第1話
文字数 2,192文字
余は如何にして電話人生相談信徒 となりし乎
夜明け前は最も暗い
自分はいま人生最大の過ちを犯しつつあるのではないか。いや、既に犯してしまったのではないか、という考えに囚われはじめてから数週間、もう何度も何度も同じ思考が頭の中を駆け巡っている。
1月下旬。寒さで時間さえも凍りついてしまったような畑の真ん中で、発泡スチロール製の作業用椅子「かる助 」をゴムひもで尻に括りつけ、私はコマツナの収穫をしようとしていた。が、畑の表面は霜でがちがちに凍っており、収穫用の鋏が全く地面に入らない。文字通り歯(刃)が立たない。コマツナの収穫は株元の地際より少しだけ下、つまり土の中に刃先を入れて切らなければならない。そうしないと葉がばらけてしまうのだ。
中山間地と呼ばれるこのあたりは、まさに山と山の間に挟まれており、日の出の時間はとうに過ぎても、太陽の光はまだ届かない。
夏はまだ良かった。朝4時台から収穫を始められたし、収穫したコマツナを袋詰めし、販売用のバーコードシールを貼り終えても昼を少し過ぎた頃で、午後は種を播くための作業に使えた。
だが、真冬になるとこうだ。凍てついた畑で収穫作業ができず途方に暮れていると、両足の裏側から意識が遠のくような冷気が体全体に這い上がってくる。モノクロの、死の世界。
陽はまだ射さない。
・・・
やっと山裾をかいくぐってきた陽光が畑の上に陰と陽を区切るオレンジの斜線をひき、その明るい部分の面積を増やしてゆく。速い。
レイ・ブラッドベリ「たんぽぽのお酒」の主人公ダグラス少年が、町中を闇から朝へ導く魔法のようだ。
普段は気づかないがこんなにも恐ろしいスピードで太陽は昇っているのか。正確に言えば、この速さで地球は回転しているのだ。
私たちは振り落とされることもなく、時速1700キロで周り続けている。速度も出発も停止もコントロールできない、恐ろしくて楽しいアトラクション。
ようやく畑全体が陽光に染まる。
私は目を閉じて己 の過ちを噛みしめる。
農業で起業し、生計を立てる。サラリーマン並みの労働時間で、サラリーマン以上の豊かな生活を築く。
目論見は甘かった。このままでは三年と持たず経済的に行き詰まるのは明らかだ。
しかし、私はこの厳しい自然の洗礼を浴びることによって、大地の、この宇宙の下僕 となった諦めと喜びを同時に感じている。
安定していたサラリーマン生活を放擲 し、全く「畑違い」の生活に飛び込んだ「脱サラ農業」生活。周囲から、上手くいくはずがないと言われた。もったいないと言われた。
なんとかしてみせるつもりだった。が、どう自分を誤魔化してみても、この失敗を認めざるを得ない。
すべて放り出して泣いてしまいたかった。すべて振り出しに戻してしまいたかった。このままひとり、妻にも息子にも何も伝えず、どこかに消えてしまいたかった。
閉じた目の中のこの暗黒の世界に潜り込んでしまいたい。
・・・
背中に、か弱い陽光が蓄積され、ほんの僅かばかりのぬくもりを感じた時、「キンッ」と音がした。
透き通った、聖なる音。
目をあける。何の音だろうと見まわすと、再び、その天上の弦楽器を爪弾 いた一音が聞こえた。「キィン」
続けて視界の端で霜柱が折れ、濁りのない、清く美しい音を立てた。「キン」
それが最後だった。後は音もなく、あっけなく、霜柱がぐずぐず溶け出すと、畑はあっという間にぬかった土地となる。私はその三音に浄化され、収穫を再開する。
冬の収穫のあいだ、いつも訪れてくるハクセキレイが今朝もやってきた。独特の、尾を上下させる愛らしいステップを踏んで、ぴこっ、ぴこぴこっ、と近づいてくる。
チチチ(おはよう)。
ハクセキレイの美声は私の頭の中で妻の声に変換され喋りだす。
チチチチチ(よかった)。
何が「よかった」なの?私は妻に訊き返す。妻は微笑んで畑に座っている私を後ろから抱擁する。冬の陽光の優しさと知りつつ、私は故意に妻の柔らかさと勘違いする。
・・・
妻が「よかったさん」であることに気づいたのは、私の弁当に箸が入っていなかった、とある日のことである。妻が用意してくれた弁当の包みをあけると、なかった。
責める気持ちは全くなかったが、仕事中にはめったに電話しない私からの着信を喜んでくれるだろうか、と思い連絡する。
箸が入っていなかったと告げる。
「えっー、・・・よかった」
なぜ、「よかった」なのか。
妻の頭の中はいつもこんな具合だ。
今日のおかずはなんだったっけ?卵焼き、アスパラガスの肉巻き、ミニトマト・・・よかった。お箸が無くても食べやすいおかずでよかった。
例えばキッチンでお茶をこぼしてしまうと、「よかった、こぼしたのが牛乳でなくて」という。牛乳だったら、拭いた後も匂いが残って大変。
サッカー観戦中のハーフタイム。五百円玉を握りしめてタコ焼きを買いに行った妻が、手ぶらで戻ってくる。六百円だったという。「よかった、お財布持って行かなくて」高い買い物をしなくて済んだ。
