のシャトレーゼというアイスクルームでアイスクリーム食べ放題を体験した。その後、冬12月末頃に、富士山中腹の人工スキー場へ行き、スキーも初体験し、最初はそりで遊んでいたが、そのうち飽きてしまった。やがて2004年となった。
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