五 割烹、幽玄

文字数 1,460文字

 割烹料理、幽玄の座敷で、経営者の高田晴夫は中野徳一に言った。
「徳さん、こっちは堀田をあきらめて、堀田の携帯のアドレスまで教えたんだ。あとはうまくやれよ」

 これ以上、野暮はいうまい。棚橋の紹介で、堀田が娘の家庭教師に来たときから、娘の婿にしたいと思ったが、娘は中二、堀田とは八歳ちがいだ。娘が成人するまでに、堀田が変るかも知れない・・・。
 高田晴夫は特殊建築塗装会社を経営するかたわら、ここ幽玄を八歳年下の妻に経営させている。

「そうだぜ、徳さん。
 堀田が下宿して以来、俺は堀田を同期の者たちの娘婿にと思ったんだよ。
 うちの娘にとも考えた。娘が自分で相手を見つけてきたから、あきらめたよ。うちの息子とも気が合う、いい奴なんだなあ・・・」
 繊維加工会社と下宿屋を経営する棚橋澄雄は、グラスの酒を一口飲んだ。棚橋の長男は堀田より三歳年上、長女は堀田と同じ歳だ。
「うちの祖母さんも、店の合間に堀田の部屋へ行って、いろいろ聞き出してるんだよ。今日も、徳さんちの絹恵ちゃんが来て、祖母さんのとこから、焼きそばやコーラ買って、古畑ジュエリー店の子供たちの宿題、手伝ってたと話してた」
 棚橋の母親は駄菓子屋を営んでいる。堀田を気にいっている。

「地元に大学がありながら、卒業生がここを離れるのを忍びないと思う。優秀な頭脳を確保するのがゆくゆくは地元の我々のためなのに、最近の企業経営者はそのことを認めない」と野口靖介。

「研究費を出すから、優秀な頭脳に、大学の高分子研究所でインターフェロンの研究をして欲しいね」
 西田友康が杯を口へ運びながら、小山一郎と中川幸之助を見ている。
「もちろん、基礎研究をしている大学の研究室には充分に出すよ」

 野口靖介の会社と西田友康の会社は技術協力し、バイオテクノロジーを駆使して、新素材の繊維から、薬品まで開発している。二社が開発したインターフェロンは、その生産方式と高い市場占有率で脚光を浴びている。薬品開発に関する特許は数え切れない。


「その言葉と研究費、ありがたく頂くよ。
 彼ね、学部の成績が悪くてね。だけど、凝り性でね。研究者向きの凝り性なんだね・・・」
 小山一郎が箸で肴をつまみ、口へ運ぶ。
「そのこと、中川君も認めててね。入試結果がそれを裏付けたね」

「僕の研究室にも、似た性格のがいた。小山君と話して何とかしたいと思った。
 そうでないと、僕の研究室も小山君の研究室も、大学院生がいない年ができて、研究が滞る・・・」
 グラスのビールを飲みながら、中川幸之助は、怪訝な顔の中野徳一を見た。
「心配いらないよ、徳さん。ぼくらは入試委員会のメンバーじゃない。入試問題を作ったのは僕らじゃない。
 過去の問題は公表されてる。誰でも入手できる。ぼくらは、過去の問題を分析して傾向を話しただけだ。それも、酒の席で、世間話をしただけだ。入試委員会からの情報漏洩はないよ。だから気にしなくていい」
 中川幸之助は中野徳一を気遣っている。

「うちの祖母さんによれば、若い娘たちは結婚相手を見つけて、堀田から離れていったらしい」
 そう言って棚橋澄雄が牛肉の角煮を口へ運ぶ。

「事務官がションボリしてた。うまく退けたようだ。
 興信所の調査に看護士の高原藤子がいたね。高原の母親が堀田を良く思っていないため、二人は二年以上音沙汰がない、とあったが、注意しろよ」
 と中川幸之助。

「そうだな。次の策略をメールを考えるよ」
 娘の絹恵と堀田のあいだで何が話されたかも知らないで、中野徳一は、
『次は、何年後のメールにしようか・・・』
 とは思った。
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