一 いたずらメールか?

文字数 1,742文字

『私は二十年後のお前だ。証明のため、私が記憶している大学院入試問題を伝える。
 専門は「結晶体の回折画像から、ラメラ構造の結晶格子を類推する問題」だ。
 物理は基礎問題で「大気中における水滴が成長し、雨になって地面に落下するまでのエネルギーを議論する問題」。
 数学は「ベクトル解析」と「特殊関数」が主体だ。

 受験後に、私がお前だとわかったら、就職は地元企業にし、中野絹恵と結婚しろ。
 都心一極集中の経済構造は地方分散化し、生活費がかさむ都心は住みにくくなる。
 結婚相手の容姿や実家の経済状況を当てにするな。
 お前を慕う女を選べ。現在の家庭の経済状態より、さらに上をめざす者たちを身内にしろ。結論は、中野絹恵と結婚しろ、だ。

 私は、見てくれの良い、裕福な家庭に育った浪費癖の女を選び、都心に住んで苦労し、リストラされた。

 選択をまちがえるな。
 石原好子とはつづかない。
 鈴木あや子には深入りするな。破滅する。
 白石麻美は卒業と同時に、医師と見合結婚する。最初から無理なのだからあきらめろ。
 中野雅恵は親子ほど歳が離れているからそのつもりでつき合え。
 高原藤子とは考えが違っている。

 女も仕事も、来るものは拒むな。だが、深追いするな。残るのはおのずと決まる。誰よりもお前を慕う中野絹恵だ。
 中野絹恵と結婚しろ』 


 大学三年の三月。
 春休みに突入すると同時に、妙なメールがとどいた。
 どう見ても、これは俺の文体だ・・・。
 堀田正俊はそう思った。

 堀田が通う大学の大学院工学研究科高分子工学専攻の入試は六月だ。
 受験する学生は三年のこの春休みも下宿や自宅にこもって勉強している。おそらく、そいつらの一人が、いたずらでメールしてきたにちがいない。こんな悪質ないたずらをするのは誰だろう・・・。
 しばらく考えたが、堀田の親しい学生に該当者はない。

 思い当たるのが一人いた。同じ大学院を受験する松岡だ。松岡は堀田より工学部の成績が良く、確実に合格すると言われている。
 一方、堀田は学科内で後ろから三位程度の成績。大学院を受験すると宣言し、研究室の小山一郎教授を驚かせた。


 成績が良い松岡は、堀田のような成績が悪い学生を馬鹿にし、堀田の下宿に集まる受験希望の学生を、
「バカが頭並べて受験勉強しても、受からないぜ!」
 と陰でけなしていたという。嫌がらせするなら、こいつしかいない。

 大学院を受験しない学生たちは賭をしている。堀田はダークホースで、松岡は本命だ。
 同じ科の親しい学生、亀山は、見返してやれ、と言うが、亀山も賭をしている。

 しかし、嫌がらせがあろうが、なかろうが、合格せねば話にならん。気にしないで勉強するしかない・・・。
 そうは思うが、女たちの顔が、堀田の目の前にちらほらする。

「誰からのメールかな?」
 受験勉強をしに来ている鷲野が、女からのメールと考えてニタニタして言う。
 鷲野は堀田より成績が良いが、専門科目の講義をノートしていない部分が多く、春休みになって、加山とともに堀田の下宿に入り浸りだ。
「見るか?」
 堀田はメールを見せた。

「これっ、嫌がらせか?」
 鷲野の隣で加山も見ている。

「だろうな。だけど、こいつ、堀田のことくわしいな。女友だちのことを話しているのは、俺たちと亀山だけだろう?」と鷲野。

「ああ、そうだ」と堀田。

「亀山は学生寮で松岡と同室だから、亀山が話せば学科内に知れる。皆、自分に関係ないから話さないだけだ。松岡の嫌がらせじゃないのか?」
 加山も堀田と同じに考えている。

「俺もそう思う。だけど、入試問題について、けっこうくわしい。
 一応、出題を気にすべきだな・・・」
 堀田は、メールの入試問題を妙に納得している自分に苦笑しながら、専門科目のノートを開いた。

「この重積分と三重積分は何を意味するんだ?」と鷲野。

「結晶密度と重心の計算だ・・・」
 堀田は答えた。ノートにそう書いてあるが、さっぱりわからん。

 三人のノートを集めると、やっとまともなノートになるのだから、各自のノートを見ていても解読できない。三人とも講義を欠席した記憶はない。三人が講義中に何をしていたか不思議だ。しかたないので専門書を調べはじめた。

 堀田の下宿に鷲野と加山が入り浸っている理由は、こんな所にある。
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