八 遅咲きの沈丁花

文字数 1,615文字

 夕刻。
 堀田は雅恵とともに大学を出た。映画館は大学から徒歩で三十分ほどの繁華街にある。
 歩道を歩きながら、堀田は自分の趣味や興味あることを話しながら歩いた。雅恵は相づちを打って聞いていたが、いつしか堀田の腕を抱きしめている。堀田は雅恵のしたいようにさせた。どこかで遅咲きの沈丁花が香っている。

 繁華街のアーケード街を歩き、本町五丁目の交差点を右折して、新たに整備された駅前通りへ歩いた。しばらく歩くと、雅恵はジュエリーショップの前で立ち止まり、ショーウィンドーに手を振った。店内から、
「アーラ、おそろいでいいわね!」
 笑顔の女が出てきた。雅恵が堀田を家庭教師として紹介した雅恵の知人、古畑和子さんだ。このジュエリーショップを経営している。

「映画に誘われたのよ・・・」
 店内に入るように促され、雅恵は二人で出かけてきた訳を説明している。
「二人のおじゃましたら悪いわね!。早く行ってらっしゃい!」
 店主に笑顔で追い立てられて、堀田たちは駅前の映画館へむかった。


 映画館に着くと次の上映まで二時間ほどある。途中から館内に入って映画の後半の次に前半を見るのもはバカげている。ふたりは近くの古民家風喫茶店に入った。ここは個室のように席が区切られている。他の客と顔を合せるのは店内に出入りするときだけだ。

 席に着くと雅恵が堀田に何を注文するか訊いた。アメリカンとトーストと答えると、雅恵も同じ物を注文すると言う。堀田は雅恵に気づかいをさせたくなかった。
 夕飯に近い時刻だからそんなので足りるのか堀田が問うと、それならハンバーガーにすると雅恵が言う。堀田もハンバーガーとアメリカンを注文した。

 ハンバーガーを食べながら、堀田は大学三年の夏休みに二週間をかけて自転車で日本海まで行ったことを話した。ここ北関東のR市から日本海までずいぶん距離がある。
 雅恵は唇の端にケチャップが付いているのも忘れ、堀田の話を聞いていた。堀田は紙ナプキンを手に取り、そっと手を伸ばして雅恵の唇の端のケチャップを拭いた。雅恵はちょっと顔を赤らめ、小さな声で、ありがとうと言った。

 堀田は雅恵にテニスのことを訊いた。事務官たちの何人かは昼休みに学内コートでテニスをしている。雅恵もその一人だ。テニスは運動不足解消のためで、どこかの試合に出ようとか、もっとうまくなろうとか、雅恵はそんなことは考えていないと言う。
 堀田は、なぜ雅恵が自分に感心をもつのか、いまだに独身なのはなぜか、それらを尋ねようと思ったが、今はそのときでない気がした。雅恵の家族構成を尋ねるのもはばかれるので、堀田は自分の家族構成を話した。雅恵は堀田の話を聞くだけで雅恵自身の話をしなかった。
 


 映画は「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」だ。公開から日がたっているが再上映されていた。
 映画がはじまると雅恵は堀田の手を握った。堀田は、雅恵の体調が悪いのかと思って尋ねた。雅恵は、暗いと不安だから手を握っていてねと言う。周囲は客でいっぱいだ。館内の照明が消えてもスクリーンの反射で客席は明るい。雅恵には暗闇を恐怖する経験があるのだろうと思い、堀田は雅恵の手を握った。

「ねえ、どうする?夕飯を食べる?」
 映画が終り、映画館を出た。雅恵は堀田の腕を取って映画館から本町通りへ歩いた。
 時刻は九時をすぎている。雅恵が乗る最終バスを尋ねると十一時だ。夕飯を食べてバス停に行くまでけっこう忙しい。歩いて雅恵の家まで三十分くらいかかる。

「今日は映画とハンバーグをごちそうになったから、私が夕飯をごちそうするわ。何を食べたい?」
 雅恵は通りに面したスーパーに入った。雅恵の家から堀田の下宿まで一時間歩けばもどってこれる。堀田は腹を決めた。
「すき焼き食べたい。ビールも。すみません。好き勝手を言って」
「いいのよ。私にまかせてね」
 雅恵は堀田が押すカートに次々と食材を入れた。家族が何人もいる量だと堀田は思った。
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