強引なポジティブ思考ではなく、心から「よかった」が漏れ出てくる妻にどれほど救われてきたか。今までずっと聞いていたはずなのに、結婚して二十年近く経って初めて気づいた。
本当だ。よかった。手でも食べやすいおかずたち。私は微笑んで電話を切る。
夜明け前は最も暗い
自分はいま人生最大の過ちを犯しつつあるのではないか。いや、既に犯してしまったのではないか、という考えに囚われはじめてから数週間、もう何度も何度も同じ思考が頭の中を駆け巡っている。
1月下旬。寒さで時間さえも凍りついてしまったような畑の真ん中で、発泡スチロール製の作業用椅子「かる
中山間地と呼ばれるこのあたりは、まさに山と山の間に挟まれており、日の出の時間はとうに過ぎても、太陽の光はまだ届かない。
夏はまだ良かった。朝4時台から収穫を始められたし、収穫したコマツナを袋詰めし、販売用のバーコードシールを貼り終えても昼を少し過ぎた頃で、午後は種を播くための作業に使えた。
だが、真冬になるとこうだ。凍てついた畑で収穫作業ができず途方に暮れていると、両足の裏側から意識が遠のくような冷気が体全体に這い上がってくる。モノクロの、死の世界。
陽はまだ射さない。
・・・
やっと山裾をかいくぐってきた陽光が畑の上に陰と陽を区切るオレンジの斜線をひき、その明るい部分の面積を増やしてゆく。速い。
レイ・ブラッドベリ「たんぽぽのお酒」の主人公ダグラス少年が、町中を闇から朝へ導く魔法のようだ。
普段は気づかないがこんなにも恐ろしいスピードで太陽は昇っているのか。正確に言えば、この速さで地球は回転しているのだ。
私たちは振り落とされることもなく、時速1700キロで周り続けている。速度も出発も停止もコントロールできない、恐ろしくて楽しいアトラクション。
ようやく畑全体が陽光に染まる。
私は目を閉じて
農業で起業し、生計を立てる。サラリーマン並みの労働時間で、サラリーマン以上の豊かな生活を築く。
目論見は甘かった。このままでは三年と持たず経済的に行き詰まるのは明らかだ。
しかし、私はこの厳しい自然の洗礼を浴びることによって、大地の、この宇宙の
安定していたサラリーマン生活を
なんとかしてみせるつもりだった。が、どう自分を誤魔化してみても、この失敗を認めざるを得ない。
すべて放り出して泣いてしまいたかった。すべて振り出しに戻してしまいたかった。このままひとり、妻にも息子にも何も伝えず、どこかに消えてしまいたかった。
閉じた目の中のこの暗黒の世界に潜り込んでしまいたい。
・・・
背中に、か弱い陽光が蓄積され、ほんの僅かばかりのぬくもりを感じた時、「キンッ」と音がした。
透き通った、聖なる音。
目をあける。何の音だろうと見まわすと、再び、その天上の弦楽器を
続けて視界の端で霜柱が折れ、濁りのない、清く美しい音を立てた。「キン」
それが最後だった。後は音もなく、あっけなく、霜柱がぐずぐず溶け出すと、畑はあっという間にぬかった土地となる。私はその三音に浄化され、収穫を再開する。
冬の収穫のあいだ、いつも訪れてくるハクセキレイが今朝もやってきた。独特の、尾を上下させる愛らしいステップを踏んで、ぴこっ、ぴこぴこっ、と近づいてくる。
チチチ(おはよう)。
ハクセキレイの美声は私の頭の中で妻の声に変換され喋りだす。
チチチチチ(よかった)。
何が「よかった」なの?私は妻に訊き返す。妻は微笑んで畑に座っている私を後ろから抱擁する。冬の陽光の優しさと知りつつ、私は故意に妻の柔らかさと勘違いする。
・・・
妻が「よかったさん」であることに気づいたのは、私の弁当に箸が入っていなかった、とある日のことである。妻が用意してくれた弁当の包みをあけると、なかった。
責める気持ちは全くなかったが、仕事中にはめったに電話しない私からの着信を喜んでくれるだろうか、と思い連絡する。
箸が入っていなかったと告げる。
「えっー、・・・よかった」
なぜ、「よかった」なのか。
妻の頭の中はいつもこんな具合だ。
今日のおかずはなんだったっけ?卵焼き、アスパラガスの肉巻き、ミニトマト・・・よかった。お箸が無くても食べやすいおかずでよかった。
例えばキッチンでお茶をこぼしてしまうと、「よかった、こぼしたのが牛乳でなくて」という。牛乳だったら、拭いた後も匂いが残って大変。
サッカー観戦中のハーフタイム。五百円玉を握りしめてタコ焼きを買いに行った妻が、手ぶらで戻ってくる。六百円だったという。「よかった、お財布持って行かなくて」高い買い物をしなくて済んだ。
強引なポジティブ思考ではなく、心から「よかった」が漏れ出てくる妻にどれほど救われてきたか。今までずっと聞いていたはずなのに、結婚して二十年近く経って初めて気づいた。
本当だ。よかった。手でも食べやすいおかずたち。私は微笑んで電話を切る。