第3話

文字数 2,606文字

瞳は語る・・・国会図書館の手続きと求愛表現について
 
 いつの頃からか、一般的な社会の常識、価値観に違和感を感じるようになっていた。
 1970年生まれ。どんどん生産して、どんどん消費しよう。アジアの、人件費の安い国にどんどん工場を建てよう。その国が少し豊かになって人件費が高騰したら、もっと貧しい国に工場を移転しよう。 そういう高度経済成長期の名残の価値観にはついて行けなかった。
 1993年就職時には、商社、自動車、金融が人気で、その分野に特別の興味を持っていなくても、同級生たちはどんどん就職していった。
 思えば、私は幼稚園やその後の小・中・高校時代も集団でいることになぜか居心地の悪さを感じていたのだ。どうして朝っぱらからみんなで同じ歌を歌わなくてはいけないのか。どうして決められた席につかなくてはいけないのか。どうして中学校を卒業したら高校で、その次は大学なのか。

 もしかしたら、母の入院期間が長く、ひとりで家にいることが多かった私は知らず知らずのうちに我儘が身についてしまったのかも知れない。中学、高校時代の私は学校から帰宅すると、洗濯や掃除、炊事、風呂の準備などをしていた。
 1983年、私が中学校に入学した当時、まだヤングケアラーなんていう概念はなく、介護保険制度が施行されるのもずっと先の2000年になってからだ。
 家の中のことは家族で何とかするのが当然のこととして家事をこなしていたが、それらはすべて自分ひとりの裁量次第だった。母が入院中であることを理由に学校の部活動を休み、手早くそれらの雑用を済ませれば自分の読書の時間ができる。父は仕事で多忙を極めていたため、私に構う余裕はなく、まあまあの成績さえ維持していれば何も文句は言わなかった。
 もともと我儘で、環境がその素質を開花させたのか、それともこの環境が原因となって我儘が身についたのかは判然としないが、この頃から私は自分の行動を自分で決め、自分のペースで、自分の価値観で生きてゆくことにこだわるようになっていた。

 こんな風に出来上がった人間にとって、職業を選択し、自立してゆく準備に取り掛からなければならない大学生時代は、人生で最も悩み多き時期となった。

 現実的な選択肢としては、同年代の多くの同級生がするように、就職活動をしてサラリーマンになるか、憧れを持ってはじめ、仕事内容も十分魅力的なアルバイト先である「本の雑誌」社にそのまま就職してしまうか、のいずれかだった。
 非現実的な選択としては、母の入院が続いており、具体的な退院の見通しも立たず、家族としてのカタチがほぼ崩壊している我が家の家事手伝いとして、はやくもドロップアウトするという手が考えられた。湯気のすっかり消えたこの家で、飯を炊き、お茶を淹れ、風呂を沸かし、掃除をする。父の収入で家計をやりくりし、ちょっとばかり節約した分を小遣いとしていただく・・・これは無理か。夏目漱石の小説に出てくるような「高等遊民」の現代版に憧れもするが、それはできない。

 母は結局、私が大学を卒業した二年後に亡くなることになるし、何よりも、当時私には結婚したい相手がいた。


   ・・・


 デジタル資料送信サービスなどまだなかった国会図書館で本を閲覧するには、まず申込書を記入して、希望の書籍を取り出してきてもらう。本がズラリと並んでいて自由に閲覧できる「開架式」とは違い、目的の書籍一直線、でもちょっと手続きが堅苦しいというこのやり方は「閉架式」と呼ばれる。
「本の雑誌社」のアルバイト「引用確認」では目的の書籍を取り出してもらい、該当箇所を確認してからその部分を証拠としてコピーして持ち帰る。
 閲覧は無料だが、コピーは有料で、閲覧とはまた別に申し込みをしなければならない。
 その日は、「本の雑誌」掲載予定原稿の中の、ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」に登場するうさぎについての引用箇所が正確かどうかを確かめる仕事だった。
 
 コピーの申し込み窓口で、
 
 私はなぜか幼い頃からショートヘアの女性に弱かった。弱いというのはもちろん、好きになってしまうということだ。幼稚園のカオルコせんせいも、顎のラインをスマートに見せる短髪が魅力的だった。「恋しくて」のメアリー・スチュアート・マスターソン、「ギルバート・グレイプ」のジュリエット・ルイス・・・
 
 その係員は、

 黒のタートルネック、黒のタイトスカート、装飾品は一切身に付けておらず、

 飾り気のない、控え目な装い。

 粛々と、しかし決して冷たい態度というわけではなく、

 特に私の対応をしている時にはほんの少しだけ口角があがり、

 私の申込書を受け取る。瞳がさっと潤んだ。はずだ。

 甘ったるくはない、むしろ潔さを感じさせるその声は、少しだけ鼻にかかっていて優しい。
 私は動揺、混乱を隠しおおせたつもりで何とか手続きを終えた。墜落の眩暈(めまい)を堪え切った。

 外に出ると、まだ降っていなかったが、怪しい雨雲が近づいてきていた。
 
 彼女の黒い瞳は、私の求愛を感じ取っていた。何かからの、どこかからの救いを求めていた。いつも「死」を意識している者だけが持つ影を潜めていた。
 濡れた瞳がイエスと言っていた。

 後に妻となる水原恵(めぐみ)と出会ったこの時、私は(めぐみ)を救えると思っていた。私が解放してあげようと誓ったのだがそれは大きな間違いだった。
 救われるのは、私。

 付き合い始めてすぐに、彼女の瞳の「死の影」の理由を知った。

 彼女が中学生の時、当時大学生だった兄が亡くなった。「不慮の事故で」ということだった。
 それ以上、私は何も尋ねなかった。
 私は母によって、彼女は兄によって、死のすぐそばに置かれていた。死の中に、と言ってもいい。永遠の死の時間の中の、ほんの一瞬、私たちは生きる時間を得ているのだ。その一瞬と一瞬が重なる。
 
 順序も長さも関係なく、頭の中を全ての彼女が満たした。よき恋人としての、妻としての、時に私の母としての、妹としての、娘としての、友としての、実際には写真でさえまだ見たこともない幼児の、思春期の、遠い将来でさえ可愛さを失わない老人の水原恵。心の中でずっと求めていた何かが人の姿となって現れた。血のつながらない誰かに必要とされたかった。家族ではない誰かと同じ思いを共有したかった。
 私たちは二人でいる時にだけ、無邪気で無防備で、影のない視線を交し合うことができた。
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